いや~、濃かった。
今日も今日とて、どっぷり仕事をしていました。(只今、午後9時)
明日は、外出と仕事てんこ盛りなので、ブログはお休みします。
いや~、濃かった。
今日も今日とて、どっぷり仕事をしていました。(只今、午後9時)
明日は、外出と仕事てんこ盛りなので、ブログはお休みします。
次男のメイク男子の記事を読んで下さった方へ
次男のメイク男子の記事の件、本人より「コンシーラーは顔の傷を隠すため」との訂正を受けました。
事実と異なっている点があったため、メイク男子の記事は、非公開とさせて頂きました。
彼のことを記録しておくつもりが、話を盛ってしまいました。
「家の人たち」の記事については、家族に甘えていたと気づき、
今後の、主婦erでの扱いについては、検討します。
本当に申し訳ありませんでした。
これを書いているのは、10月26日(木)の夜です。
明日は朝一番の飛行機で、高知に出張。
この記事は、明日の朝9時に投稿されるようにセットしておきます。
今回の出張の第一目的は、高知大学の是永かな子先生の取材です。
北欧のギフテッド教育事情を伺ってきます。
先生は、こんな感じの方です。
教育実践研究家の菊池省三先生の勉強会にも参加します。
菊池先生の想いは、こんな感じです。
教育に真摯に取り組んでいる方に直接お会いできること
それは教育記事を書くライター冥利につきます。
さて。明日は、4時起きなので、もう寝ます!
先ほど、オーケストラ後輩ちゃんから、
こんな画像が送られてきた。
+++
ひかるさーん。
今日、こんなのを見つけて即買いしましたー😆
すみません、それだけです(笑)
ご報告したくなって。
+++
何だか嬉しいな!
ありがとう、つかちゃん!!!
読者の皆様は、「またか!」と思うかもしれませんが、目下の関心事なので、綴らせて頂きます。
今期の私の課題曲は、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」です。
今、プロコフィエフで検索をかけてみると、7月、8月、9月と、「はいはい、そうですね」ということを書いている。
そして、迎えた10月は、広島、金沢、高知と、インドア派の文筆業者らしからぬ、活動ぶり。
出張続きに加えて、三男の前十字靭帯断裂の手術などもあり、かなりバタつく日々の中で、原稿をたくさん抱えている。どう考えても、楽器どころではない。
が、しかし。
プロコフィエフへの想いは断ち切れず、そして「こう弾きたい」という理想と、「全然、弾けていない」という現実に身悶えている、なう。
次のビオラのレッスンは、10月30日(月)で、先生とお約束をした時点では、「その頃には、プロコフィエフを弾けるようになっている」と、内心、思っていた。
それなのに、全然、弾けないわ? おかしいわ??
でも、ここで自分にプレッシャーをかけて、さらったところで、腱鞘炎になるのが、火を見るよりも明らか。
落ち着け、自分。
知人に恋愛体質なのに恋愛がうまくいっていない友人がいて、わりとよくランチをする。この人。
毎回、話を聴くたびに、「そんな男、もう止めちゃいなよ」とお伝えしているのですが。
私も人にそんなこと言えないなぁ~。想いというのは、止められないのよね。
ひとまず、「11月になったら、落ち着いてさらおう」と思うことで、今日は気持ちに区切りをつけることにします。
今回の出張では、ファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんにお誘い頂いて、介護施設3件を見学してきました。
「ファイナンシャルプランナーの畠中雅子さんにお誘い頂いて、介護施設を見学する」というフレーズ、このブログだけでも、何回、書いただろうか?
最初の頃、記事にしたこともあったな。記事を探してみる。⇒ あった!
「なぜ、介護施設の見学をしているのか?」と問われれば、「畠中さんに誘って頂くから」という感じなのだが(おいっ!)。
介護現場に行き、現場の方からお話を伺えるというのは、多くの学びがある。
多くの学びを得ているのに、「勉強になりました~!」で、終わっていた私。
ある時、畠中さんに、「楢戸さんが経験したことを、文章にしておけば?」とアドバイスを頂き、自分のHPのリニューアルを機に、「介護」という項目も作った。
「これからは、介護の記事も書くぞ!」と思っていた矢先。
オヤトリドリさんとお仕事をさせて頂くことになった。
オヤトリドリさんのサイトは、コチラ。
そんな訳で、今回の出張は、オヤトリドリさんで11月中に記事化します。乞う、ご期待!
畠中さんといえば、ミニチュアワールド見学の趣味ブログが圧巻です。
ブログの紹介は、下記です。(介護施設見学にも、言及されています。)
畠中さんと行動を一緒にしていると、「ここまで来たら、これがある」みたいな感じで、私もミニチュアを一緒に見る機会がある。
ジオラマを見る機会なんぞ、普通に生活をしていたら、ない。
けれども、畠中さんのお蔭で、「ジオラマをしげしげと眺める時間」が、私の人生に出現している。ありがたや~。
夜は、海鮮丼。おいしかった! ← 語彙力
「のどぐろ」というお魚を初めて食べた!
写真の、サーモンとマグロの間にある切り身です。
畠中さん曰く、「アシが早い魚なので、地元でないと食べられない」ということで、海鮮が食べられるお店を予約して下さっていた。
お味はというと、歯ごたえのある鯛(のような白身魚系)。シコシコしていた。
そもそも、金沢に行くのは人生初! だし、ノドグロも食べられたし。
畠中さんのお傍に置いて頂くことで、人生経験が増えている。
リコッタパンケーキで有名な、高倉町珈琲にも連れて行ってもらった。
個人的には、畠中さんのカフェの探し方に、感銘を受けた。以下、会話です。
私 : 畠中さん、こういうカフェ、どうやって見つけるんですか?
畠中さん : 通る道のグーグルマップを拡大して、カフェがないか探すの。
すっごくないですか! その情熱。
畠中さんの旅行プランの立て方って、常軌を逸していると思う。(最高の誉め言葉として使っています)。
私は敬愛の念を込めて、「雅子トラベル」と呼んでいます。
今回の雅子トラベルでは、金沢駅でレンタカーを借りて、畠中さんの運転で全てを回った。
「畠中さん舎弟歴」も、だいぶ長くなってきた私だが、畠中さんが車を運転するのは初めて見た!
当日は雨が降っていて、ワイパーが左右する車の窓から見える景色が印象に残った。
そんな助手席の景色とともに、二人で行った金沢視察。
舎弟としては、畠中さんとの思い出が、また一つ増えて嬉しい。
金沢の介護施設取材に行くため、
金曜日は、主婦erをお休みします。
(今日も、この告知だけだけどね・・・)。
月曜日にお会いしましょう!
お陰様で三男の手術、無事、終わりました!
終日、杏林病院に張り付きだったので、今日は、杏林病院内の飲食店のルポをします。
松本楼は、日比谷公園の中にある名店で、カレーとオムライスが人気です。
日比谷松本楼HPは、コチラ。
我が家の御用達の大病院は、杏林大学病院です。
「杏林大学病院に終日いる」ということは、「手術の付き添い」や「大学病院での精密検査」など、あんまり楽しくないイベントゆえに。
できる限り、松本楼で御馳走することにしています。(自分に)
昨日は、夫も一緒だったので、二皿オーダー。
ちなみに、夫のことを好ましいと思う点の一つとして、「外食の時は、いつも、『ひかるの好きなメニューを二つ頼めばいい』と、言ってくれるところ」があります。
定番のカレーは、「ちょこっとカレー」というルーだけ楽しめるメニューがあったので、それを頼みました。エピブライの画像の上にある、片口の器のルーがそれです。
食後は、「病院内でネットが使える環境」を探索することに。病室やデイルームにはwifiが飛んでいないとのこと。
三男の入院は1週間ですが、「授業をオンデマンドで受けたい」といっていたので、wifi環境が必要なのです。
結論 杏林大学病院内でwifiが飛んでいるのは、「カフェ・ド・ルポ」と「松本楼」
スタバもありますが、大学病院内の支店ということで、wifi は飛んでいないそうです。
カフェ・ド・ルポは6階にあるので見晴らしが良い!
「車椅子の方もご利用しやすいようにテーブルを配置しました」とのことで、バリアフリーにも問題がありません。
三男が麻酔から覚めるのを見届けて、バスに乗って吉祥寺まで辿り着く。
「家に帰る前に、一服したいね」ということで、B²(ビースクエアード)に寄ることに。
B²(ビースクエアード)について、私が熱く語っているブログは、コチラ。
夫とお茶をしながら、いつもの定番セリフを言う。
私 : 子どもに何かあった時、パパがいてくれると安心! 私が結婚生活を続けている理由は、子ども達に対して、私と同じだけ想ってくれる人は、パパしかいないっていう、その部分なんだよね。
このセリフ、子どもの案件で大変な時、いつも言っている。心から、そう思うから。
いつもは一方通行の会話なのだが、ふと、思い立って、夫に聞いてみた。
私 : パパは、何で結婚生活を続けているの?
夫 : 面白いから! 飽きないよ。
え? そこ??
夫に、めちゃ即答されて、その迷いなき感じに、こっちが面食らったわ!
三男が、一橋大学の体育会アメフト部に入ったことは、以前、ご紹介したと思う。
運動と無縁の母にとっては、体育会系の部活に息子が入るって、晴天の霹靂に近い驚きがありました。
でも、「びっくりしている保護者」というのは、私だけではないみたい。
むしろ、「アメフト部として、そんな保護者をケアします」といった姿勢で、ホテルの一室を借り「保護者と部員との懇親会」が、催された。
そこでお話しを伺ったり、何より! 他の保護者と一緒に試合会場に足を運び、試合観戦と応援をすることで、「なるほど、こういう感じなんだ」と、腑に落ちてきた感じ。
だが、しかし。
そんな懇親会や試合見学の前に、我が息子は怪我をしてしまった。
タイトルの通り、前十字靭帯を損傷してしまったのだ・・。
同期の一年生部員がクリムゾンのユニフォームを着てフィールドに立っている中、三男は松葉杖をついて、観客席にいた。
私だったら、落ち込んでしまう局面だと思う。
この局面で、弱音一つ、愚痴すら一切言わない三男のことは、尊敬している。
怪我をしたのは、8月末。
大学病院の手術室というのは混んでいるらしく、「なるはや」で手術の予約がとれたのが、本日でして。
昨日は、午後6時から、手術説明を受けてきました。
今の病院は、「こんなリスクがあります」というリスクを、全て事前に説明するんだろうね・・・。
15個くらいのリスク説明を受けて、もう、それだけで不安はMAX。
病院は駅からは遠く、大学病院と言えども、夕方になると患者さんはおらず。
不安な気持ちを抱えて、人の気配が全くないエリアを、一人で帰ってくるのは、なかなかに心細かった。
病院に一人取り残された三男も、心細かったりするのだろうか・・・。
前十字靭帯を一度切ってしまうと、再発する可能性は、20%強だという。
つまり、4~5人に一人が、再び、切ってしまうそうだ。
今回の怪我だけでも、実際にアメフトができるようになるまでは、全治1年だという。
大学が4年間しかない中で、一年部活ができないというのは、大きいと思う。
再発の可能性も高い。
こう書くだけで、私としては暗澹たる気持ちになる。
留学するとか、アルバイトをするとか、他のサークルに入るとか。
「1年アメフトができないのであれば、クリムゾンに固執せずとも、よかろうに・・・」と思い、本人にも伝えてみた。
それでも彼は、部活を辞めないそうだ。
それは、きっと部活の仲間の存在が大きいんだと思う。
前述の、「保護者と部員の懇親会」で、「自分もクリムゾンでした。息子も入りました」という保護者がいらして、こんなことを言っていた。
クリムゾンのメンバーは、「アメフトが好き」というよりも、クリムゾンが好きなんです。クリムゾンに惚れているんですよ、みんな、と。
その保護者は、現在、九州に住んでいらっしゃるそうだ。
「今日は、久しぶりに上京したんで、息子がクリムゾンに入ったことを、同期がお祝いしてくれるんです」と、言っていた。
長い人生を付き合う仲間、そして趣味を作るという視点で考えれば、「大学1年間、部活ができない」ということも、大した話ではないのかもな~。
私が所属しているのは、学習院OB管弦楽団。
今なお、学生時代の部活の延長線の上で生きている母は、そんなことも思ったりもする。
何はともあれ、今日の手術の無事を祈ります!
この週末は、音楽三昧だったので、その記録をつけておきます。
オーケストラ全体で練習することを全奏といい、「弦楽器」「金管楽器」「木管楽器」「打楽器」など、持ち場で区切って練習することを分奏という。
この週末は弦分奏。という練習形態だった。
崎谷さんに初めて弦分奏をして頂いた日の衝撃を、私は、こんなふうに書いている。
例えるならば。
私は今まで小学生が教科書を読むように、ただ譜面づらを追っていたんだなぁと気付かざると得ない、彼の解釈は、「俳優さんの朗読」レベルだったという感じ。
圧倒的な才能を垣間見た 2時間
昨日の練習も、「崎谷さん、すごいな~!」って、思った。← 語彙力!
崎谷さん、11月に『ブラームス ヴァイオリン・ソナタ 全3曲』リリースをされるようなので、購入せねば! 崎谷さんのHPは、コチラ。
崎谷さんの演奏について、私が熱く語っているブログは下記です。
弦分奏の後はランチを食べて、午後は、ビオラパートの先輩の旦那様(櫻井茂さん)の演奏会に行った。
櫻井さんは、~ヴィオラ・ダ・ガンバの響きを楽しむ~という副題のついた演奏会をシリーズで開催されている。
副題通り、「ヴィオラ・ダ・ガンバの響きを楽しみたい」という方を対象にした演奏会で、観客は、10名~20名くらいを想定されているそう。
私は、気がつけば、色々なタイプの音楽家やミュージシャンから、演奏会やライブにお誘い頂く。
私が行く演奏会やライブの観客の規模感は、10人前後の場合が多い。
そのくらいの人数に向けて、音楽を表現する。そして、それを聴く人がいる。
「音楽を分かち合う」ということは、本来は、そんな営みだったのではないか? と、思う。
立派なコンサート会場で、フルオーケストラの演奏を聴くのも、好きですが。
「生活の中にあるアート」が好みの私としては、「生活の中にある音楽」という意味で、サロンコンサートの方が、人としての営みとしては、自然な気もする。
櫻井さんは、「このくらいの規模感の演奏会を定期的に開催して、時々、大きな会場で、今日来て下さっている方たちに、お友達を連れてきてもらうという形式で演奏会を続けていきたい」と、おっしゃっていた。
「弦楽器の音が好き」という同好の士、次回は、是非、ご一緒しましょう! こちらから、ご連絡下さい。
今回の演奏会は、「PRISM consort of viols 」というシリーズです。HPは、コチラ。
ここからは、「私のブログあるある」の、安定の脱線です。
ヴィオラ・ダ・ガンバは、ザックリいえば、ビオラやバイオリンの祖先みたいなもの。
「クラッシック音楽」というジャンルの中に、更に「古楽器」というジャンルがある。
日本の楽器でいえば、三味線やお琴、尺八みたいなもん?
いや、三味線やお琴、尺八が、バイオリンやピアノやフルートなのかもしれない。
そう考えると、「笙」あたりなのか?
「日本の古楽器といえば、東儀秀樹さんだよなぁ」と検索してみたら、You Tube チャンネルをお持ちで(ここまでは想定内)。
なんと! 東儀さんがチェロを弾いていらした。
ウルトラマン ブレーザー「オトノホシ」より「チルソナイト創世紀」short version 東儀秀樹、東儀典親
演奏曲目は、上記の通り。コメントから推察するに、ウルトラマン関連の劇作音楽なのかな? 子どもの頃に、こういう音楽を聴けることは、とても良いことだと思う。
プログラムから、演奏家の名前だけ、メモっておく。
ウィリアム・バード、トマス・トムキンズ、オーランド・ギボンズ、ヘンリー・パーセル、クリストファー・シンプソン、アルフォンソ・フェラボスコ1世
【ウィリアム・バード】
上記の羅列した作曲家で、聞いたことがあったのは、ウィリアム・バードのみ。ちょっとウキってみた。
1543年生まれ。イングランドで活躍したルネサンス音楽の作曲家。
⇒ 日本だと徳川家康が1542年生まれだから、その頃の西洋の音楽を昨日は聴いていたということだ。
ウキってみたら、こんな記述が。
【ギボンズ、ヘンリー】
ピアニストのグレン・グールドは、ギボンズを好んだ。彼はあるインタビューの中でギボンズをベートーヴェンやヴェーベルンと比較している。
ひゃだ! グレン・グールドが好きならば、ギボンスは聴いてみなきゃ!
グレン・グールドが好きな件は、下記。
だめだ…。音楽沼は、深すぎる。
〆切あるのに、午前中全てを音楽話のブログ作成に費やしてしまった、なう。
午後は、仕事します!!!
パート練習というのは、前述した弦分奏より、さらに細かく持ち場を分けて、ビオラのみで行う練習のことを言う。
先生は、ビオラの現役演奏家。
プロの演奏家に、「ここは、こうやって練習するんです」と教えてもらえるって、すっごい贅沢だなぁと思った。
「弾けない、弾けない」と言ってないで、「コツコツとさらっていこう!」って、心新たに思った次第でございます。
質問者 : 楢戸ひかる
回答者 : 富岡美織・北の星東札幌保育園園長 プロフィールは、こちら。
いわゆる「おはしゃぎ反応」というのだけど、そういうやりとりができるようになったということは、外界からの刺激をすごく吸収しているということ。
だからオッパイを飲ませる時にテレビを見ながら飲ませるのと、お母さんが赤ちゃんと会話しながら飲ませるのとは全然違う。
赤ちゃんに集中してあげる。うんと声をかけてあげる。さわってあげる。
泣いているのは「お母さん来て!」と、呼んでいるんだ。
たとえばオシッコが出ていたなら、オムツを無言でかえない。
「そう、オシッコ出ていたの?」と、大人同士の会話みたいにちゃんと会話をする。
一見ひとり芝居なんだけどね(笑)。
反応がないから、なおさら「こういう時に会話をするのが大切なんだ」と思っておく。
ここで赤ちゃんに気持ちをかけてあげるのは、人と関わりができる下地を作っていることなの。
そういうのがまるでなくて、「お話するようになったから、何か話しをしましょう」というのはナンセンス。
しゃべれるようになってから一日ベッタリと会話するよりも、この頃から、一日一分でも会話をしていた方が有効だと思う。
母乳オンリー主義には、懐疑的なんだ。
人間が、人間のお乳で育つのがいいのは、絶対にそうだと思う。
だけど母乳が出ないのなら、「出なかったら出ないで、いい人工乳もあるよ」というスタンス。
赤ちゃんが生まれて喜びに包まれている時期、母乳がでないことで「母親失格」みたいな気分になるのは、もったいない。
努力をするのは悪いことではない。でも努力しても、ダメなこともある。そしたら、代替案を考えるフレキシブルさも大切。
―実際に母乳の子と混合の子と育ててみて、違いはあったの?
母乳の子の方が、風邪をちょっとひかないかな? 程度。
でも母乳以外でも、体を丈夫にする方法はある。
たとえば、「子どもに何かしてあげたい」という気持ちが強いのだったら、離乳食を少し早めに始めて手作りを頑張ってみるとか。
人間には「知恵」があるんだから、いくらでも他のことでカバーできると思うんだ。
質問者 : 楢戸ひかる
回答者 : 富岡美織・北の星東札幌保育園園長 プロフィールは、こちら。
人生の中で、いちばん手をかけてもらうべき時代。馬や牛は生まれた瞬間に立てなければ、そこで淘汰される。「二十年かけて、大人になっていいですよ」と、オッケーをもらっているのは、人間だけ。
そこに他の動物との圧倒的な違いがある。
人間は、他の動物とは比べものにならないくらい、脳が可塑性(可能性)を持った状態で生まれてくるんだ。
―脳の可塑性って?
狼に育てられたアマラとカマラという女の子の話を知っている? 赤ん坊の時に狼に育てられたら、その後、いくら人間が育てても死ぬまで四這いのままだった・・。
うちの犬は、人間の私が育てても人間にはならない。でも人間は、狼が育てれば狼になってしまう。
それくらい「育て方によって、どうなるかわからない存在」だということ。
これは脅しじゃなくて、育て方によって素晴らしくなる。すごい希望を持っているということ。
赤ちゃんは、「ねぇねぇ、お母さん。ヒマだから、ちょっと相手をしなさいよ」とは言わない。
つまり大人が働きかけることでしか発達できないという状況に置かれている。
だからこそ、大人の存在が大事。
どう手をかけてやるかが、その後のその子の人生に大きく関わってくる時期なんだ。
日本LD学会は、ご存知だろうか?
日本で最大規模を誇る、特別支援教育の学会である。
今年は広島で行われた大会の開会式は、こんな感じ。
規模感、この写真で伝わるかしら?
3000人を超える人が、全国から集ってくる。
写真、右端のお帽子をかぶっていらっしゃるのが、上野先生です。ブログは、コチラ。
初めてお話させて頂いたが、キラキラとした瞳が強く印象に残った。
この方が、日本の特別支援教育を切り拓いて下さったんだなぁと思うと、感極まる。
校長先生ご挨拶は、コチラ。
田中さんは、元社会人野球の選手で、前・文部科学省の特別支援教育調査官。
文科省時代の田中さんを取材した記事は、下記です。
えじそんくらぶの高山先生とは、長らくお仕事をさせて頂いてきた。
本も一緒に作らせて頂いた。
子どものよさを引き出し、個性を伸ばす「教室支援」: オールカラーで、まんがでわかる!
今、えじそんくらぶのHPを確認したら、無料で、こんな素敵な会があるようです。
『発達障害は生涯発達!モノの見方が全てを変える』
~大切なのは笑いと感謝 実践をして感じたこと~
柳家 花緑 氏(落語家)
私は、もちろん拝聴に伺います。
当日は、ギフテッドの理解と援助のこれからの取材だった。
応援ブックを一緒に作った先生方の取材が目的の出張だったが。
LD学会に集っていた方たちの、すざまじい熱気に元気をもらった。
こんなたくさんのプログラムが開催されている。プログラム一覧
今、私にできることは、何なんだろう?
あたらめて、考えていきたい。
子育ての科学の第一歩は、「子どもは、大人とは全く別の生き物である」と、頭を切り替えることだった。
社会契約論で有名なルソー(1712年~1778年)は、著書「エミール」の中で、「子どもは、子どもでしかありえない存在であり、彼らに豊かな教育を保障することにより真の人間・大人に育ちゆくのだ」と言った。
富ちゃんも、「子どもは、大人の小さい版じゃないからさ。そこをキッパリ切り替えられない人は、子育てのラビリンスに入ってしまうんだよね」と、よく言っている。
私は現在二歳の双子を、異国の人だと思っている。
それもアメリカやフランスといった先進国の人ではなく、首長族くらいの距離感のある異国の人である。
私には考えも及ばない慣習の異国人が、我が家にホームステイ中である。これくらい思い切って頭を切り替える必要があった。
子育てをしていると、毎日が「どうして、そんなことするの?」「何で、そんなことができないの?」の連続である。
富ちゃんは、「どうしてという言葉を保育士が使ったのなら、プロとして失格だよね。これほど子どもを否定する言葉はないから」と言う。
たとえば、子どもが服を汚す。「どうして汚すの? 何で汚れた服を着替えないの? と思うのは大人の発想。
子どもは、汚したとは思っていないし、汚くてもそのままで構わないんだから」。最初にその話を聞いた時は、「そんな発想、できないわ」と、ビックリした。
私は今でも「どうして?」という言葉を一日に五回は使っているし、その三倍は「何で?」と思うことが起こる日々である。
自分を責め出すと苦しいので、それを悪いとは思わないようもしている。
肝心なのは、「どうして? と言ったら、大人の負け」だと思っておくことである。「どうして」という言葉の奥には、「本当はこうあるべきなのに」という気持ちがある。
つまり「私(大人)が思っている大前提は正しい」と、疑っていないことが問題なのである。
首長族に「どうして首に輪をつけているの!」と、最初からケンカごしで聞く人はいない。
「そういう慣習があるのかな?」と文献を調べたり、コミュニケーションのための言語を勉強してみたり・・といったアプローチをするだろう。
一見ノールールに見える子どもにも、実はちゃんと慣習がある。だから子どもについて学ぶことや、彼らの心に届く言葉でコミュニケーションすることは有効である。
K園では子どもについての勉強会がしばしば開かれているし、保育士が折につけ子どもを解説してくれる。
それをもとに、子どもを読み解いていくと、「なるほど」と納得することが多い。
反対に言えば、それなくして子どもを眺めていたところで、いつまでたっても「どうして?」という気持ちが拭えない。
「どうして?」を押し殺すのは、負の労力である。
それだったら、「どうして?」を解明すべく、子どもについて学ぶ方が生産的だと思った。
そうは言っても、三人の男の子を相手に理性的なお母さんを、やってもいられない。「こんな日々が、いつまで続くのだろう?」。そう思うのも、毎日のことである。
具体的な指標を知りたい。
「この話が通じるのは、何歳なのか?」「部屋が汚いと認識できるのは、いつなのか?」「駄々をこねるのは、いつ終わるものなのか?」・・。
その目処が持てれば、育児のストレスはかなり軽減されると考える。
「発達は道筋」という言葉を、K園ではよく使う。
個人差はあれど、人間の成長には一定の道筋があるという考え方である。今の我が子は、発達段階のどこらへんを歩いているのか?
各年齢の子どもにとって、世界はどんなふうに見えているのか? それを一度整理してみたいと思った。
現代の母親ワールドは、育児の海を羅針盤もなく航海しているようなものである。富ちゃんに協力してもらって、子どもの世界の航海図を描いてみたい。
今年の8月、泰次郎先生の姪御さんである寵子さんから、泰次郎先生が、何の予兆もなく、眠るように息を引き取られたという連絡を頂いた。
この夏、泰次郎先生とは、寵子さんのご自宅で、何度がランチをご一緒していたこともあり、「著名人の死」というよりは、身近な方が亡くなった時のような喪失感だった・・・。
この出来事を、どう捉えたら良いのか? 私の中で、うまく整理がつかないまま、月日だけが流れていた。
泰次郎先生を偲ぶ演奏会は、先生が芸術監督を務められていた初台にあるオペラシティで行われた。
ロビーには、先生がお使いになったスコアや指揮棒、記念演奏会のフライヤーなどの展示もある。
私は開場をめがけて到着したので、何とかスコアを見ることができたが、その後は長蛇の列。
その列に並んでいる方々は、一目、泰次郎先生の足跡を見たいと並んでいるのだと思うと、すごいことだよなぁ~と思った。
演目は、以下の三曲。
ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ワーグナー 楽劇 「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲と愛と死
ブルックナー 交響曲第9番
ワーグナーは愛と死に至る演目、ブルックナーの交響曲は未完と遺作(スケッチなどは残されていたと指揮者の方が演奏会前に説明して下さった)
ブルックナーを聴いている時に、「泰次郎先生の指揮って、やっぱりすごかったなぁ~」って、しみじみ思った。
今年の4月、こんなブログを書いた。
「国宝級というのは、こういうことなんだ」と、体感させて頂いた感じ。
ブログの結論は、上記の通りなのだが、別次元を見せてもらった。
そして、「泰次郎先生が指揮をするお姿を、もう見ることはないんだ」ということが、腑に落ちた気がした。
私は、その日、体調が芳しくなく、日中は寝込んでいた。
行けるか、行けないか、迷うレベルの体調だったが、行って良かった!!!
今回の演奏会を指揮されていた高関健さんは、「飯守さんから伝えてもらったことを、どうやって自分たちの演奏で表現していくかを考えている」といった主旨のことを語っていらした。
先生の音楽を継承していくであろう音楽家たちを見ることができて、音楽仲間の中に脈々と流れているんだと思った。
ご冥福をお祈りします。
10月5日 日中は寝込む。 ← 今、ここ。
昨日、ギフテッド応援ブックが発売になりました!
生きづらさを「らしさ」に変える本という副題をつけた本です
この本を必要としている人に届きますよう、切に祈ります!
一番は、現場を混乱させないためです。文部科学省では有識者の皆さんに集まって頂き、議論したのですが、「ギフテッド」という言葉は、イメージも解釈も人それぞれです。そのような言葉を使うことで、さまざまな誤解が生じ、現場が混乱する可能性も考えられます。
文部科学省「特定分野に特異な才能のある児童生徒」支援の現在進行形
例えば、特定の基準により定義をし、それにより選抜された子供に特別のプログラムを提供することは、特定の子供にラベル付けをすることになります。選抜のための過度な競争が発生したり、才能というものが狭い範囲で捉えられてしまうこと、そして、同級生から異質な存在と捉えられたりする懸念もあります。このことも有識者の皆さんにしっかり議論して頂いたことです。
文部科学省「特定分野に特異な才能のある児童生徒」支援の現在進行形
世界を見渡してみると、ギフテッドに教育を施している国は、大きく二通りに分けられるようです。
1)選抜して英才教育系 ・・・ 韓国、中国、シンガポールなど
2)リスクと捉え支援系 ・・・ 北欧諸国など
日本は、2)の立ち位置をとる。
このことは、しっかりと伝えていきたいです。
私は、老人介護施設巡りなどを通じて、社会保障に関心があります。
国の在り方は、教育や社会保障に出るのだなぁと、感じます。
ギフテッドは、配慮や支援が必要な子ども
この分野の事例や知恵が蓄積されていくことは、多様な子供達が育つ土壌づくりに繋がると思います。
今後も、しっかりと取材をしていきたいと思っています。
私は、サラリーマンの父と専業主婦の母の下で育った。母の世代は、ニューファミリーとして「女性でも、自分の人生を生きる」といった新しい考え方を持った初めての世代である。
出産するまで働いていた母は、家庭に入るよりも社会に出て仕事をしたいタイプなのだろう。「ライフワークを見つけたい」と、ことあるごとに言っていた。だが夫は転勤族の企業戦士で、母自身も心臓に重い持病があった。現実的には働きに出るのは難しく、人生の大半を家庭の中で過ごしている。
そんな母の苦しみを見ながら、私は育った。だからこそ、仕事を手放したくなかった。子育てが一段落して、家庭から一歩踏み出そうとした時に、仕事が杖になると思ったからだ。仕事に執着したのは、好きだったことが第一にあるが、「手放したら最後、母と同じ苦しみを味わうことになる」という一種の強迫観念もあった。
一方で、専業主婦に育てられただけに、「母親なのだから、家庭を最優先するべき」という良妻賢母の呪縛からも抜けられなかった。子どもを産んでも、まだ仕事に夢中であることに罪悪感がある・・。「母親であること」に向き合おうとすると、常に矛盾や混乱、迷いや葛藤が生まれる。だからパンドラの箱を開けるのが、怖かった。
つまりは、「自分が、かわいかった」ということに集約されるのだと思う。子どもよりも、まず自分。その優先順位は、たとえ我が子が相手でも譲ることができなかった。
だが双子の妊娠、出産という体験を通じて、そんな自分に辟易とした。「アンタがやってきたことが、ナンボのもんなんじゃい!」と、全てを白紙にしたくなった。また命を授かったことへの感謝の気持ちも、遅ればせながら生まれた。それが「今度こそ、ちゃんと母親をやりたい」という気持ちに繋がっていった。
だが母親ワールドが醸し出している雰囲気が、どうにも肌に合わないのである。長男の時も「ちゃんと母親をやりたい」という気持ちは、あった。でも母親ワールドに馴染めず、挫折した。何がいけなかったのだろう? 母親になるまでの人生を振り返ってみる。
短大を卒業して、総合商社に事務職として入社した。「三年くらい社会見学をしたら、結婚したい。その後は、専業主婦になる」と、何の疑いもなく信じていた。女の子→お嫁さん→お母さん。それが女性の王道コースだという価値観である。
入社した会社には、暗黙の「女の子枠」があった。仕事をきちんとする「男の人」と、一生補佐的な役割を担う「女の子」で会社は成り立っているのである。女性であれば、四十歳でも五十歳になっても「女の子枠」内で生きていく。
だがバブルが崩壊して、会社は女の子枠を維持する体力がなくなった。「我が社の含み資産である女子社員にも、きちんと働いてもらいたい」といった趣旨のことを、年頭の挨拶で社長が言ったのを覚えている。
ちょうどその時期、アメリカ帰りの上司の下で働くことになった。彼には、「女の子枠」という概念はなく、容赦なくビシビシとしごかれた。あまりの厳しさに家に帰っては、サメザメと泣く毎日・・。だが、いつしか「仕事って、面白いかもしれない」と思うようになった。
それが、「一生働き続けたい」という気持ちとなり、ライターという仕事が視野に入ってきた。私の社会的自我は、時代の流れの中で必要に迫られて育ったのだと思う。
ところが、いざ母親になってみると、そこは旧態依然とした「女の子枠」的世界であった。「おんな・こども」がひとくくりにされていた時代のまま、時が止まっているかのようである。眠たくなるほど、生ぬるかった。檻に入れられた野生動物が、自らの爪で我が身を傷つけてしまうように、母親ワールドでは社会的自我は邪魔でしかない。
「母親を、ちゃんとやりたい。だけど母親ワールドは肌に合わない」という気分に、K園の保育がフィットした。一年前から長男を通わせてはいたが、K園を本格的に意識したのは双子が0歳児クラスに入ってからである。
ある日、双子をお迎えに行くと、保育士が足の指をなめている我が子を見て、こんな話をしてくれた。「この動作は、仰向け時代の最終段階。足の指、つまり体の末端だよね。ここまで触れるようになって、自分の体の全体像を把握し、寝返り時代に入っていくんだ」。
子どもが足をなめているという何気ない光景は、育児の素人の私が見れば、「かわいいな」程度しか思わない。でも育児のプロである保育士だと、その光景の意味が読める。それが面白いと思った。
私が魅力を感じた世界観をまとめた文章があるので、少し長くなるが引用したい。
「子育ての科学」は、親のさまざまな子育て経験が蓄積されるだけでは発展しません。
無数の子育ての経験から生まれた、多様な「子育ての知恵」が「子育ての科学」として発展するためには、一定の条件が必要です。
子育てが、母親個人の仕事、個人の責任、せいぜい家の仕事、責任という枠にとじこめられている状況から開放されて、子育てが社会的、共同的、公共的な事業であり、社会的な責任になるような状況に広がること、つまり「子育ての社会化」が発展することが必要なのです。(中略)
個別的な子育て経験の蓄積から生まれた「子育ての知恵」をも包み込んで、集団保育の実践が蓄積されるようになったことが、「子育ての科学」を生み出す根本的な要件のひとつです。(中略)
さらに、「子育ての社会化」は、保育実践、保育施設、保育条件に関わる諸科学の多くの研究者―保育学、心理学、教育学者だけでなく、医師、建築家、法律家、経済学者、栄養士、調理士、体育、美術、文化、などの専門家―を生み出し、「子育ての科学」を豊かにする上で大きく貢献しています。(『年齢別保育講座』 高浜介二、秋葉英則、横田昌子監修より)
家庭から生まれた子育ての知恵、保育実践の蓄積、そして諸科学の研究者からの意見、これらがブレンドされた子育ての世界がある。そこでなら、母親をやれるかもしれない。心の中でブンブンと渦を巻いていた「母親を、ちゃんとやりたい」というエネルギーの活路が見つかった気がした。
先週の金曜日の午後、パソコンの設定を変更しようとしたら、急にメールが繋がらなくなった。
一時は、メーラー自体が立ち上がらなくなってしまっていたので、めちゃくちゃ焦った。
「もしかして、新しいアドレスから取り直し!?」くらいまで覚悟したのだが、今日の午前中に何とか復旧。
私は自宅が仕事場なので、仕事場の環境には気を配っているつもりだった。
でも、生命線とも言える電子機器類に対しては、気持ちがあまり向かなくて。
でも、今回の「事件」で、「苦手とか、そういう次元の話ではないなぁ~」と、思った。
幸い、いつも通っているパソコン教室の先生は、自宅まで出張サポートに来て下さるというので、今日、これから相談に行くことにする。
1)ヒューレットパッカード(新しいパソコン)にメールを設定。
2)パソコンを常時2台遣いできるよう、キーボードやマウスとの接続設計。
3)プリンターを無線にしたい。
4)スキャナーをパソコンファイルに直接繋ぎたい。
5)ウィルスバスターの設定
「電子機器類が当たり前に動くこと」を前提に仕事をしていたけれども、今回のことで、それは崩れ去った。
リスクヘッジを考えながら、仕事場の環境を整えていきたい。