2016.8.23 今こそ、ちゃんと母になろう 【我はいつから主婦になったのか? 15】
の続きです。
過去記事は、ブログの「主婦のよろめき」というホルダーに入っています。
2016.8.24
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2005年2月7日(月)の育児日記より
11:30AM
ちょっと興奮モードなので、これを書いて気を静めようと思います。
只今、有賀先生の産後初の診察が終わりました。
いわく「赤ちゃんが、とっても賢かった」と。
双子の間に体重差が出ておらず、出生の時に血が濃い・薄いがあるのは、
血流の差が急激に起こったとのこと。
「このままだと(こういう状態が長く続いていると)危険だった」と。
たとえば37週、2000g超にこだわって、ウテメリンで抑えつけていたらと
思うと空恐ろしい。
さらに言えば、そういう教科書通りのドクターだってたくさんいるだろうに、
有賀先生は、「ここまできたら、自然に任せましょう」という判断をしてくれた。
小児科の先生が、
「有賀先生は、一番いい状態(★1)で小児科に引き渡してくれるので本当に助かっている」
と言っていた。
★1:私が入院していたのは、乳児ICUが併設されている病院。
有賀先生は、北海道内でも有名な産婦人科の名医で
「難しい妊婦さん」が有賀先生を頼って、その病院に大集合していた。
ゆえに、生まれてくる赤ちゃんも「危険な状態で、手当が必要」な場合が多かったのだ。
うちの双子にとっては、あの時が生まれてくるベストだったんだと思う。
橋をぼんやり渡っていて、
向こう岸について後ろを見てみたら、
橋が全部落ちていた、みたいな感じがします。
さて。ここまで長々と「あの時が我が家の双子にベストだった」と書くには訳がある。
やっぱりねー、「37週・2000g超え」にこだわっている私がいるからでして。
そもそも、上記の条件は、どこから出てきたの? と言われても、
わからないのにね。
自分で勝手に線引きして、
勝手に「ちゃんと産んであげられなくてごめん」と
卑屈になっている。バカみたい。
でも、これって、これから育児していく上での、
とても大きな教訓と自戒になったなと思う。
きちんと肝に命ずること。
そして大局を見失わない母でいられるように、
これから努力していくこと!!!!!
2019.6.7 更新
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