大人の「カタ」つけ

第4回 「古布の循環」を設計する

2018.12.24

新年は、新しい布巾とともに

 新年に向けて、新しい布巾をネットで注文した。「買いすぎでしょ!」と思われるかもしれないが、「おつかいもの」に便利なので、少し多めに買っておくのだ。

 布巾は、毎日煮洗いしている。布巾を煮洗い→干す→畳むという経路は、私の「癒しの時間」だからだ。

●主婦的幸せ時間 その1 ~布巾を干す~

http://hikaru-narato.com/2015/06/18/1878/

「白雪」ふきんは、東大時の大仏様の御身拭い用に選ばれた
「白雪」ふきんは、東大時の大仏様の御身拭い用に選ばれた

古布を手放すのは、「技術」

 ここで問題になってくるのは、「布巾のコンディション」だ。布巾がボロボロになると、「管理をするテンション」が著しく落ちる。同じことは、バスタオルやシーツといった「大物の布類」にも言える。

 古くなった布類を、速やかに手放す技術。これは、家を心地良く整えるための「基幹的な主婦業務」だと思う。私はそう思っているが、「古布の循環」の設計について語っている主婦に出会ったことはない。(だから、私が語るのだ!)

 いや。ある時、大金持ちの奥様が、「ふと気がついたら、バスタオル、ボロボロだったりするのよね」と、笑いながらおっしゃっていたことがあって。この時に、「お金のある・なし」と、「家の中の布類のコンディション」の「相関関係はない!」と、感じたのだった。そして、「古布を手放すのは技術」理論への思いを強くした。

Hamam(ハマム)のバスタオルは、手放しづらい
Hamam(ハマム)のバスタオルは、手放しづらい

「古布の使い道」から逆算する

 結論から言えば、古布を手放すためには、「その先の使い道」を明確にイメージする必要がある。たとえば、私は、バスタオルは近所の保育園に寄付させて頂いているので、最近は新旧バスタオルの切り替えは、比較的上手にいっている。

 保育園にコネ(?)ができるまでは、バスタオルはボロボロまで使いがちだったし、フェイスタオルは、未だコネがないのでボロボロになるまで使ってしまうことが多い(涙)。

 一方で、明確な「古布の循環経路」が見えてきたのが、布巾とシーツだ。写真の如く、布巾なら「四分の一」にカットし、シーツも似たような大きさにカットして、台所横にある引き出しの最上段(もっとも取り出しやすい位置!)に「端切れ」としてスタンバイしている。

台所脇にある引き出しにスタンバイ
台所脇にある引き出しにスタンバイ

「端切れを使うシーン」を具体的にイメージする

 ここで大切なのは、端切れを使うシーンを具体的にイメージすること。私は、靴磨き、排水溝の掃除、揚げ物鍋を洗う前に拭く、こぼれた醤油やケチャップを拭く時などに、端切れを使う。

 以前は、「布物をそのまま捨てるのは、罪悪感がある」という理由で、端切れを作成していた。けれども、それだと、端切れにする「一手間」が非常に億劫に感じ、古布を紙袋に入れたまま放置してしまうこともよくあった。

 「端切れ」を使うイメージを具体的にクリアに持てるようになると、端切れにする作業を、まるで「ひと財産」作るような気持ちで執り行えるようになってきた。(もちろん、執り行えない時もあるが) また、下着類などは、「端切れにしなくてよし!」という決断も罪悪感なくできるようになった。そんな訳で、新品の布巾を眺めながら、これから2018年分の布巾の裁断作業にとりかかります! 

食器用の布巾は、日東紡の「新しいふきん」
食器用の布巾は、日東紡の「新しいふきん」

古布の循環設計の「カタ」3つ

2018年12月現在

1.古布を手放すには、技術がいる

2.手放すことは、「使い道」を考えることから

3. 「使い道」のパターンが、端切れを作る原動力に