2018.10.9
チケットをとってくれたのは、安定のパタちゃん。
随分前に、パタちゃんと私は
という話をしたことがあった。
ぱたちゃんは、「お楽しみ会」に一緒に行く仲間であり、
私のスケジューラーでもある。
「こういうの、行きたい」と呟いておくと、
いつの間にか、チケットをとっておいてくれる。
すごくね?
で。
随分前の話し合いの時に、
という結論になっていたと思われる。(多分・・ね)
(ご冥福をお祈りします・・)
で。
夏の始めの頃、パタちゃんから電話がかかってきて、
「黒柳徹子、チケットとれたよ」と、言うではないか!!
だったら、自分でチケットとれよ、的な??
●
しかも、今回は、黒柳徹子の海外コメディ・シリーズの
そりゃ、そうだよね。
と、思っていたが。ごめん、徹子さん!!!!
今回、主人公が「義足」という設定だったから、
それ以外の時間である
「75分(前半) + 60分(後半)」
演者は、ほぼ、4人。
徹子さんは、長椅子か車椅子に座りっぱなしで、
セリフ回しだけの舞台だったのに。
黒柳徹子さんって、すごい演劇人だったんだね・・。
●
戯曲としての完成度が、素晴らしい! と、思ったからだ。
『ライオンのあとで』は、史実と創作を織り交ぜつつ、
サラ・ベルナールの生涯と舞台のエッセンスを、限られた時間と
場面の中にうまく凝縮した話である。(パンフレットより抜粋)。
舞台は、フランス、ボルドー近くにあるサラの別荘。
大女優だったサラは、70歳になり、仕事もなく、借金は膨れる一方。
その上、公演中に起きた事故でケガをした右足の痛みは
日に日に増し、ついには膝上からの切断手術をサラに決意させる。
手術のために白羽の矢を立てられたのは、若き軍医・デヌーセ少佐。
「聖女」と敬われるサラの体にメスを入れ、義足にすることに葛藤する
少佐に対して、サラは、こう言い放つ。
手術は成功したがサラは歩けるようにはならず、
法王が乗るような神輿での移動を思いつき、
戦争の最前線への慰問を果たす。
サラの前線慰問はマスコミに大きく取り上げられ、
世間の人々に彼女の存在を思い出させることに成功するが、
新たな出演依頼が来ることはなかった・・。
失望するサラのもとに、
アメリカの興行師から公演依頼が届く。
喜ぶサラ。
けれども、それはサーカスへの出演依頼だった。
●
サラは、「あれほどの、悲嘆の涙を見たことがない」と使用人が言うほど、
この出演依頼に嘆き悲しんだが、出演を承諾する。
「栄光は通りすぎる」と使用人が何度も言うのだが、
過去の栄光にすがることなく、現実を受け入れるサラの姿に、
「風と共に去りぬ」のスカーレットの最後のセリフを思い出した。
私は、日本語訳の「テラよ!」で記憶していたが、
今、ネットで調べてみたら、上記でした。
この英文を、どう日本語に訳するか? は、
その時々の自分によって、違ってくるんだろうね・・。
「ライオンのあとで」に話を戻すと。
というサラの姿勢に、私は、とても共鳴しましたー。
●
(色々なトラブルを起こし)
劇団との軋轢で疲れたサラは、一時は演劇を辞めることも考えたが、
そこにアメリカの興行師から声がかかり、自らの劇団を立ち上げ世界各地を
巡業することを決意する。
サラ・ベルナールの名は報道メディアを通じて、
フランスの名女優、またスキャンダルの女王としても国際的に知られており、
その興業には大きな収益が見込めたのだ。
実際、公演は記録的な利益をあげて、
浪費家で借金に追われるサラには不可欠な収入源となり、
その後、幾度も長期にわたる世界巡業が行われている。
(中略)
格調高い劇を演じたサラがこうした作品に出ることを
惜しむ声が多かったのも事実である。(中略)
劇団経営者として黒字が見込める作品を選ぶことも、
商業演劇に身を売った行為として非難され、
拝金主義のユダヤ人というステレオタイプで揶揄された。
こうした声をはねのけるように、
サラは確実に集客できる作品だけでなく、
より創造的な舞台にも挑戦する
●
これを両立するのは、なかなか難しい。
先日も、とある媒体様の定例会議があったのだが。
という記事の数字が伸びないという現実は、普通にある。
自分の20年のライター人生を振り返ると。
そのぶり返し!? で、
どっちの方向にも、針を極端に振ってみた結果、
みたいな感じのところに落ち着いています。
だから、サラの
と
両方ともに取り組むという姿勢、とても共感する。
どっちもやってみて思うのは、
「確実に数字がとれる興業」と「創造的な舞台にも挑戦する」は、
相反するものではないということ。
今は、そんな気分でいることを書いておこう。
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