麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

なぜ私は母親に着地できなかったのか? ~母親に着地する方法3~

2023.10.3

母の世代の苦しみが怖い

私は、サラリーマンの父と専業主婦の母の下で育った。母の世代は、ニューファミリーとして「女性でも、自分の人生を生きる」といった新しい考え方を持った初めての世代である。 

出産するまで働いていた母は、家庭に入るよりも社会に出て仕事をしたいタイプなのだろう。「ライフワークを見つけたい」と、ことあるごとに言っていた。だが夫は転勤族の企業戦士で、母自身も心臓に重い持病があった。現実的には働きに出るのは難しく、人生の大半を家庭の中で過ごしている。

そんな母の苦しみを見ながら、私は育った。だからこそ、仕事を手放したくなかった。子育てが一段落して、家庭から一歩踏み出そうとした時に、仕事が杖になると思ったからだ。仕事に執着したのは、好きだったことが第一にあるが、「手放したら最後、母と同じ苦しみを味わうことになる」という一種の強迫観念もあった。

一方で、専業主婦に育てられただけに、「母親なのだから、家庭を最優先するべき」という良妻賢母の呪縛からも抜けられなかった。子どもを産んでも、まだ仕事に夢中であることに罪悪感がある・・。「母親であること」に向き合おうとすると、常に矛盾や混乱、迷いや葛藤が生まれる。だからパンドラの箱を開けるのが、怖かった。

つまりは、「自分が、かわいかった」ということに集約されるのだと思う。子どもよりも、まず自分。その優先順位は、たとえ我が子が相手でも譲ることができなかった。

だが双子の妊娠、出産という体験を通じて、そんな自分に辟易とした。「アンタがやってきたことが、ナンボのもんなんじゃい!」と、全てを白紙にしたくなった。また命を授かったことへの感謝の気持ちも、遅ればせながら生まれた。それが「今度こそ、ちゃんと母親をやりたい」という気持ちに繋がっていった。

母親ワールドが肌に合わない

だが母親ワールドが醸し出している雰囲気が、どうにも肌に合わないのである。長男の時も「ちゃんと母親をやりたい」という気持ちは、あった。でも母親ワールドに馴染めず、挫折した。何がいけなかったのだろう? 母親になるまでの人生を振り返ってみる。

短大を卒業して、総合商社に事務職として入社した。「三年くらい社会見学をしたら、結婚したい。その後は、専業主婦になる」と、何の疑いもなく信じていた。女の子→お嫁さん→お母さん。それが女性の王道コースだという価値観である。

入社した会社には、暗黙の「女の子枠」があった。仕事をきちんとする「男の人」と、一生補佐的な役割を担う「女の子」で会社は成り立っているのである。女性であれば、四十歳でも五十歳になっても「女の子枠」内で生きていく。

だがバブルが崩壊して、会社は女の子枠を維持する体力がなくなった。「我が社の含み資産である女子社員にも、きちんと働いてもらいたい」といった趣旨のことを、年頭の挨拶で社長が言ったのを覚えている。

ちょうどその時期、アメリカ帰りの上司の下で働くことになった。彼には、「女の子枠」という概念はなく、容赦なくビシビシとしごかれた。あまりの厳しさに家に帰っては、サメザメと泣く毎日・・。だが、いつしか「仕事って、面白いかもしれない」と思うようになった。

それが、「一生働き続けたい」という気持ちとなり、ライターという仕事が視野に入ってきた。私の社会的自我は、時代の流れの中で必要に迫られて育ったのだと思う。

ところが、いざ母親になってみると、そこは旧態依然とした「女の子枠」的世界であった。「おんな・こども」がひとくくりにされていた時代のまま、時が止まっているかのようである。眠たくなるほど、生ぬるかった。檻に入れられた野生動物が、自らの爪で我が身を傷つけてしまうように、母親ワールドでは社会的自我は邪魔でしかない。

子どもの動きには意味がある

「母親を、ちゃんとやりたい。だけど母親ワールドは肌に合わない」という気分に、K園の保育がフィットした。一年前から長男を通わせてはいたが、K園を本格的に意識したのは双子が0歳児クラスに入ってからである。

ある日、双子をお迎えに行くと、保育士が足の指をなめている我が子を見て、こんな話をしてくれた。「この動作は、仰向け時代の最終段階。足の指、つまり体の末端だよね。ここまで触れるようになって、自分の体の全体像を把握し、寝返り時代に入っていくんだ」。

子どもが足をなめているという何気ない光景は、育児の素人の私が見れば、「かわいいな」程度しか思わない。でも育児のプロである保育士だと、その光景の意味が読める。それが面白いと思った。

子育ての科学

私が魅力を感じた世界観をまとめた文章があるので、少し長くなるが引用したい。

子育ての科学

「子育ての科学」は、親のさまざまな子育て経験が蓄積されるだけでは発展しません。

無数の子育ての経験から生まれた、多様な「子育ての知恵」が「子育ての科学」として発展するためには、一定の条件が必要です。

子育てが、母親個人の仕事、個人の責任、せいぜい家の仕事、責任という枠にとじこめられている状況から開放されて、子育てが社会的、共同的、公共的な事業であり、社会的な責任になるような状況に広がること、つまり「子育ての社会化」が発展することが必要なのです。(中略)

個別的な子育て経験の蓄積から生まれた「子育ての知恵」をも包み込んで、集団保育の実践が蓄積されるようになったことが、「子育ての科学」を生み出す根本的な要件のひとつです。(中略)

さらに、「子育ての社会化」は、保育実践、保育施設、保育条件に関わる諸科学の多くの研究者―保育学、心理学、教育学者だけでなく、医師、建築家、法律家、経済学者、栄養士、調理士、体育、美術、文化、などの専門家―を生み出し、「子育ての科学」を豊かにする上で大きく貢献しています。(『年齢別保育講座』 高浜介二、秋葉英則、横田昌子監修より)

家庭から生まれた子育ての知恵、保育実践の蓄積、そして諸科学の研究者からの意見、これらがブレンドされた子育ての世界がある。そこでなら、母親をやれるかもしれない。心の中でブンブンと渦を巻いていた「母親を、ちゃんとやりたい」というエネルギーの活路が見つかった気がした。

【前回】・【次回】

前回 園長は富ちゃん

次回 子どもって何だろう?

【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ