2020.1.14
※ 本記事は、3回の連載企画です。
コチラから読んで頂く方が、スムーズかもしれません。
長男が武蔵に通っていた6年間、
昨日ご紹介した梶取弘昌さんは、武蔵の校長先生でした。
「梶取校長」とお呼びする方が馴染みがあるので、
以後は、そのような呼称で話を進めます。
武蔵は、今の東大総長の五神真さんなど、
日本を支えるアカデミックな人材を、たくさん輩出しています。
五神さんが、武蔵の学園祭にいらして下さった時の感想を
ブログに書いたことがありました。
東大総長の話を聞く 2時間
と題された上記講演会では、何度も「人類として」という言葉が出てきました。
五神さんは、「友人がノーベル賞を取る」みたいな
立ち位置にいらっしゃるようで、そういうお立場だと
「人類として」という発想になるのか!と、感銘を受けたものです。
五神さんのような方を輩出する学校である武蔵は、
いわゆる「受験競争、的なカホリ。」とは、
全く!!! 本当に、全く無縁の学校でした。
武蔵の保護者会に通いながら、
私は、よく考えていました。
そんなふうに感じています。
武蔵の広報誌の中に、sense。の説明があったので、抜粋しておきます。
横井氏は『senseの意味を4つ』とことあるごとに生徒に尋ねた。
これは「感覚・意識・判断力・意味」で、語呂もよく
すぐに覚えられそうなのだが、生徒たちは毎回しどろもどろになった。
それは、この4つの深い抽象性をもつことばが、経験と認識に裏打ちされた
母語として身についていないことの証だった。
この質問は、生徒たちがsenseは単なる感覚ではなく、
多重な意を含んでいることを自身のことばで自覚できるまで繰り返された。
この文章を読んで、花まる学習会の高濱正伸さんを取材させて頂いた時の
ことを思い出しました。 記事(※)の中で、私は、こう書きました。
アメリカでMBAをとるような一流のビジネスパーソンたちの間では、こぞって絵を描いたり、音楽に親しんだりなど、アートへの関心が高まっているそう。イギリスでは、教科のなかに国語や算数と並んで演劇もあり、先生になるために演劇学を学ぶところもあるのだとか
※ 記事全文は、コチラ。
「これから必要なのは、”自走できる子” 家庭でできる「力」の伸ばし方」
それは、アートに触れると、sense。のアンテナが磨かれるから。
いや、反対かな・・・。
アートをキャッチするためには、sense。が必要。
まぁ、とにかく。
だと思います。
話がとっちらかってきたので、収束させます・・・。
武蔵という学校には、梶取校長をはじめとして
sense。がある先生がたくさんいました。
その大前提として、sense。をキャッチできる生徒が
たくさんいたのですが。
そして、そんな生徒を育むご家庭は、
やっぱりsense。があって。
そんな武蔵で過ごした6年間は、豊かだったなぁ、と、あらためて。
明日は、梶取校長の音楽講座の感想、
「ルネサンスの音楽」の話を書いてみる予定です。
(本記事は、3回の連載企画です)
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