今朝、日課の井之頭公園散歩からの帰り道、
近所のお屋敷が、取り壊されているのを目撃した。
吉祥寺には、「お屋敷」と呼べるレベルのお宅がたくさんある。
「吉祥寺のお屋敷解体」を目撃した最初の記憶は、
双子の息子たちが、まだベビーカーに乗っていた頃だ。
双子用のベビーカーは大きくて操作が大変で
必然的に、「ユラユラと」くらいのテンポでしか歩けない。
彼らの保育園の往復には、ベビーカーを使っていたので、
お屋敷の解体を毎日、眺めることになった。
計らずも、ユラユラと歩きながら、吉祥寺のお屋敷の解体の様子を
毎日、眺めることになった私が思ったこと。
それは、諸行無常
吉祥寺にお屋敷を構えるということは、
きっと、社会的に成功した人なのだろう。
あの「お屋敷」を建設している時は、
その人の人生の絶頂期だったのかもしれないなぁ・・。
でも、そこから幾歳月。
その人の人生は、いつしか終わり、家も老朽化して、取り壊された。
どんな人の人生も、必ず終わっちゃうんだな・・。
どうせ、「必ず終わってしまう」のなら、
好きなように過ごしたい・・などと、思ったのでした。
平家物語の、「祇園精舎」の部分を、
ウィキさまから拾っておきます。
本文
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ。
現代語訳
祇園精舍の鐘の音には、諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。娑羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、春の夜の夢のようである。勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。