2024.3.19
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
目次
ゲーテは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテというのが正式名らしい。1749年~1832年(82歳没)頃に生きた人。
私的には、シラーとゲーテがセットで、ロマン主義の源泉というイメージです。
クラシック音楽が好きなら、ドイツ・ロマン主義は避けては通れない命題なのですが。この方のブログの「ドイツ・ロマン主義の誕生と歴史」は、好みの文章! 私も、この階層まで潜って、ゴリゴリと文章が書きたくなる。。。
De。
ゲーテが、「実際に存在したんだ」ということに触れたかった私は、今回のドイツ滞在中、「行きたい!」と思った唯一の場所が、ゲーテの生家でした。
フランクフルトの観光名所は、①レーマー広場と②フランクフルト大聖堂と、今回の③ゲーテの生家。どこも篤子さんの自宅から徒歩圏内です。
冒頭の写真の建物がゲーテの生家ですが、道に面した入口からは入れません。隣に作られた記念館(新しくてオシャレ!)から入って、中庭を通って、この入口に辿り着きます。
ここからは、うろ覚えで書いています。「写真は、イメージです」くらの情報精度だと思って頂いて差し支えありません。(どーなのよ!)
この時代の西洋人にとっては、東洋の文化は神秘的で憧れの対象だったようです。シノワズリ(中国趣味)のインテリアも、好まれていたらしい。あくまで、中国”風”なことがポイントです。
シノワズリと似た概念として、ジャポニズムがある。ジャポニズムといえば、ゴッホです。
話がそれちゃうので、これで終わりにしますが、ゴッホのジャポニズム関連の絵としては、これが有名です。バックの絵は全部、浮世絵です。(一昨年、オランダにあるゴッホ美術館に行った時の話も、いつかブログに書きたい! と野望を述べておきます)。
話をゲーテに戻し。
古楽器の定義はよくわかりませんが、ゲーテの家にいくつかの楽器が置いてあったのは事実です。多分、古楽器と呼んで差し支えないのでは? 私が古楽器の演奏会に行った話は、コチラ。
ゲーテは、あの時代の人にしては長生きで、82歳まで生きました。この肖像画は、多分、70歳くらいの時のものです。
ゲーテの生家には、いろいろな国の言葉で書かれた「館内の説明図」が設置されています。。プラスチック加工がしてある紙なので、持ち帰れはしません。
館内を歩きまわる時の心強い手助けにはなり、その時の記憶をもとに、1か月半が経過した今、「多分」を連呼しながら、写真をアップしている次第です。
ゲーテの生家は、「生家本館」ともいえる、もともとの家と、隣に新設された記念館(ミュージアムエリア?)みたいなものの二本立てです。
ミュージアムエリアの入り口は、下記。ゲーテの生家の入場券も、こちらで購入します。
このミュージアムエリアには、ゲーテの時代の絵画が「これでもか!」というくらい飾ってあります。
そして、ロマン派の音楽を楽しめる仕掛けなどもたくさんあります。
見学する時間の比率でいえば、私は、「生家:ミュージアム=1:2」くらいでした。
生家だけでも見ごたえあるから、「キャー! これがゲーテの〇〇なのね」などと心のエネルギーを使っていると、ミュージアムまでエネルギーが持たないかもしれません。
【結論】ゲーテの生家は、半日くらい時間をとっての見学をお勧めします。
フランクフルトの観光名所は、①レーマー広場②フランクフルト大聖堂③ゲーテハウスと冒頭に書きましたが、①②はサラッと通って雰囲気を楽しむ場所で、③はガッツリと見る場所って感じです。(楢戸調べ)
ゲーテの自画像としては、この絵が有名です。ミュージアムの奥地に鎮座されていました。
この絵の実物を拝めただけでも、行った「かい」がありました。
が、しかし。
我々にかかると、ゲーテ自画像も、こんな感じになります。
篤子さんと一緒にいる時の、バカバカしいノリ(誉め言葉です)、懐かしいな~。
ちなみに、篤子さんは、「ゲーテの生家」を「ゲーテの”なまいえ”」と発音しており、この原稿を書く時には、私も心の中で「ゲーテの”なまいえ”」を連呼させて頂きました。
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