麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

フィスラー鍋を修理する(1990年代の思い出)

2016.11.1

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【お米を炊いているフィスラーの圧力鍋】

 

我が家には、炊飯器がない。

お米を炊くのは、このフィスラーの鍋で、

朝4合(お弁当2食分含む)、

夜2合、食事毎に炊く。(2016年現在)

 

毎日、使うものだから消耗も激しくて、

「このところ調子悪いなぁ」と、修理に出したら、

スゴイたくさん、修理が必要な箇所があった。

 

今までで、何度、修理に出したかわからない。

多分、一生、このお鍋とともに生きていくのだろう(常にオーバー)。

 

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【どんだけ、ダメなんだよ!】

 

このお鍋を買ったのは、1999年。

 

このお鍋を買った当時のことを思い出したので、書いておこう。

 

1999年になる直前、1998年の11月に、私は新卒で入った丸紅を辞めた。

会社を辞めて、まず、やりたかったことが、

リマクッキングスクールに通うこと。

 

リマクッキンススクールといえば、マクロビオティック料理をやっている人なら

誰でも知っている、マクロの発祥の地というか、総本山みたいなお料理学校だ。

 

今でこそ、「マクロビオティック料理」というのは一般的になったけれど、

1999年当時は、まだ、先駆けっぽかったと思う。

 

教えてくれたのは表参道だったかなぁ?? 代官山だったかなぁ??

「芸能人が隠れ家として使っています」的なお店の店長さん。

 

「この塩、スゴイんだよ」と、海の精を教えてくれたついでに、

リマクッキグスクールの名前を教えてもらったと記憶している。

 

当時、私は丸紅のOL(←この言葉、今、公の媒体では使っちゃいけないらしいですね)で、

会社が終わって、「どこに、ゴハンを食べに行くか?」ということは、

大きな関心事だった。

 

いろんなお店に行ったと思う。

 

そういえば。

ライターになったばかりの頃、

文藝春秋社から出ている「CREA」という雑誌がライターを募集していて

募集文言が「丸の内に勤務するOLが欲しいもの、やりたいことがわかる人」だった。

 

「私のことじゃん!」と思って応募したら、まんまと採用。

しばらく仕事をしていたなぁ。

 

まぁ、つまりですね。

あの当時、「お金を最も使うOL層」みたいな生活をしていたんだと思う。

 

会社の前にタクシー乗り場があって、

そこからタクシーに乗って、ライトアップされた国会議事堂を横目に見ながら、

六本木や銀座とかにご飯を食べに行く、みたいな生活。

 

って書きながら、「あれって、本当に私の人生に起こったことなんだろうか?」と思った。

 

デジャブ!? 前世の記憶?!

 

それくらい、今では信じられない生活。

けれど、「あの時代」と「若さ(バカさ?)」と、「会社の雰囲気」に流されて

そういう日々を送っていたこともあった、ということだ。

 

それが悪いとは言わないけれど、

毎日、どこかで「宴の後」というような疲労感があったような・・。

 

そういう生活が向いていない、ってことですね。

 

話が長くなってきたので、そろそろ巻きをいれますと。

 

そういう生活を送っていたからこそ、「ちゃんとした生活をしたい」という気持ちが強くて、

会社を辞めたら、「ちゃんとした生活」の象徴のような

リマクッキングスクールに入りたくなったんだと思う。

 

結論から言うと、リマクッキングスクールは、「ちゃんとしすぎ」だった。

一時期は、

「肉食を全部やめて、たんぱく質はグルテンでとってます」

 

そういうエリアまで、突っ走っていたのだけれど。

 

息子を妊娠した時に、

どうしてもケンタッキー・フライド・チキンが食べたくなり

「ああ、ちょっと針が、極端に振れ過ぎていたな」と、気がついた。

 

リマクッキングスクールは「上級クラス」くらいまでは通ったと思うし、

「マクロビオティック仲間」みたいな友達がたくさんできて、

一緒に遊んたり、「マクロなお店」巡りなどもしていた・・・ハズ。

 

けれど。

あの時の、誰ひとりとも、今、付き合ってない。

 

リマ・クッキングスクールで習ったことで

今でも続いているのは、「圧力なべでお米を炊くこと」くらいかな?

というお話でした。

 

いやいや。

極端から極端に針、振れすぎだろ! という話かもしれない。