麗しき主婦道

主婦er 〜麗しき主婦道〜

子どもって何だろう? ~母親に着地する方法4~

2023.10.6

子どもは小さな大人なのか?

子育ての科学の第一歩は、「子どもは、大人とは全く別の生き物である」と、頭を切り替えることだった。

社会契約論で有名なルソー(1712年~1778年)は、著書「エミール」の中で、「子どもは、子どもでしかありえない存在であり、彼らに豊かな教育を保障することにより真の人間・大人に育ちゆくのだ」と言った。

富ちゃんも、「子どもは、大人の小さい版じゃないからさ。そこをキッパリ切り替えられない人は、子育てのラビリンスに入ってしまうんだよね」と、よく言っている。

私は現在二歳の双子を、異国の人だと思っている。

それもアメリカやフランスといった先進国の人ではなく、首長族くらいの距離感のある異国の人である。

私には考えも及ばない慣習の異国人が、我が家にホームステイ中である。これくらい思い切って頭を切り替える必要があった。

「どうして?」と言ったら大人の負け

子育てをしていると、毎日が「どうして、そんなことするの?」「何で、そんなことができないの?」の連続である。

富ちゃんは、「どうしてという言葉を保育士が使ったのなら、プロとして失格だよね。これほど子どもを否定する言葉はないから」と言う。

 たとえば、子どもが服を汚す。「どうして汚すの? 何で汚れた服を着替えないの? と思うのは大人の発想。

子どもは、汚したとは思っていないし、汚くてもそのままで構わないんだから」。最初にその話を聞いた時は、「そんな発想、できないわ」と、ビックリした。

私は今でも「どうして?」という言葉を一日に五回は使っているし、その三倍は「何で?」と思うことが起こる日々である。

自分を責め出すと苦しいので、それを悪いとは思わないようもしている。

肝心なのは、「どうして? と言ったら、大人の負け」だと思っておくことである。「どうして」という言葉の奥には、「本当はこうあるべきなのに」という気持ちがある。

つまり「私(大人)が思っている大前提は正しい」と、疑っていないことが問題なのである。

読み解けるようになると子どもは面白い

首長族に「どうして首に輪をつけているの!」と、最初からケンカごしで聞く人はいない。

「そういう慣習があるのかな?」と文献を調べたり、コミュニケーションのための言語を勉強してみたり・・といったアプローチをするだろう。

一見ノールールに見える子どもにも、実はちゃんと慣習がある。だから子どもについて学ぶことや、彼らの心に届く言葉でコミュニケーションすることは有効である。

K園では子どもについての勉強会がしばしば開かれているし、保育士が折につけ子どもを解説してくれる。

それをもとに、子どもを読み解いていくと、「なるほど」と納得することが多い。

反対に言えば、それなくして子どもを眺めていたところで、いつまでたっても「どうして?」という気持ちが拭えない。

「どうして?」を押し殺すのは、負の労力である。

それだったら、「どうして?」を解明すべく、子どもについて学ぶ方が生産的だと思った。

発達は道筋という考え方

そうは言っても、三人の男の子を相手に理性的なお母さんを、やってもいられない。「こんな日々が、いつまで続くのだろう?」。そう思うのも、毎日のことである。

具体的な指標を知りたい。

「この話が通じるのは、何歳なのか?」「部屋が汚いと認識できるのは、いつなのか?」「駄々をこねるのは、いつ終わるものなのか?」・・。

その目処が持てれば、育児のストレスはかなり軽減されると考える。

「発達は道筋」という言葉を、K園ではよく使う。

個人差はあれど、人間の成長には一定の道筋があるという考え方である。今の我が子は、発達段階のどこらへんを歩いているのか? 

各年齢の子どもにとって、世界はどんなふうに見えているのか? それを一度整理してみたいと思った。

現代の母親ワールドは、育児の海を羅針盤もなく航海しているようなものである。富ちゃんに協力してもらって、子どもの世界の航海図を描いてみたい。

【前回】・【次回】

前回 なぜ私は母親に着地できなかったのか?

次回 0歳児はどんな時代?

【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ