生産性があればエライのか?

2018.8.6

今日の午前中は、教育関係の取材でした。

そこで、例の「生産性がない」発言の議員の話になり。

 

どーでもいいけど、あの方、50代なのね・・。

50代で、あれはイタすぎるだろ。

 

私は、若い不勉強なオネエちゃんが、

ウッカリ発言しちゃって叩かれている。と思っていたあるよ。

 

で。

 

「みんな、違って。みんな、いい by 金子みずす」的なことは

40代以下であれば、多くの人に賛同頂ける世の中になって参りました。

(オジサンは無理だがな・・。根性とか、気合い とか本気で言いやがる)

 

 

でも、教育現場では、

それを実現しようとするとジレンマがあるよね、という話。

 

たとえば、小学校の担任の先生場合、

集団を動かせて、その次にやっと、個の尊重をしよう! という気持ちになれる。

 

たとえば、ママの場合。

集団の中での「最低限のお行儀」がクリアできて、

その次に、我が子の個性とは? をやっと考える、という気持ちになれる。

 

そんな話をする中で、

「生産性がある方がエラいというベクトル、

やっぱり本当に、問題だよね」

という部分で意見は一致。

 

優性思想のようなもの。

人に優劣をつけて判断するようなもの。

 

100歩譲って。

20世紀だとか、高度成長期の時とかならばともかく、

21世紀になり、経済成長が「円熟期」に入った日本で、それは、どうかと思う。

 

人生100年時代。

 

「本物の老人ワールド」の取材が増えている私としては、

 

どんな人でも、

「生産性がなくなる時期、局面」は、

やってくると思うのだ。

 

鉄の女と言われたサッチャー首相だって認知症になったんだから、

「生産性」というのは、自分の意志とは別のところにある。

くらいの気持ちを持っておかないと、あとあと自分が苦しくなる。

 

それにしても。くだんの国会議員は、

自分のことを、「ワタクシは、生産性がある人間でございます」

とか思っているのかしら?

 

だとしたら、それが一番、恥ずかしいことだと思う。

 

そんなことをツラツラと考えている時間は、

「生産性はない」かもしれないけれど、かーなーり、好きな時間です。

 

私の日々の暮らしの中で、

生産性がある時間の方が少ないわ。

それだけは、断言できる!(自慢気)

 

さて、午後の仕事、するかー。