麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

「子どもを育てられるなんて思わなかった」を読んで。

2024.1.5

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『子どもを育てられるなんて思わなかった LGBTQと「伝統的な家族」のこれから。古田大輔編 杉山文野/松岡宗嗣/山下智子 山川出版社』 

上記の本を読んだ感想の覚書です。

生まれた命が生き抜ける社会を

取材で、初めて多様な性(LGBTQ)の当事者団体の方にお会いしたのは、2017年頃だったと思う。教育雑誌の「多様な子どもへの配慮や支援」という連載の中で、発達障害のある子や虐待を受けている子、外国人児童、LGBTQの子についての配慮や支援を考えた。

その時の話は、このブログに何回も書いている。強烈な印象だった。

取材で、初めて当事者団体の方とご挨拶した際に、「生まれた命が生き抜ける社会を!」と名刺に刷ってあったこと、今でも鮮明に覚えている。

「今年から、わざわざ、この文言をいれたんです」と、おっしゃっていた。

LGBTQ+の子どもたちの命を守る法整備

あの日以来、機会があれば、多様な性について学んでいる。

同性婚裁判

全国5カ所で一斉に始まった裁判

法律上同性カップルが結婚できないことは違憲だと国を相手取って訴える訴訟は、2019年に札幌・東京・大阪・名古屋、福岡で始まった。

違憲という判決を勝ち取った先には、同性婚の法制化という目標がある。

憲法14条に違憲する

本から抜粋をする。

裁判長は「婚姻」の目的について、必ずしも子どもを産み育てるためだけでなく、永続的な共同生活の保障が本質であると指摘した。その点において、異性愛者と同性愛者の違いは「性的指向」のみであると述べたのだ。

さらに、性的指向は性別や人種と同じように、自分の意志で変更することができない属性であるため、圧倒的多数派である異性愛者の理解や許容がない限り、同性愛者が婚姻による法的利益を一切受けられないというのは、保護があまりに欠けるーこれは、合理的根拠を欠く差別的取り扱いだという判決が下された。

したがって、本件規定は、上記の限度で憲法14条1項に違反すると認めるのが相当である

法律についての覚書

ふだんは、ゆるっと書いているブログで、本のことをとりあげようと思ったのは、何も書かなかったら、「無関心と同じだ」と思ったからだ。

私は、少なくとも、同性婚の判決について書かれた本を手にとってみる程度には、同性婚に関心がある。

本のメモや自分の考えを覚書しておく。

1)2015年アメリカ連邦最高裁判決がターニングポイント

連邦最高裁は 2015 年 6 月 26 日、州政府が同性カップルに対し婚姻許可証を発給しない
ことや、他州で合法的に認められた同性カップルの婚姻を承認しないことは合衆国憲
法第 14 修正違反であるという判決を下した。

2)同性婚が可能な国は29カ国

Marriage For All Japan(マリフォー)によれば、同性婚が可能な国は29カ国(2021年1月現在)。2015年以降だけでみても、ルクセンブルグ、メキシコ、アイルランド、アメリカ、コロンビア、フィンランド、マルタ、ドイツ、オーストラリア、台湾、エクアドル、コスタリカと続いているそうだ。

3)不正の本質は、自分が生きている時代には不正に気付けるとは限らない。

アメリカで、「同性婚は憲法で認められている」と結論づけた最高裁の判決の印象的な一節を本から紹介しよう。

不正の本質は、自分が生きている時代には不正に気づけるとは限らない、ということにあります。権利章典や修正第14条を批准した世代は、自分たちが自由の全容を知っていると思いませんでした。だからこそ、彼らは将来の世代を信頼し、すべての人が自由を享受する権利を守る憲章を未来に託したのです。
新たな洞察によって、憲法が保護している価値と、その時点における法律との間に乖離が生じていることが明らかになったのならば、自由を求める訴えは聞き届けられなければなりません。

4)憲法24条「婚姻は両性の合意にのみ基づく」

同性婚に反対する人たちは憲法24条の「婚姻は両性の合意にのみ基づく」という条文を盾にしている。両性のみ、つまり、男女のみに認められている、と考えるのだ。

けれども、この文言の背景には、明治時代につくられた旧民法がある。旧民法では、結婚は家の主(戸主)の同意が必要と規定されていた。それが、戦後に制定された日本国憲法では、「個人の自由に基づいて結婚できる」とされた。

今、生きている責任として

憲法24条の「婚姻は両性の合意にのみ基づく」が承認された時代は、言い換えれば「戸主の許可がなくても、結婚をする自由がある」という地点まで社会が進んだということだ。

WHO(世界保健機関)が、ICD-10(国際障害疾病分類)で、「同性愛が病気ではない」としたのは、1990 年 5 月 17 日だ。

憲法24条が批准された時代の人が、性的マイノリティに対しての知識が不十分で、「両性」という表現に限定してしまったのは、仕方ないと思う。

だからこそ、今、生きている私たちが、同性婚についての訴えについて耳を傾け、「聞き届けられた」という状態で、日本社会を次世代に渡せるように、自分事として同性婚に関心を持っておきたいと思った。

多様な性について学んでいた頃の覚書は、こちら。

やっぱり、「その二つ」なんだな ~教育現場の現実的な話~

追記 : 

今、調べてみたら、「両性」というのは、女性の権利を尊重するという意味合いもあるようだ。

日本国憲法に「両性の平等」条項を起草した女性。