2024.5.20
人形供養の受付に行ったら、法要に参加できるという。
チラシの真ん中のあたりに、「当日正午よりご供養を始めます」とある。
★取材の許可を頂いています。
お焼香の列に並び、私もお焼香をする。
そして、思う。「できる限りのことをすると、罪悪感が軽減されるんだな」と。
親しい友人には、「私はプレゼントされるの、あんまり得意じゃない」とカミングアウトしています。
それはなぜかというと、プレゼント(人の想いを込めたもの)を手放すことに罪悪感を感じるから。
でも、できうる限りの供養をしたら、その罪悪感が軽減された。
ここまでは良い話ですが…。
最後に夫に余計なケンカを売ってしまう。人形供養の話をした後に、こう伝えたのだ。
「あのさ、手放すのが大変だから、これから消えもの以外のプレゼントって、もういらないから」と。
もちろん、夫は、超・拗ねていました。
「ひかるがいらないっていうのなら、俺が使うから」と。
プレゼントというのは人付き合い(夫含む)の一環であるからして、無碍には断れない難しい問題だと54歳の今は思う。
いつか、そーいうことも解脱できるのだろうか?
プレゼント交換の参加を巡って私が悶絶している話は、コチラ。
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