「息子のエロ」と「毒の摂取」について

2018.1.24

息子が、退院した。

入院中の息子のお見舞いに行かないということだったが、

ぼっちゃんからの呼び出しで2度ほど病院に行った、その時の話。

 

息子 : お見舞いにきてくれた友達が、アッチ系のも持ってきてくれた

母 : アッチ系って、何?

息子 : ほら、これ。

と見せてくれたのが、いわゆるグラビア雑誌系。

 

「息子のエロと初めて遭遇する瞬間」というのは、

このように訪れるのですね、という感じ。

 

とても、感慨深かったです。

 

ある時、学生時代の先輩(男性)と話をしていて、

どういう話の流れだったかは忘れたけれど。

 

「息子がエロ雑誌とかを見ていたら、大ショック!」

と言ったら、

「はぁ?? 何、言っちゃってるの?」

と、とても驚かれた。

 

その後、先輩が飲み会で、このやりとりを皆様にご披露するたび、

その場にいる男性(複数)から、常に、えらい勢いで、

 

「はぁ? 何、言っちゃっているの?」と

突っ込まれ続けていました、ワタクシ。

 

世の中って、そういうものなのですね・・。

と、カマトトぶっておく。

 

 

そんな私も、ミニストップで成人雑誌取り扱いをやめたという

ネットニュースを見た時は、「は?」と思った。

 

曰く

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成人誌について、来店した女性や家族連れから、「やめてほしい」「子どもに見えてしまう」などという声が寄せられ、今年5月ごろから取り扱いの中止を検討していた。雑誌の売り上げに占める成人誌の割合は5%程度。取り扱いをやめることで女性客らの集客アップを期待している。

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文章を書く人間としては、

猥雑さ。は、とても大切だと思っている。

 

おそらく瀬戸内寂聴さんだったと思うが、

「『ちゃんとしたものを書きなさい』と言われ続けたが、

私は自分の文章から猥雑さを外すつもりは全くない」

というようなことをおっしゃっていて、とても共感した。

 

瀬戸内さんは、最近では「聖(ひじり)」なイメージも強いかも、だが。

小説家デビュー直後の作品、「花芯」では、

批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られたほどの人です。

 

でも、私は、「瀬戸内晴美」時代の作品群、好きです。

 

とりわけ「夏の終わり」は、名作だと心から思っている。

 

余談ついでに、もうひとつ

 

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瀬戸内さんといえば、

夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。

ということがクローズアップされがちだけど(最近は、そうでもない??)

これらの顛末を書いた自伝小説

『いずこより(筑摩書房 1974 のち新潮文庫)』を読む限り、

「瀬戸内さんは、

自分らしく生きたかっただけなのではないか?」

と、思いました。

 

不倫を題材にした小説という意味では

トルストイの代表作「アンナ・カレーニナ」を読んだ時も、

「アンナは、

自分の人生を生きたかっただけなのではないか?」

と似たような感想を得たのですが・・。

 

封建色が色濃く残っている時代、

女性が、「自分らしい人生」を生きるのは、

今からは想像できないほどに、大変だったのだろうと推察する。

 

ゆえに、両方の作品とも

「恋愛」という起爆剤で「人が自我に目覚めた」話。

であると、私には感じられる。

物語の重心は「恋愛」より「自我の目覚め」の方にあると

思うのは、私だけなのでしょうか? 

 

余談終わり

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話を戻して。

 

文章から、猥雑さをなくしてしまったら、

文字通り、色気がなくなり、

それは私にとっては、「面白くない」と同義語だ。

 

けれども。

私は放っておくと妙にストイックな生活になってしまうので

定期的に毒を摂取することが、非常に大切です。

 

って、「毒を摂取」とか言っている時点で、

何か、相当、ダメな感じだな・・。