麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

タンホイザーよ、さようなら!

2024.7.22

指揮の阿部先生にパンフレットにサインして頂いた!

ワーグナーのタンホイザー

昨日は、私の所属するオーケストラの定期演奏会だった。

うちのオーケストラは年に2回、演奏会がある。

今期は、ドイツに行っていたこともあり、メインであるチャイコフスキーの交響曲第6番(悲愴)は涙をのんで降り番にした。(ビオラを弾く人間が悲愴を降り番にするのが正気の沙汰ではない話は、コチラ

その分、ワーグナーのタンホイザーと向き合う時間が確保できたので、自分なりに満足した演奏会だった。

タンホイザーを「好きな曲」に挙げる人は多いが(男性に多い印象)、聴くよりもオーケストラの中で弾いた方が、この曲の良さを堪能できると思う。

曲の構造が最高!

荘厳な構成とでも申しましょうか。弾く度に、フランクフルトの大聖堂の中にいるような気持ちになった。(フランクフルト大聖堂については、コチラ

もとい。ドイツという国で生活した経験が、ワーグナーの曲の理解に繋がっている気がした。(ドイツでの生活のスタートは、コチラ

仮面舞踏会は、有名な「ワルツ」を楽しく弾けて、これまた満足でした。ロシアという国にも、いつか足を踏み入れてみようと思う。

プロでも折り合いをつけている

今期の練習を通じて最も印象に残ったのは、レッスンで先生がおっしゃって下さった、「プロでも折り合いをつけているよ」という言葉。

演奏会直前というのは、「(こう弾きたいという)理想と(実際に弾けている状態である)現実のギャップ」を突き付けられる時期でして、毎回、プチ鬱になる。

鬱になっているのは他でもない私(ぴかりんA)ではあるのだが、そんな面倒な私を俯瞰する、もう一人の私(ぴかりんB)もいるのだから、マジで自分に付き合いきれない。

ぴかりんBは、こんな風に思っている。

鬱になるのは、本人の自由だとは思うよ。でも、好きでやっている趣味で、毎回、プチ鬱になるの、面倒なんですけど! 

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような自己矛盾を抱えるのが、毎回、しんどい。

だが、しかし。

「わかっちゃーいるけれど、やめられない」っていうやつだから、諦めてもいた。

DE。

その打開策として、今期は禁断(だと私が思っていた)である「先生にレッスンで譜読みに付き合って頂く」をお願いしつつ、ぴかりんAの「面倒な気持ち」も、毎回、先生に垂れ流していた。

曰く。

私はオーケストラの会計係なので、オーケストラには会計係として貢献します。(意訳:演奏としては貢献できない)

もうね、こういうことを書いているだけで、「ぴかりんA、面倒くさっ!」って思う。

先生、ごめんなさい。(懺悔)

ですが、世の中には、私みたいな人が一杯いると思うので開陳しておきます。

ようやく本題。

先生は、こんなふうにおっしゃって下さっていた。

プロだって、折り合いをつけながら弾いているよ。若い頃は折り合いがつけられなくて、本当に苦しかったけれど。

この言葉を聞いた時に、「そっか、若いということ(経験値が少ないということ)は、言いかえれば、折り合いつけられないってことなんだ」と思った。

これは何にでも言えることではないか?

仕事、人間関係、生活を回すアレコレ。若い頃は、全てにおいて「思うようにできない」という自己嫌悪が勝っていた。

今は、「できないもんはできないし。じゃあ、どう折り合おうか」みたいな思考回路が生まれている。

「楽器の演奏、その折り合い」の着地点

うちのオーケストラは80歳オーバーのお兄様、お姉様もいらっしゃって、昨日は、レセプションの場で、そんな方たちと、「いつ、オーケストラ参加をストップするのか。それを見極めるのが難しい」といったお話をした。

永遠の寿命がないように、「オーケストラを永遠に続けること」はできない。

母校の卒業生で構成されたオーケストラなので、団員は、私が学生の頃から、そう変化がない。

40年近く前から御一緒していた方たちが、オーケストラ活動の引き際を考え始めているという現実に触れて、切なくなった。

そんな漠然とした不安を、レセプション後の食事会で同世代の先輩(と言っても60代)に吐露してみたら、「私は、今回の演奏会で終わりにしても良いと思ったよ」とおっしゃっていた。

曰く。

悲愴、「やれるだけのことはやった」という気持ちがあるから

マジっすか、先輩!!!!

その先輩は、うちのオーケストラだけでも、おそらく60回くらいは演奏会に出ていらっしゃる。(他の演奏団体でも演奏していると伺っている)

毎回、安定感のある演奏で、オーケストラの中核を担う弾き手。そんな感じの存在です。(雑)

そういう存在であれば、「『今回で終わりにしても悔いはない』と感じる境地もあるんだ」と、これまた一つ勉強になりました。

人生が永遠でないように、私のオーケストラ人生も永遠ではない。

そうであるなら、どんな折り合いをつけ、納得する幕引きをするのか? そんなことを考え始めた今回の演奏会でした。