大人の「カタ」つけ

第9回 「食器棚」と「シンク上収納」 

2022.5.27

「日常使いの食器」は、2箇所の棚に

「食器をいれている棚」という意味では、我が家には食器棚がたくさんある。今、数えてみたけれど、ザっと10面くらいはあった。我ながら、どんだけ~! と、思う。

最もよく使う棚は、ここ
最もよく使う棚は、ここ

けれども、「日常使いの食器」は、2箇所の棚に収まっている。その棚に何をいれているか? もとい、どう考えて、そこにいれる食器を選んだのか? あたりから、今回は書いてみたいと思う。

「食器を置く場所」について考える時の最初の問は、「我が家の食事とは、何か?」である。

2022年5月は、こんな感じだ。朝は、タンパク質的なもの(焼き魚か卵料理が多い)にサラダを添えた1プレートと、ご飯、味噌汁。夜は、メイン(肉のことが多い)とサラダ、副菜、ご飯、汁物である。

このメニューから考えるに、必要な食器は、朝は1枚のプレート。夜は、①メインを盛る器 ②サラダを盛る器 ③副菜を盛る器。この他に、ご飯茶碗と汁物用のお椀である。

結論から言うと、今、我が家でフル稼働している器は、下記のイッタラ。「イッタラしか、勝たん!」という勢いで使い回している。

なにせ、丈夫。「食べたものは自分で洗うルール」なので、ぼっちゃんたちの乱暴な食器洗いでもビクともしない。「デザインは、色のみ」という潔さも、好みである。スタッキングもしやすい上に、料理が映える。

洋物の料理はもちろん、和物の料理(たとえば鶏肉と大根の煮物)でも、右側のボウルにゆったりと盛れば、「メイン料理でっせ!」という主張をしてくれる。

メイン料理という「柱」が決まれば、あとは、副菜の小鉢を1品を作り、納豆やメカブを並べれば、「夕食の食卓チック」になる。

・・・とここまで書いて気がついたが、「食器」は語り出したら止まらない。回を改めて語ることにして、今回は、ザザっと流していきます。

フル稼働しているのは、北欧食器のiittala(イッタラ)
フル稼働しているのは、北欧食器のiittala(イッタラ)

「どんぶり」を求めて三千里

もう一つの棚は、こちら。この棚のテーマは、「どんぶり」だ。私は、長らく「どんぶり」のマイベストを見つけられずにいた。その理由は、「5人家族なんだから、どんぶりは、5つお揃いでなければならない」と、思い込んでいたからだ。

謎の、どんぶり縛り。「なぜ、どんぶりに縛られては、いけないか?」というと、どんぶりは場所はとるし、重たいからだ。

「どんぶり」について語ってみる。
「どんぶり」について語ってみる。

今は、「大きいどんぶりは、2つあればいい」ということにしている。小さいどんぶりを合わせれば、合計で5つになる。「家族全員揃って、どんぶりが必要な食事(汁物の麺類)をする」ということが少なくなったというのは大きいが。

ちなみに、たとえば、ちらし寿司や、冷やし中華など、「どんぶり、必要?」という料理も、汁物がなければ前述のイッタラの大きい方のボウルに盛っている。「大きいどんぶりを5つ持っておかなければならない!」という呪縛からの開放感は、とてつもなく大きい。

大きいどんぶりは、白山陶器のもの。小さいどんぶりは、アラビアのkoko(ココ)の500mlの方です。「どんぶり」という器の形態自体、「とっぷり」とした質感を醸し出すので、デザインはスタイリッシュなものが好み。でも、いずれは「漆系のどんぶり」も欲しいかなぁ‥・。

ここまでツラツラ書いて、私が器に求めるものは、「軽やかさ」だと思った。「大きなどんぶりを片手で出し入れする」という動作をイメージすると、億劫さが沸き起こる。

日々の食事は、毎日のこと。1ミクロンでも億劫さがあると、続かない。それゆえに、「私は、何が、億劫だと感じているのか?」という自問自答が必要なんだと思った。

最近買ったkoko(左の3つ)は、使うたびに嬉しい。
最近買ったkoko(左の3つ)は、使うたびに嬉しい。

鍋には、「今日も、元気かね?」と、声をかけたい。

鍋には、「今日も、元気かね?」と、毎日、声を掛けたい。もちろん、これは比喩的な意味だけれど…。「三日にあけず」という言葉があるが、最低限、それくらいの頻度では、使いたい。言い換えれば、「それくらいの頻度で使う鍋以外は、持たない」ということだ。

3つしか鍋がないね。。。
3つしか鍋がないね。。。

写真で見ると鍋が3つしかないが、この他にも鍋はある。(別のところに置いてある) この3つの鍋で言えば、最上段のアルミ鍋が、メイン料理用である。煮物や煮込みハンバーグといった「煮る料理」は、食べ盛りの息子3人がいると、このサイズが必要だ。

同じサイズのフィスラーの鍋も持ってはいるが、重厚ゆえに重く、こちらの鍋の方が登板回数は圧倒的に多い。「鍋底に穴が開く」という表現があるが、この鍋、もうすぐ穴が開きそうです。こちらは比喩的な意味ではなく、本気で開通しそうな勢いで使っている。

下の写真は、シンク右側の棚。ラップ類や、「大物の保存容器」などが入っている。ラップ類は、「予備」の在庫まで一目でわかるように仕組化した。

一段目の「大物の保存容器」は、実家から持ってきたもの。昭和の時代の製品で、少しレトロなこの雰囲気がとても気にいっている。

ラップ類の在庫を「仕組化」した棚
ラップ類の在庫を「仕組化」した棚

台所の天袋は、「日常使い」と「思い出コーナー」の混在

最後は、食器棚の上にある天袋である。天袋は、「死蔵エリア」になりがちだと思う。ゆえに布巾を収納する場所に指定し(私が、だが)、毎日、換気ができる工夫をした。

この棚の上段は、敢えて透明ストッカーにしている。なぜなら、「見えていないと、あるのを忘れてしまうから」。どうやら、私は、「道具は、使ってあげてこそ!」という気持ちが強いようだ。

上段は、透明ストッカーで「見える」収納
上段は、透明ストッカーで「見える」収納

「道具は、使ってあげてこそ!」と述べた、その舌の根が乾かぬうちに、下の写真の「棚の上段にあるお菓子の道具類」は、最近、めっきり使っていません!

息子達が幼い頃、「お菓子作り」は、彼らと私の遊びの一環だった。そのお陰で、彼らにとって「自分でお菓子を作ること」は、日常とそう遠い話ではないと思う。長男は高1の時、「とてつもなく暇だ」とケーキを作っていた。

幼い息子達と過ごした「思い出の品」を、2022年5月の私は、未だに手放すことができていない。何なら、「もし孫が生まれたら、一緒にお菓子作りをしたいな!」という野望すら持っていることを、ここに開陳しておきます。

下段は、お茶類のストッカーです。ここは、布巾と同様、「毎日使うもの」を組み入れました。置き場は天袋だけれど、「ストッカーにいれて、引っ張り出して使う」は、使い勝手としては良好で、おすすめです。

上段は、「思い出の品」コーナーになっている
上段は、「思い出の品」コーナーになっている

「食器棚」と「シンク上収納」の「カタ」

2022年5月現在

1)食器類は、「軽やかさ」が命

2)「億劫さ」に、敏感でいよう!

3)どの扉も「開ける工夫」を取り入れ、死蔵エリアを作らない。