2024.2.22
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。
目次
篤子さんが、起業をしたのは29歳の時。当時、ANAの正社員としてフランクフルトで働いていたが、「同じことを繰り返す毎日に、飽きていた」と。
そこで山ちゃん(★)に声をかけて、二人三脚で飲食店をスタートした。
★この記事の「パリのお店の責任者は、山ちゃん」をクリックすると写真があります。
最初3年間は、ANAを続けながら、二足の草鞋でam mainを経営していた。
マイン川はフランクフルトを象徴する川である。(写真は、wikiさまから拝借しました)
昨日のブログで、「フランクフルトは、高層ビルと古い街並みの街」と表現した。
この写真だと、それがよくわかる。・・・って、同じ画角の撮影スポットを、何回か通っていたのに、自分で撮影して来なかったことが悔やまれる。
本の取材で、篤子さんは起業当時を「瓦礫の中に、山ちゃんが姿を現した」と表現していた。
パリに行った時に、山ちゃんは、「トラックで材料を買ってきて、お店の内装を手作りした」と、言っていた。
それぐらい、一から手探りで作ったお店が、篤子さんと山ちゃんの1号店である「寿司 am main」なのだ。
お店に一歩足を踏み入れると、「確かに、ここは篤子さんが作った空間だわ」と感じた。
お寿司屋さんだというのに、インパクトのあるシャンデリアを中心に持ってくるあたり、篤子さんテイストを感じる。
店内はインテリアを含め、創業当時と全く変わっていないそうだ。
上記の写真だけ見ると、ここがお寿司屋さんだとは思わないよね。。。後年、篤子さんがパティスリーを開店するのは、DNAレベルで必然だったのかもしれない。
まきまきのママ友は、「フランクフルトでお寿司を食べるなら、アムマインだよね」と言っていたそう。それだけ地域に根付いたお店に育っているんだと思う。
寿司 am mainは、地下にある。
取材を終えて、地上に上がる階段を上っていると、空が見えた。
30年前の篤子さんは、異国の地で、この空を見上げながら、何を考えていたのだろうか? (こう書いておいて、「悠長に空を眺める余裕はなかった」に一票。)
今は、どこから見ても、ピッカピカの成功者に見える篤子さん。
本の取材を通じて、その成功は一筋縄ではいかなかったと感じた。
篤子さんは、どの工程(行程)も心から楽しんできたから、「苦労」とか「失敗」という言葉とは違うのだが、「うまくいかないこと」は、たくさんあった。
本では、そんな部分も、書き込めると良いなと思う。
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