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令和モデルの主婦 ~牛時代の夜明け⑦~

前略

GWは、いかがお過ごしでしょうか?

 

と、急に誰かに宛てた感じのブログにしてみた。

 

昨日は、

ピカール」で銀食器を磨いてみたり、

夫と一緒に三鷹のデイリーズに行って器を新しく買ってみたり。

 

「どーでもいい家事」(やっても、やらなくてもいい家事)を、

「気が向いたから、やる!」という”気分”が、

私にとっては、至福の贅沢だと感じた。

 

唐突ですが。

私、井戸端会議、大好きなんす。

 

道端で誰かに会って、

徒然とした話を、徒然とできる時間と雰囲気があること。

 

そんなことができるのは、主婦だから。

 

このところ、プレッシャーがある仕事が多く、

それは、同時に「やりがい」でもあるので嬉しくもあったのだが。

 

ふと。アイデンティティを、

再度、「主婦」に置いてみても

良いのではないか? と、思ったなり。

 

そういえば、【主婦的幸せ時間】とかいうの

やっていなかったっけ? と、過去記事を検索してみたらば。

 

 

ごぉぉぉぉ。(何の鳴き声?)

 

この頃は、まだHPのプロフィールに、

「軸足は、家庭です」と、書いていた頃だな。。

 

だんだん、プレッシャーがかかるレベルの仕事をさせて頂けるようになり、

趣味のオーケストラに復帰もしたし。

 

自分が思っていた、「きちんとした主婦」ではなくなり、心のどこかで

「私、主婦なんです!」とは、胸を張って言えない罪悪感

を、感じていたなぁ(遠い目)。

 

つかね?

主婦です! と胸を張って言えない罪悪感。って、

そもそも、何なの? > と、自分に逆切れ。

 

あの頃のワタクシは、

「主婦とは、家族を最優先にして、家事に一切、手を抜かない人」

くらいな感じだったんだと思う。

 

それを実現できない自分に対して、罪悪感があったんだと思われる。

 

あれから3年。

今は、「それが普通なんじゃね?」と、思うようになっている。

 

あんなに罪悪感があったのに、今は、こんなにもスッキリ

「なんちゃって、主婦」の自分を受けて入れている。

 

隔世の感があるなぁ・・と思っていたら、

時代は、令和になっていた。

 

 

私が「きちんとした主婦」とイメージしている主婦は、

そもそも、「昭和モデルの主婦」だと思われる。

 

私は私で、令和モデルの主婦を模索していきたいと思った。

マーラー、オシャレだわぁ。

イズミさんに強引な感じで押し切って頂き、

マーラーを弾くことになって、はや1か月半。

 

え!? ちょっと、マーラー、オシャレくね?

と、驚愕している今日この頃。

 

実は、私、マーラー、嫌いで。

 

恐怖症ともいえるレベルで、聴くのもイヤ! 

と、思ってたんす。

 

これまたイズミさんに誘ってもらって、

今年に入ってマーラーの演奏会(5番)を聴きに行って、

それが、「人生の初マーラー」でした。

 

マーラーの音楽に対して、アレルギーが強くて。

 

これって、「クラッシック音楽が趣味です」という人には

あるまじきことかもしれないレベルかもしれない。。。

 

なぜ、マーラーをここまで聞かなかったんだろう?

 

おそらく、まだ20世紀(1990年代)の頃の話。

マーラーのメロディーを音楽部の部室で聴いた時に、

「この人、頭おかしいんじゃない?」って感じた。

 

それは、今、思えば、タイ料理を初めて食べた時と

似た感じだったのかも。

 

人生においてのタイ料理を食べた時、

え!? 嘘。これ、おいしいの? って、

びっくりしたんだよね。

 

それと似た感じて、「ザ・クラシック」という曲に

慣れ親しみすぎていた保守的な私の耳には、

マーラーの音運びは、ありえなかった!

 

でも、オーケストラの中に入ってマーラーを弾き

CDも、何回も聴いてみたりするうちに。

 

冒頭の。

 

え!? マーラー、オシャレくない???

 

そんな気持ちになってきた。

 

 

クラシック音楽の系譜の中から、あの音の運びを編み出せるって

やっぱりプッチンとキレているとは、今でも思う。

 

でも、その感じが、

天才なんじゃね??? という方向の好意的な感じに

向かっているのであります。

 

今期は、練習に思うように出られないのだが、

私なりに、マーラーと向き合いたい。

令和元年に寄せて

今朝、目が覚めた時、

 

今日から、令和だ!

 

そんなふうに思った。

 

新年の抱負⁉ではないが

令和の時代をどう生きたいか? 

について、今日は書いてみよう。

 

最近、すごく興味があるのは、社会デザインだ。

 

社会には、いろんな人がいるのに、今は、まだ、

昭和時代の(平成ですらない・・)

「大多数の人」に合わせた社会

そんなデザインの社会だと思う。

 

社会には、いろいろな人がいて、いろいろな人が分断されることなく

生きていける社会を、インクルーシブという。

 

最近、インクルーシブ。って、流行り言葉のように使われているけれど、

すごく素敵な「夢」だと思う。 

 

インクルーシブな社会に一歩でも近づけるよう、

記事を書くことで、情報のインフラを整えること。

 

そこに、今後の自分の人生を使っていきたい。

 

 

たとえば、8050問題として顕著化している「引きこもり」。

 

あれは、発達障害や愛着障害、貧困や親の依存症など

「大多数の子ども」とは違う条件や課題があった子供たちにも

一斉教育(普通の学校の授業のように一斉に教育を行うこと)の枠を押し付けて、

そこからこぼれ落ちてしまう子どもたちが、

適切なケアを受けられなかったことが一因だと思う。

 

一斉教育の枠からこぼれ落ちてしまう子どもたち。

 

教育の専門用語でいえば、「特性がある」という言い方をするのだが

そういう子供たちが、適切なケアが受けられるような教育記事を書いていきたい。

 

また、長らく書いてきたマネー記事では、

老後のライフプランに興味がある一方で、

LGBTの方のライフプランニングに興味がある。

 

先日、教育記事としてLGBTの子の特性について書いた。

 

取材の際に、LGBTの子を持つ親の全国組織の方と、お知り合いになった。

「この子は、一般的な人生を歩めないかもしれない」

そう思う親側の立場として、息子が発達障害の診断を受けた時の自分と重ねて、

すごく共鳴した部分があった。

 

日本の社会は、ライフプランニング的な見地で考えると、まだ、

入籍(法律婚で守られていること)の恩恵は大きい。

 

その概要は、コチラ。

●LGBTが大切な人を守るために知っておきたいこと

 

けれども、生命保険や住宅ローンなどは、

同性パートナーを想定しているものも、でてきている。

 

その概要は、コチラ。

●保険業界が「同性パートナー」に門戸を開いた

 

 

こういった金融商品を使えば、同性をパートナーに選んだ場合も、

「一般的なライフプラン」を描くことが楽になっているのは事実だ。

 

普通とは、違う。

 

それは、多分に親側からすれば

「将来、ちゃんと生きていけるだろうか?」という心配だ。

 

ライフプラン(マネープラン)を、提示することで

こういった「親側の心配」を、少しは軽減ができるのではないか? 

 

私は、「お金の情報を発信する人たち」の人脈を持っている。

 

そんな私ができることは、この分野にも何かあるのではないか? 

そんなことを考えている。