麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

音の葉感謝祭に行く 半日

2014.12.6

音楽家達

【気さくな音楽家たち】

 

美しい共同体を見た。

それは、こんな3つの立場から構成されている。

 

一つ目の立場は、演奏家。

「演奏せずにはいられない」
「自分たちが一番と思う演奏をお客様にお届けしたい」
「演奏を喜んでくださる方と巡り逢えることが嬉しい」と、
 更に上を目指して努力する彼らの姿には気高さを感じる。(音の葉HPより)。

 

二つ目の立場は、プロデューサー。

そんな若い演奏家たちと支えあい、共に悩み考えながら、
彼らが誇りを持って「自分たちが一番いい!」と思う演奏を
 届ける場を作っていきたい! と思っている。(音の葉HPより)。

 

三つ目の立場は、お客さん。

「音の葉は私のパワースポットなんです」

「同じ楽器でも、奏でる人で音色が全く違う。それは目指している

音楽が違うからなんだと思います。そういうのを聴きこみ始めると

ハマっちゃうんですよ」といった声を感謝祭で聞いた。

 

この共同体には、どの立場も不可欠で、

それぞれの立場の人たちが、それぞれに素敵だから、

こんなに美しく調和のある共同体ができあがっているのだと思った。

 

 ●

 

仕事柄、お金の専門家や実務家に会う機会は多いが

そんな中の、ある人は、

「未来には、お金なんて必要なくなりますよ。

みんなが自分が心から好きなことをやることで

共同体が成り立つようになるから」と言っていた。

 

その話を聞いた時、正直、「は?? 何、言ってるの?」と思ったが、

音の葉感謝祭に行って、その話を思い出し、

「そういう未来、ありえるかもしれない」と感じた。

ちなみに、この話をしてくれた人は、バリバリの実務家の人だ。

 

シェイクスピアの作品を読んで一番驚いたのは、

登場人物が、いきなり決闘とかして人を殺しちゃうこと。

広場で敵に会ったからって、「決闘だ!」とか言いながら、

人を切りつけちゃうって、すごくない??

でも、あの時代は、そういう文化だったのだろうし、

世の中の真実だった。

 

今、お金が世の中の多くの人を動かしているけれど、

百年後の人達から見れば、「お金?? 何それ?」と言っているかもしれない。

そんな未来を夢想した。

 

つまりは。

音の葉には、お金ではない、「人を動かすエネルギー」があった。

あれは何なのだろうか?

 

音楽の話をするはずだったのに、話がずいぶん遠くにいってしまった。

 

最後に

・「音の葉」ホームページからの抜粋と、

・音の葉に行った時の私の感想文をのせておく。

(感想文は音の葉のメルマガに寄稿したもの)

 

 

 

音の葉 Home Concert 息づかいさえ、音楽に

http://otonoha-concert.com/

 

◆音の葉とは?◆

毎日ご飯を作る。
食器を選んで盛り付ける。
味わって食べる。
布団を干して、部屋を片付ける。
庭の花を切ってきて飾る。
お茶とお菓子を楽しみながら友人とおしゃべりする。
暑い日には玄関前に水をまき、寒い日には甘酒を作って家族を待つ。

ごく普通の暮らしを大切にしたいと思ってます。

そしてそんな普通の暮らしの中にいつもある…
それが音の葉 Home Concertが目指す音楽です。

お茶やお菓子を片手に、演奏をお楽しみください。
そしてもちろん普段着のままおいでください。

もう一つ、音の葉 Home Concertが大切にしていることがあります。

この世の中で若い演奏家たちが演奏し続けることは本当に難しいことです。
それにもかかわらず
「演奏せずにはいられない」
「自分たちが一番と思う演奏をお客様にお届けしたい」
「演奏を喜んでくださる方とここで巡り逢えることが嬉しい!」と、
更に上を目指して努力する彼らの姿には気高さを感じます。

そんな若い演奏家たちと支えあい、共に悩み考えながら、
彼らが誇りを持って「自分たちが一番いい!」と思う演奏を
お届けする場を作っていくこと、
それが私たちが大切にしているもう一つのことです。

どうぞ音の葉 Home Concertに足をお運びください。
演奏家たちの呼吸までもが伝わる距離で、あなたのための演奏をお届けします。

音の葉 Home Concert 代表 ながはら ゆうこ

 

◆音の葉メルマガへの私の寄稿文◆

 

共働きで、中学生一人、小学生二人の男児の母。
週末はサッカー少年団の役員として、
試合か練習に付き添うサッカー三昧。
これが今の私の日常だ。

ある夏休みの朝、息子達は泊りで出かけていなかったので、
インタビュー記事を読んで気になっていたフルートの下払桐子さんの公開練習に
行ってみることにした。

「事前予約が必要」と書いてあったけれど、当日の朝なのでそれも無理。
お店に連絡してみたが、まだ誰もいなかった。
吉祥寺にある我が家から、クルミドコーヒーまでは45分はかかる。
「席がなかったら、どこかでお茶して帰ってくればいいや!」という気分で
出かけることにした。

到着したのは、公開練習が始まって少し経った頃。
店内は、案の定、満席で、階段の踊り場に椅子を置いてもらっての
無理やりに近い入場だった。(すみません!)

私の席からは、直接、演奏者を見ることはできない。

珈琲を飲みながら、踊り場にある本を読む。
合間に、気になったフレーズだけ公開練習を見に行く。
そんな”とりとめのない感じ”が、すごく心地良かった。

”クラッシックを聴きに行く”という行為は、
オシャレして、ヒールを履いて、電車に乗って
遠い街にあるコンサートホールに行かなければならないこと。
と思っていた。

その”工程”を考えるだけで眩暈がして、
クラシックから縁遠くなってしまっていた。
だからこそ、
そうではない、クラッシック音楽の楽しみ方が新鮮だった。

生音は、やっぱり違う。
喉が渇いていたんだな、と自覚した。
普段は、およそ”文化的なもの”と無縁な生活だから、
砂漠の中で見つけたオアシスの水のように
体の中に音が沁み渡った。

「朝、クラッシックの演奏を聴きに行く私」に
酔っている部分も多分にあるだろうけれど。
でも、それでもいいではないか!

たまに、こうして音楽を、生の音楽を聴きに来よう。
帰り道、心の中でそう繰り返し思った。
音の葉スタッフ

【大工の恰好で第九を歌う音の葉スタッフ】