西村知巳「写真占い」 ~アートセンター・オンゴーイング~

2018.9.30

海老原靖さんとお話しさせて頂いた時、

「吉祥寺に住んでいるのなら、

オンゴーイングって画廊があるよね」

と言われ、その時点で、私はそのギャラリーのことを知らなかった。

 

吉祥寺で「私が有名だと思っている」ギャラリーの名前をいくつかあげたら、

「え? 逆に、僕、その画廊、全部、知らない」

と、言われた。

 

軽く衝撃だった。いや、結構、衝撃だったかも・・。

つーか、海老原さんとの遭遇は、この夏の衝撃だったんだけれども。

 

 

先日、知人が掲題の西村知巳さん「写真占い」を紹介していて、

その開催場所が、オンゴーイングだったので、行ってみた。

 

西村さんの表現手法は、写真と散文。

 

オンゴーイングに私が行った時、

偶然、西村さんが在廊されていて、

少しだけお話しさせて頂いたけれど、

決して話上手という感じではなかった(おいっ!)。

 

むしろ、「こんなふうに話す人、会ったことはないかも」という感じ。

 

ご本人が、フライヤーに書いていた表現を使うならば、

「この取っ付きにくさ、

思い詰めた風貌を、私は、改善できないまま」

という感じ。

 

けれども、いや、だからこそ。

彼の散文には、切迫感があった。

 

彼の表現に触れて寝た昨晩、私は自分が漫画家になって

物語を紡ぐことから逃れられないという夢を見た。

 

ライターになって早々に、

「表現と真摯に向き合う苦しみ、と向き合う胆力なんぞ

私にはないなぁ」と、商業ライターになったことに1ミクロンの後悔もない。

 

むしろ、子育てをしながらも、今でも「書く場」を与えて頂けているのは、

早々に、「冷静な諦め」ができたから、だと思っている。

グッジョブ、私!!

 

けれども、私の心のどこかには、

「表現と真摯に向き合うこと」への憧れのようなものが

まだ、あるんだな~と感じた。

だから、そんな夢を見るのかもなぁ・・、などと思った朝。

 

 

西村知巳さんのフライヤーからの抜粋。

 

写真はその枠の外にあるものと、すすんで関係を持とうとする。

見る人によっても、異なる顔を示すものなのではないか。(中略)

 

活動を続ける中で得たこれらの所見から、

私は状況の開示に、

写真を役立てることができるのではないか、

と考え至った。

 

私は何物であるよりも先ず、写真を選んだ人間として、

その社会に参加しているのだった。

 

 

私は何物であるようりも先ず、文章を選んだ人間として、

その社会に参加しているのだった。

くらいのことを言ってみたいなぁ。(「言えない」という自覚は、ある)