2022.10.4
「アコスタディオ」は、趣のある素敵なスタディオでした
日曜日、二人朗読会に行ってきた。
太宰治「お伽草紙」より。
二人朗読会。
何と、シンプルな表現形態なのだろう。
たとえば、「一人芝居」だったとしても
身振りや手振りがある。
たとえば、ソリストの演奏会だったとしても
楽器がある。
朗読会をされたお二人は、朗読の名手なのだろう、
目を閉じて、安心して言葉の世界に浸れた。
●
でも、今回、朗読というかたちで太宰治の作品に触れて、
「もう少し、太宰治に触れてみようかな」と、思った。
今回の演目を、彼は、防空壕の中で書いたようだ。
(冒頭の『前書き』を参照下さい)
1話目の「カチカチ山」の話を拝聴し終わった時の
私の素直な感想は。
太宰治の桜桃忌。
三島由紀夫の憂国忌。
作家に「想い入れる」という意味では、
両者のファンは、双璧なのではないか?
私は、若い頃、三島由紀夫の憂国忌に
参列したことがあるし、お墓参りにも行った。
※ 今、三島由紀夫は、好きではないが。
そんなことを思いながら、第2話の「舌切雀」を拝聴して、
物語の解釈、落とし込み方に、「スゴイ!!!」と、唸った。
リード文を抜粋しておきます。
+++
困難な戦争期にあって、深く芸術世界に沈潜することで時代への抵抗の姿勢を堅持し、日本文学の伝統を支えぬいた太宰中期の作品から、古典や民話に取材したものを収める。“カチカチ山”など誰もが知っている昔話のユーモラスな口調を生かしながら、人間宿命の深淵をかいま見させた「お伽草紙」
+++
⇒ 防空壕の中で、「カチカチ山」を考えられるっていう姿勢は、
すごく良く表現すれば、確かに、そういうことよね。。。
でも、当時の「ふつう」から考えたら、
奇異というレベルで、逸脱していたのでは?
さらに。「舌切雀」のおじいさんの人物造形が、
最近追いかけているテーマである、ギフテッドと重なった。
小説に登場させる人物というのは
作者の内面の投影のことも多いので。
そして、本ブログのタイトルなんですが。
最後に、朗読者の一人である梶取さよりさんが、
「太宰治に励まされています」と、おっしゃったことに
私は最も衝撃を受けた。
前述の通り、桜桃忌か憂国忌かと問われれば
私は、憂国忌を選んで参りましたが。
自分の「太宰治的な部分」は、
見ないようにしていたんですけど。
でも、「ギフテッド」というテーマを扱うようになって
太宰治的なアプローチが必要になってきた、というか。
太宰治作品に触れた時の
心の動き、大切だな~と、思い始めている。
けれども、いかんせん、黙読は辛い・・・。
から~の。
開催場所は、偶然にも家の近所
(自転車で数分のところ)なので。
まずは、往復はがきを買って
応募してみるか~などと思い始めている。
「自己改革」と表現するのは
オーバーかもですが。
今まで、「できうる限り避けてきたこと」と
向き合う機会が、最近、頻繁にやってくる。
先日、参加することに悶え苦しんでいた
「作詞のワークショップ」も参加する予定です。
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