麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

園長は、富ちゃん ~母親に着地する方法2~

2023.9.19

園長室は親の駆込み寺

K園の園長は、富岡美織さんである。夫と五匹の犬と暮す四十六歳で、園児や親から親しみをこめて富ちゃんと呼ばれている。富ちゃんを語る上で最初に思い浮かんだのは、ある朝、彼女からもらった電話のことである。朝七時半にかかってきた電話口で、こう一気にまくしたてている。「今日から保育園の送迎、私が一緒にやるわ。今朝五時に目が覚めちゃって、ずーっとお宅のことを考えちゃってね。七時半なら電話しても大丈夫だと思って」。園長から直々に電話をもらうことなど、初めてである。「何事か!」と身構え、話の内容を把握するのに数秒かかった。そして「そういえば胃潰瘍が慢性化しちゃってね」と昨日、富ちゃんに愚痴ったよなと思い出した。

当時は双子育児の過酷さゆえ、半年で十七キロ痩せた時期である。その体で双子の片方を抱っこ、もう片方をオンブし、長男の手を引いて送迎する姿は、確かにキテいたかもしれない。そうとはいえK園は在園児一三七人、職員は非常勤も含めれば三十一人(二00八年二月現在)という規模の園である。そこの園長が、いち家庭の送迎に毎日付き合うものだろうか? しかも「助けて欲しい」と訴えたわけでもなく、単に日常会話レベルで愚痴を言ったにすぎないのに・・。でも富ちゃんにとっては、聞き流せないことは、放っておけないことなのだ。放っておけないならば、率先して自分が動く。 

何か相談すれば、その時できうる最大限の回答を返してくれる。そんなフットワークの軽さと身近感が、富ちゃんの身上である。だから園長室は親の駆け込み寺だ。育児のことはもちろん、夫との関係、仕事のこと、女として生き方・・母達は悩みが尽きない。心がパンパンになったら、「ちょっと聞いてよ」と、園長室を訪れる。富ちゃんは、「コーヒーとお茶、どっち?」「ちょうどよかった、昨日おいしいお菓子をもらったんだ」などと言いながら、話をフンフンと聞いてくれる。

この子の一番いいところは私がわかっている

 もっとも、富ちゃんには露悪的で辛らつな面もある。いや、どちらかといえば、そちらが前面に出ている。たとえば保育士へのダメ出し。「不器用を売りにしていない? 不器用を売りにしていいのは、高倉健だけ。不器用なのはいい人なのではなく、仕事のできない人ですから」「栄養が全部体に行って、頭にまわらなかったんだねぇ」。そんなセリフを初めて聞いた時は、「え? 他人にそこまで言っちゃっていいの?」と、わが耳を疑った。いつでも歯に衣きせぬ、マジトークなのである。冨ちゃんは常々「私が、いじわる? そうだよ、私、いじわるだもん。人間なんだから、汚い感情があるのが当たり前でしょ」と言っている。存在そのものに、何事も上っ面のきれいごとにしない、ある種の気迫がある。

だから、親への要求も厳しい。園児に課題(直していきたい点)を見つければ、面談のお呼び出しがかかる。我が子の問題点を園長に面と向かって指摘されるのは辛いし、嫌なことだ。「親が恨むのは、わかる。でも基本的に、そういうことは気にならないの」と言う。それはなぜか? 「この子の一番いいところは、私がわかっているっていう絶対の自信があるから。全ての子が、人間として素敵なの。 それを、ささいな課題のために埋もれさせちゃなるめぇ~って思うから、親にはガッツリ言わせてもらう」。言うことを言ったら、「ハイ、おしまい」。その後、その親と飲みに行ったりもしているようだ。それは配慮やフォローなのだろうか? それもなくはないだろうが、突き詰めると単に「その親が好きだから」なのではないか。園長対園児の親ではなく、人間対人間として、自分からぶつかってきてくれる、自分から胸を開いてくれる、そんな感じが一番近い。 

子どもはどんなに小さくとも自分の理解者を、ちゃんとわかっている。在園児は富ちゃんを見つけると、駆け寄っていく。卒園児、それも今どきの若者になった子達までが、夕方、ふらりとK園を訪れたりする。夏祭りに父母会が企画した「富ちゃんと家族写真を!」というコーナーは、大人気であった。父母にも愛されているようだ。

保育士の「いい人体質」にはマジで勝負

 冨ちゃんは、オシャレでお買い物が大好きな人である。「ボーナス? そんなもん、出る前にカードで使い切ってなくてどうする!」と豪語している。さらに、こんなことも言っていた。「私は、基本的にいい加減なの。部活は大嫌いだったし、習い事も三ケ月続いたことがない。すごいチャランポランで、飽きっぽい。自分でも、そこのところはわかっているつもり」。地道で、いい人で、優しげな人・・。私が持っていた保育士という職業のイメージからは、かけ離れた存在である。本人も、「保育士のいい人体質が苦手」と言う。いい人体質とは、何なのだろうか? 「それを私に語らせると、長いよ」と、冨ちゃん。

曰く「保育士=子ども好きでいい人」と見られるし、本人も「自分は、いい人なんだ」と思っている。保育士だって人間なんだから、ドロドロしたものはあるはずだ。だが、とかく保育士は「そんな部分は、ございません。私は子どもが好きで、いい人なんです」という自分を押し通そうとする・・。

汚い自分を隠すのが、そんなにいけないことなのだろうか? 

「うちの保育は、いい人の部分だけでやりきれるような保育じゃないから」。人が人を育てるというのは、本当はすごくおこがましい。常に謙虚さを持って、もっと先、もっと先を求め続けなければならない。 その時に邪魔になるのが、自分と向き合わないことだと言う。「自分と向き合うことは、すごく苦しい。でも、そうしないと、結局、子どもにも親にも寄り添えないんじゃないかと思うんだ」。

弾力があって風通しがいい園

 自称「いい加減」な冨ちゃんだが、子どものこと、保育のことになると豹変する。ベテラン保育士ワタちゃんは、「富ちゃんに怒られている時って、あまりに怖くて息ができない」と言う。それぐらいの勢いで怒る、怒りまくる。ちなみに交流のある他園の園長に、「てめぇ、ふざけるなよ」といったテンションでタンカを切ることも多々あるようだ(冨ちゃん談)。K園は最初は非常勤職員という待遇からスタートする園なので、そうなると一ケ月のお給料は十二万円程度だと聞く。「もっと楽をして、お給料がいい仕事はいくらでもある。だから若い子には、無理して続けない方がいいよ。嫌だったら、いつでも辞めて下さいと、勧めているんだ。お互いのためにならないから」と、冨ちゃんは言う。

 こんな労働環境なのに、長年勤め続けている保育士は多い。古株保育士達は、それぞれに個性が花開いて魅力的だ。そして「うちの職場は、面白いよぉ」と、どこか誇らしげに園のことを語る。

「ワタちゃんが保育園を辞めるって言ったら、アンタ、何言ってるの? 家に火つけるよって言うね」という富ちゃんの言葉からも、古株の職員達と築いてきた信頼関係は相当なものだとうかがえる。  

夕方、園長室で事務作業に没頭している富ちゃんを見かけたことがある。その後ろ姿は、無心に毛づくろいをしているボス猿のようだった。一生懸命生きている様が伝わってきて、何とも愛らしかった。

冨ちゃんが怒る内容は、いつも正論である。だが、そこまで猛り狂われたら、私なら怖すぎて引いてしまう。でもいくら猛り狂っても、それで保育士との信頼関係が壊れることがない理由が、その後ろ姿を見て少しだけわかった気がした。こまめな噴火で、淀みを一掃する。そして根底に愛をタップリと注ぐ・・。そんな富ちゃんの丹精により、K園には健康的な弾力と風通しがある。

【前回】・【次回】

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【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ