ベートベンの6番「田園」、こんにちは!

このブログ。

ブログ村には「家事」カテゴリーで登録しているが、

もはや、詐欺だな。引越し、マジで検討中。

 

でも、どこに引越せばよいのだろうか? それがわからナーイ。

 

さて。

今年の秋の演奏会(12月上旬)は、ベートベンの6番「田園」がメインで

先週、練習が始まった。

 

モーツアルトとベートベン。といえば、

クラッシックの代名詞ともいえる作曲家。

 

それゆえ。

モーツアルトのレクイエム(モツレク)でドツボにハマった私は、

「どうせ、おまいも、同類だろう」と、

2017年9月現在、田園を練習する気が全く起きない。

どうすんだ??

 

そんな折、夫がバイオリニストのイズミさんからメールが届いた。

題して、「るるるクラッシック」。

 

曰く。

「曲について色々調べていると、面白い情報や小ネタなど
様々な情報が入ってきますが、その情報を皆様にもおすそ分けする
「るるる くらしっく」をこのたび創刊しますw」とのこと。
 
 

すっげーな!!!!!

 
 
自慢ですけれど。
私の音楽仲間は、「生粋のお嬢様」が多いです。
 
小学校時代は、黒いランドセル背負って学校行ってました、的な?
 

生粋のお嬢様の遊び方って、何か、格好良いんだよね。

 
 
先日も。
「シベリウスフェスティバルを聞きに、
フィンランドに行っている」というお方から届いたメールの写真が、着物姿だった。
 
 
シベリウスとは、フィンランドの作曲家でつ。
 

外国で、演奏会を聞きに行く時、

サラッと着物で行けるって、何て格好良いの!!!

 
それって、外国旅行のスーツケースに
着物を入れて行くってことだよねぇ。
はぁ、すごい。
 
 
話がソレてきたので戻すと。
 
 
 

私の座右の銘は、日々、是、取材。

日常で拾った話を、ご本人の了解を得た上で、

アップしていこうと思う。

 

友達からの楽曲紹介のメールがスゴくて、少しだけヤル気が出た件

でも、ちょっとだけよ? by カトちゃん(古っ!)

 

+++

【るるるクラッシック 第3回】

たいていの皆さんが小学生の時に音楽の授業で聴かされた、
「運命」と「田園」。
実は2曲は1808年、同じ年に書かれています。
運命はずいぶん前からちょっとずつやってたって
いう説もあるけれど。
おもに、冬から春までに運命を、春から秋にかけて田園を書いたようで、
2曲同時にパトロンのオジサマ貴族2人に献呈し、
2曲同時にクリスマス直前にベートーベンが主催した演奏会で自分で指揮して初演。
 
1808年。フランスはナポレオン軍、調子に乗ってスペイン無理やり統治していたけど、
(自分のお兄ちゃんが今日からスペイン王だから、とか言っちゃって無理やり過ぎ)
当然スペインの人たち怒って蜂起。「1808年5月3日」という、ゴヤの有名な絵がありますが、
これはスペインの人がフランス軍に処刑されている絵。
ちなみに、ゲリラという言葉は、この戦争で生まれた、スペイン語「ゲラ(戦争)」を
もとにした言葉です。
ポルトガル王室はかろうじてブラジルに逃げて、なんとか生き延びた。
だからブラジルはポルトガル語圏なのね。
 
ナポレオン、12年間にわたってあっちこっち侵略して現地の人に反感かって、
「なんなんだ、あいつ」「まじむかつく」「みんなでやっつけようぜ」
と、イギリス、オーストリア、ロシア、トルコ、スペイン、ポルトガル、オランダ、スウェーデン
(この辺の区分け、ざっくりです)が叛旗ひるがえすも、ナポレオン、ガチ強くて
やられちゃう。うーん。
でも、1808年に始まったスペイン蜂起からの戦争と、
1815年の有名なワーテルローの戦い(日本で言えば関ヶ原ってとこか)で
決定的に負ける対ロシア戦争で、ついにはナポレオンやられるわけよ。
ちなみにチャイコフスキーの序曲1812年は、
ロシア側から見た「ナポレオンやっつけた万歳」賛歌。
懐かしいなあ、「ワーテルロー(ウォータールー)の戦い」ってピアノ曲、むかし弾いた。
余談ですが、1808年の日本は文化5年。
間宮林蔵が樺太行ってました。
伊能忠敬が日本地図作成中で、葛飾北斎が活躍中。
滝沢馬琴とか十返舎一九とか。まさに文化。
 
そんな1808年。ベートーベンの耳はほとんど聴こえなくなってます。
毎夏に訪れるウィーン郊外ハイリゲンシュタットで、1802年に既に「もうだめだ」と
甥っ子と弟あてに遺書を書きます。
国立国会図書館デジタル版、たすかるわー
でも、遺書といっても。「自殺しないってきめた!自分頑張る!」という
決意表明書みたいなものね。
これを読むと、彼、基本的に社交的で、耳が聴こえなくなって、
社交できなくて辛い!という記述があって、
「昔から人嫌いで孤独が好きな偏屈おやじ」っていう先入観が消えますね。
 
そういう精神下で書かれた田園ですが、
これはベートーベンが唯一自分で名前をつけた交響曲です。
自分で譜面に書き込んでます。しかもめっちゃ悩んでいろいろ考えたメモも残ってます。
「運命」はちがうのよん。本人は「運命が扉をたたく」とは言ったらしいけど、
それをもとに周りが勝手につけたの。
 
交響曲第6番は、wikiくんによると、
「シンフォニア・パストレッラあるいは田舎での生活の思い出。
絵画描写というよりも感情の表出」
 
それぞれの楽章にも、標題をつけてる。
  1. 「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
  2. 「小川のほとりの情景」
  3. 「田舎の人々の楽しい集い」
  4. 「雷雨、嵐」
  5. 「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」
しかも本人注釈あり。
「誰でも田園生活の考えさえあれば、多くの説明がなくとも、
作者の意とするところを自ら考えることができる」
 
ここですごくびっくりしたのが、
どこからどう見ても森の風景の描写なのに、
ベトベンくんは、「絵画描写よりも感情の表出」とはっきり書いているところ。
田園の風景そのものでなく、それを見て感じる精神を表現したということ。
これは私の個人的解釈ですが、
上記のような歴史的背景と、自分の難聴に向き合う精神状態の中で
ややすれば気が狂いそうになる孤独と恐怖を、
あえて全く反対方向に存在する、神の作った「自然」を音楽にすることで、
自分の感情を表したのかなと思いました。
心の中は煮えくりかえっているのに、顔が菩薩のように笑ってる、そんな
究極の心理状態というか。
田園と遠いところに居ることで、あえて遠くを想うというか。
遠いからこそ、その価値がわかるという・・・
耳が聴こえないからこそ、鳥のさえずりや、木々の葉のこすれる音、風の音、
小川の流れる水音、そういうものがどんなに大事なものか、
実感するのだろうと思います。
精神的に上のレベルにアップしたのかな。
そんなわけで彼の言うとおり、彼の意とするところを、自ら考えてみました。
みなさんも、独自の解釈でも構いませんので、
彼の意を、自ら考えてあげてください。
 
今回はここまで。
次回は、田園の構造と音符の意味について考えてみようと思います
ああ、でも、フィンランディアに対する情熱が先にほとばしってしまうかも。
 
 
 

【るるるクラッシック 第4回】

 
さて。第4回は、
田園の中身についてのご案内。
 
詳細は本家「らららくらしっく」のこれを見てほしいけど、
この放映見た方、いらっしゃいますかー?
今年の8月4日に放映されました。
 
ここでは、1楽章冒頭の4小節からなる第一主題について
解説していました。
埋め込み画像 1
第1回で取りあげた版の違いによるスラーについては、前述のとおり。
音源いろいろ聞くと、それぞれ違って、それはそれで面白い。
カラヤンとオーマンディじゃ全然違う~~
さて、これが、1小節ごとに、木々の葉のこすれる音、さわやかな風、
あたたかい太陽のきらめき、森の自然それぞれを表現していると
説明(うろ覚え)しておりました。
それを出演者が輪唱で表現してて、一つの主題がかけあって出来上がっているという説明。
私には、スタッカートが、光のキラって輝きに聞こえるなあ。
 
さてさてところが。この主題、実はセルビア地方の民謡まるパクリ。どひゃー。まじか。
バルトークがこれを発見して、そうだったんだーという話に。
 
埋め込み画像 3
実に素敵なメロディです。歌詞もついてますが、セルビア語?わかりません。
初めのフレーズだけは「隣の娘は良いむすめ~~」って訳がのってたけど。
オイオイ。やっぱそっち方向かー。
当時ベートーベンはオーストリアで暮らしていたので、
近いセルビア地方の民謡に触れる機会もあったのかな。
絶対飲み屋で隣に座ったやつから聞いたでしょ。
私がソーラン節知ってるようなもんか。
それを自分なりに展開していったのでしょう。
ちなみに、スラーについて、上記民謡バージョンはやっぱりダンスっぽいですね。
それを流れるようにしたのは、ベートーベンなのか、はたまた写譜屋なのか、楽譜屋なのか。
ちなみに、当時でも最近でも、民謡や有名なメロディーを展開させて変奏曲つくるのは
ごく自然なことだったようです。
ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲(いわゆるハイバリ)」
ラフマニノフの「パガニーニの主題による変奏曲」
ブリテンの「パーセルの主題による変奏曲とフーガ 青少年の為の管弦楽入門」とか。
上記3曲なんて超有名曲。でも、パクリじゃね?やばくね?なんて誰も言ってない。
いいメロディはいい!っていう観念。
それをいかに自分の音楽として展開させるかが、作曲家の腕の見せ所ってわけね。
 
 
しかしながらこのネタ、今まで見たどんな演奏会プログラムにも載ってない。
ベートーベンも隠したかったのか?後世の音楽評論家も?それともガセ?
でもなあ、バルトークが出してる民謡研究の本には、
ちゃんと書いてあるらしいんだけどなー。
 
●一楽章
「田舎に到着したときの愉快な感情の目覚め」
上記の主題を変奏して重ねていく形で展開していきます。
「愉快な」ってのが、主題の1小節目に表れてるような気がするな。
 
●二楽章
「小川のほとりの情景」
しょっぱなから、私たち、びおらに求められているのは、
小川の水のせせらぎ!!!!まだ初めは上流!小さいの!
チェロとコンバスが水音をpizzで表現(してると私は思ってる)
ということはですね、このあとの指がつりそうな1小節24個の音で成る音型は、
水の流れなわけで、自然な流れなわけで、、、、、指つってる場合ではないw
モルダウの苦痛を思い出す・・・ま、今回はセカンドが道連れだが。
川はどんどん幅が大きくなり、音が低くなる(低い音の楽器を使っている)けど、
弦のトリルが鳥のさえずり、フルートのナイチンゲールが美しい声で歌い、
オーボエののウズラ、クラのカッコウが鳴いてます。
 
●三楽章
「田舎の人々の楽しい集い」
先日、私が新潟の田舎町に行った時、地元の人たちと話す機会あり、
ほんとに楽しい人々の集いでした。口実あれば昼間から飲むのねw
明るくて、気さくで、ドロドロした部分が全くない、そんな人柄でした。
だいたい、農家の人って朝早く涼しいうちに働いて、
昼の炎天下では休んだり飲んだりしてるっぽい。
ちなみに、ジブチに居る友達が言ってたんだけど、昼間50度で、活動したら死人出るから、
昼間閉店、朝晩に街が活動するんだって。式典なんかも夜。すごいなジブチ。
まあ、緯度の高いオーストリアではそんなことはないけど、
やはり、3時くらいから、水より安いワイン飲んで踊ってるっぽい(個人的感想)
165小節からのダンス(前半にも出てくるけど)は、酔っ払って、とりあえず踊っちゃえ~~
足のぶっとい日焼けした男性が、ちょっと太目の女子と腕組んで踊ってるのが
目に浮かぶな~~(個人的妄想fromジブリ 魔女の宅急便のおソノさん)
楽しくて最高!グラス割ろうが粗相しようが、最高!
 
●四楽章
「雷雨 嵐」
飲んでたら嵐キターーー(>_<)
夏の夕方だもーん!
まるで先週末の台風ですね。
51小節からのバイオリンは、雷鳴かな。ピカリ!ドッシャン!
びおら、あちこちに出てくるsfは、雷鳴のつもりで全力投球!
刻みは強風にあおられ、頬を打つ大粒の雨粒。
全力で弾かないと嵐っぽくないわなー。
手を抜いた演奏じゃ、よわっちい嵐になっちゃう。
 
●五楽章
「牧歌 嵐の後の喜ばしい感謝の気持ち」
突然黒雲去って、晴れた~~~~
良かった~~救われた~~~
私、この25小節目の第一主題が大好きで、ここ弾くと泣きそう。
この楽章通して、この主題の展開、再現となっていきます。
嵐って、農民にしたら絶対に必要で、嵐が去ったら
神様ありがとう~っていう気持ちになるらしいのね。
雲間から射すあたたかい光。
余談ですが、チャイコ悲愴の1楽章の最後のコラールも、
私としては天使が雲の間から射す光に乗って上っていく、そんな敬虔なイメージです。
田園は、もっと身近な感じ、神というよりも、自然界に感謝。
全ての宇宙、万物への祈りのような。
 
上記、個人的感想&妄想織り交ぜた田園考察でした。
本当は、再現部は何小節目からニ長調になり、
それが変ロ長調に変化することでうんたらかんたら・・・
ていうのが楽曲分析なんだろうけど、そういうの、知ってることは大事だけど
素人の私には、ポカーン、だからどうなの?ってなっちゃうから、
その先にある感情的な部分、調性が醸し出す音楽性を重視して
ざっくり観察してみました。
 
それでは、また次回。
今度こそフィンランドへ。
 
以上