黒柳徹子主演 海外コメディ・シリーズ ファイナル公演

2018.10.9

黒柳徹子主演 海外コメディ・シリーズ ファイナル公演

「ライオンのあとで」を観に、

EXシアター六本木まで行ってきた。

 

チケットをとってくれたのは、安定のパタちゃん。

 

随分前に、パタちゃんと私は

「私たちは、今後、何に行くべきか?」

という話をしたことがあった。

 

ぱたちゃんは、「お楽しみ会」に一緒に行く仲間であり、

私のスケジューラーでもある。

 

「こういうの、行きたい」と呟いておくと、

いつの間にか、チケットをとっておいてくれる。

すごくね?

 

で。

 

随分前の話し合いの時に、

「美和明宏と黒柳徹子と、郷ひろみ(ディナーショー)だよね」

という結論になっていたと思われる。(多分・・ね)

 

ちなみに、西城秀樹は、二人で一緒に見たことがある。

(ご冥福をお祈りします・・)

 

で。

 

夏の始めの頃、パタちゃんから電話がかかってきて、

「黒柳徹子、チケットとれたよ」と、言うではないか!!

 

「パタちゃん、ぐっじょぶ!!!!! エライ」と、

私が大興奮したのは、言うまでもない。

だったら、自分でチケットとれよ、的な??

 

 

しかも、今回は、黒柳徹子の海外コメディ・シリーズの

ファイナル公演だというではないか。

 

そりゃ、そうだよね。

徹子さん、いい御年だもんね

 

と、思っていたが。ごめん、徹子さん!!!!

すごい、求心力だったよ。

 

今回、主人公が「義足」という設定だったから、

舞台の上で徹子さんが「立った」のは、

フィナーレの一瞬のみ。

 

それ以外の時間である

「75分(前半) + 60分(後半)」

演者は、ほぼ、4人。

 

徹子さんは、長椅子か車椅子に座りっぱなしで、

セリフ回しだけの舞台だったのに。

 

全く飽きることなく、魅せてくれた。

 

黒柳徹子さんって、すごい演劇人だったんだね・・。

 

これを書いている翌日は、

まだ、あの求心力の余韻に浸って

ボーっとしている・・・。

 

 

「ライオンのあとで」という劇についても

書いておこう。

 

戯曲としての完成度が、素晴らしい! と、思ったからだ。

 

『ライオンのあとで』は、史実と創作を織り交ぜつつ、

サラ・ベルナールの生涯と舞台のエッセンスを、限られた時間と

場面の中にうまく凝縮した話である。(パンフレットより抜粋)。

 

サラ・ベルナールは、1844年パリで生まれた

実在の人物で、一世を風靡した大女優。

 

舞台は、フランス、ボルドー近くにあるサラの別荘。

大女優だったサラは、70歳になり、仕事もなく、借金は膨れる一方。

 

その上、公演中に起きた事故でケガをした右足の痛みは

日に日に増し、ついには膝上からの切断手術をサラに決意させる。

 

手術のために白羽の矢を立てられたのは、若き軍医・デヌーセ少佐。

「聖女」と敬われるサラの体にメスを入れ、義足にすることに葛藤する

少佐に対して、サラは、こう言い放つ。

 

「お芝居で大事なのは、目に映った姿ではなく、

お客様の想像力に火をつけること」

 

手術は成功したがサラは歩けるようにはならず、

法王が乗るような神輿での移動を思いつき、

戦争の最前線への慰問を果たす。

 

その情熱は前線の兵士たちにも届き、

喝采がサラを包む。

 

サラの前線慰問はマスコミに大きく取り上げられ、

世間の人々に彼女の存在を思い出させることに成功するが、

新たな出演依頼が来ることはなかった・・。

 

失望するサラのもとに、

アメリカの興行師から公演依頼が届く。

喜ぶサラ。

 

けれども、それはサーカスへの出演依頼だった。

「出番は、ライオンのあと、ゾウの前」と。

 

 

タイトルが、本当に秀逸だと思った。

 

この劇に、

「ライオンのあとで」と名付けるウィットさ!!

 

サラは、「あれほどの、悲嘆の涙を見たことがない」と使用人が言うほど、

この出演依頼に嘆き悲しんだが、出演を承諾する。

 

そして、彼女がサーカスの舞台に立つ瞬間で、

舞台はフィナーレ!

 

「栄光は通りすぎる」と使用人が何度も言うのだが、

過去の栄光にすがることなく、現実を受け入れるサラの姿に、

「風と共に去りぬ」のスカーレットの最後のセリフを思い出した。

 

「Tommorow  is another day」

 

私は、日本語訳の「テラよ!」で記憶していたが、

今、ネットで調べてみたら、上記でした。

 

この英文を、どう日本語に訳するか? は、

その時々の自分によって、違ってくるんだろうね・・。

 

「ライオンのあとで」に話を戻すと。

 

「現実は現実として

受け入れて、尚、今を生きる」

というサラの姿勢に、私は、とても共鳴しましたー。

 

 

史実に話を戻すべく、ふたたび、パンフレットからの抜粋。

 

(色々なトラブルを起こし)

劇団との軋轢で疲れたサラは、一時は演劇を辞めることも考えたが、

そこにアメリカの興行師から声がかかり、自らの劇団を立ち上げ世界各地を

巡業することを決意する。

 

サラ・ベルナールの名は報道メディアを通じて、

フランスの名女優、またスキャンダルの女王としても国際的に知られており、

その興業には大きな収益が見込めたのだ。

 

実際、公演は記録的な利益をあげて、

浪費家で借金に追われるサラには不可欠な収入源となり、

その後、幾度も長期にわたる世界巡業が行われている。

 

(中略)

 

格調高い劇を演じたサラがこうした作品に出ることを

惜しむ声が多かったのも事実である。(中略)

 

劇団経営者として黒字が見込める作品を選ぶことも、

商業演劇に身を売った行為として非難され、

拝金主義のユダヤ人というステレオタイプで揶揄された。

 

こうした声をはねのけるように、

サラは確実に集客できる作品だけでなく、

より創造的な舞台にも挑戦する

 

 

「表現をすること」 と 「商業的な成功」

 

これを両立するのは、なかなか難しい。

 

先日も、とある媒体様の定例会議があったのだが。

 

私が、ライターとして、

「これこそ、みんなに知っておいて欲しい!」

という記事の数字が伸びないという現実は、普通にある。

 

自分の20年のライター人生を振り返ると。

 

「数字をとる」ということに、

躍起となっていた時期もある。

 

そのぶり返し!? で、

 

「本当に大切だと思うこと以外は、書きたくない」と、

ふて腐れていた時期もある。

 

どっちの方向にも、針を極端に振ってみた結果、

2018年現在は、「どっちも、大事」

みたいな感じのところに落ち着いています。

 

だから、サラの

「確実に数字がとれる興業」

「創造的な舞台にも挑戦する」

両方ともに取り組むという姿勢、とても共感する。

 

どっちもやってみて思うのは、

「確実に数字がとれる興業」と「創造的な舞台にも挑戦する」は、

相反するものではないということ。

 

お互いの存在が、お互いの栄養になると思う

今は、そんな気分でいることを書いておこう。