幻想交響曲と青春の痛み

私が所属するオーケストラの来夏の演奏会の曲目が決まった。

 

ベルリオーズの幻想交響曲

 

この週末、久しぶりに、この曲を聞いて胸が痛んだ。

青春の痛み、とでもいおうか?

 

「まだ、心が痛むんだ」と、驚いた。

 

 

私が学生だった頃というのは、バブル真っ盛り。

 

女子大生(死語?)だったというのに、

ユーミンとか、カフェバーとか、ティファニーとか、

クリスマスのホテルでのコース料理なんかと、無縁だった。

(あの時代、大学生のカップルがホテルでコース料理を食べていた)

 

全く関係がなかった。見事に!

 

ひたすら。

 

ビオラが、(上手に)弾けない。

 

そんな気持ちに囚われて、ヒマさえあれば

大学構内にある埃っぽい空部屋で、楽器をさらっていた。

 

けれど、弦楽器なんて、そうそう上手にならない。

 

常に、常に、ミジメな気持ちだった。

 

とりわけ高音域が上手に弾けなくて(音を外してしまうのだ)

その上手に弾けなかった箇所を、

47歳の今、聞いても心が痛んだ。

 

学生時代、早稲オケが幻想をやって、聴きにいった記憶がある。

高音域のピッチがきれいに揃っていて、

「私がいるから、うちのオケのピッチは揃わないんだ」と思った。

 

自分がまるで衣服を汚す「シミ」のような存在な気がして、

生きているのすらイヤになった。そんな気分を思い出した。

 

 

ビオラに恋をしていた。

 

社会人になって、仕事が忙しくなって

ビオラへの傾倒は、「実社会」という重しによって、

少しマシになって、生きるのが楽になってきた。

 

学生時代の友達には、よく言われた。

「何で、そんなにビオラに一生懸命になるの?」と。

 

そんなの自分でもわからなかったのだけれど、

47歳になった今は、あの頃の自分に感謝したい。

 

あの頃、一生懸命だったからこそ、

生涯を通じて向き合える趣味の「根っ子」ができたのだと思うし、

同じような気持ち(テンション)で音楽に向き会う仲間もできた。

 

今でも「幻想を弾く」と思うだけで、ドキドキする。

昔よりは上手に自分と折り合いながら、来年7月までを過ごしたいな。