自分の「取り扱い」に心底、困っていた頃の話

2021.1.18

いや、今だって、

だいぶ困っていますけどね。。。

 

ライターの芳麗さん(私は彼女を丘りんと呼んでいる)が、

自分のブログで、主婦erを紹介してくれました。

 

美しき主婦道と令和スタイルの家族とは? 

 

紹介文の中で、私が笑ったのは、ココ。

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超マジメで愛情深い人なのは間違い無いけど、数多の変わり者が揃う私の友人の中でも、トップレベルでおとぼけていて、面白い人でもあります。

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トップレベルなんかい! 

 

丘りんと出会ったのは20代の前半の頃で

その頃の私は、「親が敷いてくれるレールを歩むしか、

人生の選択肢がない!」と、思い詰めていた。

 

学習院 → 丸紅 という、そこまでの人生コースで出会った

友達の中にいると、私は、どうしても浮いてしまう。

 

「ふつう」にしているつもりなのに、

「個性的だね」とか「面白いね」とか、

「不思議ちゃん」とか「天然ちゃん」とか。

 

「ふつう」の「枠の外の人」として扱われる自分に

私は、素直に困惑していた。

 

加えて、マダムに「息を吸っているだけで面倒な人」と言われる

気難しさも兼ね備えていたので、もー、そりゃー生きづらかった。

 

でも、親が敷いてくれるレール以外の生き方なんて想像できなかったから、

「『ふつう』にならないといけない!」と、思い詰めていたのだ。

 

そんな時に、丘りんと出会った。

 

丘りんは、私の言うことなすこと

「ぴかりん、面白い~!」と、お腹を抱えてゲラゲラ笑ってくれた。

 

それまでだって、「面白い~!」と言われていたし、

そう言ってくれている友達は、私のことを好きでいてくれるのもわかるのだが、

どうしても、そこはかとない疎外感を感じてしまっていた。

 

けれども、丘りんの「面白い~!」からは、

なぜか、受容を感じたのだ。

 

え!? 「ふつう」じゃない私。

そんな私でいて、いいの? 的な??

 

齢50歳も超えてみると、以下のことがわかった。

 

いわゆる「ふつう」って、何?

「ふつう」って、幻想なんじゃないの? 

そもそも、自分以外の人になんて、なれない。

 

自分は、自分の人生を生きるしかないのだ。

 

けれども、「ふつう」仕様からの外れっぷりが

わりと大幅だったせいか、私は「ふつう」を追い求めてしまった。

 

丘りんに、ゲラゲラと笑ってもらうことで、

ようやく、私自身を生きようと思い始めたんだと思う。

 

なんか、ちょっと、いい話になってない??

 

後日談ですが。

マスコミ業界や、表現を生業としている人の中には

私みたいな人、一杯いた。(そういう人しか、いない。とすら思う)

 

でも、まーじーでー、「私」を生きるのは疲れるよ。

ほんっと、疲れる! 

 

他に選択肢ないんだから、仕方ないよね・・。

よっこらしょ! と、そんな気分の週明けです。