2020.1.15
※ 本記事は、3回の連載企画です。
コチラから読んで頂く方が、スムーズかもしれません。
昨年の12月、私が所属するオーケストラの演奏会で
けれども、梶取校長の音楽講座を拝聴して、
「ラフマニノフが弾けなかったくらいで、
音楽、ヤダ! とか思わなくても良くない? 」と、思った。
その第1回目は、ルネサンスの音楽。というタイトルで、
西洋音楽300年の歴史の、最初の150年間のお話だった。
第1回目の講座で、最も心に響いたことは、
という点。
昔のものだからといって、「拙い」とか「未完成」という訳ではない。
講座は、
「ルネサンスの音楽」を音楽史の中で捉えるあたりから話が始まり、
を、実際にピアノの和音で聴かせて下さった。
現代に生きる私たちが、「美しいとしている響き(ド・ミ・ソ)」は
ルネサンスの時代より、ずっと後に出てきたそう。
「音楽の歴史」を少し裏打ちして頂くだけで、
音楽が、急に身近に感じた。
今までも、それなりに身近だったのだけれど、
(私の中で)ヨソヨソしい気持ち、
もとい、遠巻きに眺めている感覚。
でも、まぁ、そこまで
ガチガチに緊張して音楽と向き合わなくても
良かろう! という気になった。
人間にとって、音楽は、
自然と同じで、「ただ、そこにあるもの」だから。
そんなことを体感したのかもしれない。
●
講座では、「ルネサンスの音楽」を軸にした
音源(CDや映像)も、たくさん、たくさん、聞かせて下さった。
この講座のバックボーンには、
どれだけの音楽経験があるんだろうと
クラクラと、眩暈がした。
以下、覚書として。
●ルネサンスの頃の楽譜を初めて見た!
●西洋音楽は、1拍目が強拍
→ 以前、チャイコフスキーの曲を練習をしている時
「これは、タッカ、タッカという、蹄の音なんだよ」と
表現して下さった先生がいたけれど。
「馬に乗ったことないし・・」と、農耕民族の私は困惑した。
1拍目が強拍。この表現だと、すごく伝わってきた。
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