ベートベン6番「田園」、さようなら!

2017.12.30

今月の上旬、私が所属しているオーケストラの定期演奏会があった。

 

オーケストラのプログラムの多くは、

・序曲

・中プロ

・メイン

という構成だ。

 

今回メインで弾いたのは、ベートベン6番「田園」

 

【楽聖】

 

今年は、「モーツアルト」と「ベートベン」の曲を弾く機会に恵まれたが、

クラッシック音楽の代名詞にもなるほどの、このお二人、やっぱ、スゴいわ!

 

モーツアルトのレクイエムを弾いた時も同じことを感じたのだが、

ベートベン6番「田園」を弾いた時に、感じたこと。

 

それは、歓喜。

 

嬉しい、とか、楽しい、とか。そういうレベルの感情でなく

なんつーか、魂が震えるっといったレベルの感情だ。

 

本番はもちろん、練習の時も、弾くたびに、

人類で良かった! というような気持ちになった。

 

田園は、ウィーン郊外のハイリゲンシュタットの初夏の風景を描いた作品。

ちなみに、ハイリゲンシュタットは、ベートベンが聴力を失うことに絶望しつつも

芸術家として生きていく決意をした”ハイリゲンシュタットの遺書”を書いた地として有名だ。

 

第1楽章は、

「田舎についた着いたときの晴々とした気分の目覚め」という標題がついているのだが

ま・さ・に!!! と絶叫したいほど、

そのまんまのフレーズで、曲が始まる。

 

そこから、第2楽章(標題は、「小川のほとりの情景」)で水面の光を感じ、

第3楽章(標題は、「田舎の人々の楽しい集い」)で気のおけない仲間との談笑を楽しみ

第4楽章(標題は、「雷雨。嵐」)で、自然に畏怖し、

最終楽章である第5楽章

(標題は、「羊飼いの歌。嵐のあとの喜ばしく感謝に満ちた気持ち」」

に辿り着いて弾く頃には、心の垢がすっかり落ちて、

つるっとした魂だけになっている感じがする。

 

ラスト40小節は、ほとんど恍惚とした忘我の境地に至る。

 

この曲の構成、完璧だろ! いや、本当にすごいから!!

 

ベートベンは、

神が人類にプレゼントされた「楽聖」なんだと思った。

 

 

【趣味として】

 

・・とか何とか言いながら、今回の演奏会、満足に曲をさらえなかった。

 

つーかね??

 

2015年にブラームスでオーケストラに復帰してから

オーケストラ活動、もとい、楽器を弾くということは、

私の生活の中心であった訳でして。

 

そのわりには、まーじーで、下手なんだけど。

(だから、その言い訳はいいから!)

 

最優先とまではいえないが(息子の中学受験などもあったからね)

少なくともギャラを頂いている仕事(ライター業)よりは

常に「優先順位は上」みたいな気持ちがあったのだがね。

 

今期ばかりは、ライター業も大変だったし、プライベートでも色々あった。

(猫が死にそうになったり、息子がケガをしたり)

 

そんな訳で、オーケストラ活動への思い入れのようなもの。が

「趣味の領域」にまで落ちておった。

 

でも、それでよくね??

 

趣味の領域に落ちた最初の頃は、

「ああ、もうダメ! 全然、練習できていなくて」

とか何とかガーガーと焦っていたが、

それ、エネルギーの無駄づかいだから。

 

趣味の領域だけれど、粛々と弾きます

ぐらいだって、よくね???

 

そんな気持ちになっている2017年の年末でごわした。

 

 

【チャイコフスキーの5番】

 

とか何とか言っている、舌の根の乾かぬうちに、

また、オーケストラモードが全開になりそうな予感もひっそりしておる。

 

なぜなら、次回はチャイコフスキーの5番だから。

 

きゃーーーーーーーー!!!!

どうしてくれよう。ドキドキしちゃう!