【フォーシーズンホテルにて】
昨日は、新書『「みんなの学校」から社会を変える』の
完成打ち上げ会だった。
木村泰子先生と高山恵子先生、
編集者さんと私。
4人で、東京のシャレオツなレストランで
食事をしてきた。
この4人で会う時は、今までずっと仕事(取材)だったし、
取材後に原稿を書く私は、「宿題」を抱えた気分だった。
今回の食事会は、「宿題」が完成したので
とても、晴れ晴れとした気分!!
東京の夜景を見ながら、先生方や編集者さんとお話しをして
東京さ出てきて、良かった! って思った。
つか。私、東京出身なんだけれど。
何というのかなぁ?
「マジで仕事をしよう!」って思ったのが、
夫の転勤で4年間暮らしていた北海道で。だったんですよ。
29歳で丸紅を辞めてフリーライターになり、
北海道に行ったのは、34歳の時だから5年間、
それなりに東京でフリーライターをやっていたつもりだったが。
北海道時代に、週刊金曜日初代編集長である和多田進さんと出会い、
北海道の自然を相手にマジで仕事をしている人の物語を紡ぐ仕事を頂いた。
これが、まぁ、本当に、見事に全く何も書けなくて、
自分の薄っぺらさを思い知った。
和多田さんは、アラーキーの奥様である陽子さんが亡くなった後
健康診断に同行する役目。は和多田さんですってほどに、
アラーキーが心を許している相手で。
何なら、アラーキーの日常を撮った写真集まである。
他にも、札幌の大学に井上ひさしさんを招き、
アートプロディース論という授業を交代で担当していた。
彼の近くで仕事をさせて頂いて、
時代の表現者。ともいえるレベルの人達に実際にお会いして
その感覚を肌で感じられたのは大きかったと思う。
そして、
「今まで私がやっていたことって、
単なる『ライターごっこ』だったんだ」
と、思った。
話がソレてきたので、フリーリーの皆様に送ったメールを
貼り付けて終わります。
フリーリーとは、木村先生、高山先生、編集者さん、私の
4人の女子会の名前です。
●
高山先生、木村先生という並びで
お二人がたくさん語り合っている姿を拝見して、
とても幸せな気分になりました。
パイオニアとして切り拓いていくという
お仕事は時に孤独な時もあるのでしょう。
でも、志を同じくする人と
心おきなく語れるというのは、ほっとする瞬間ですよね。
お二人の姿を眺めていると、
車輪の両輪を眺めているようでした。
木村先生もおっしゃっていましたが、
木村先生のエネルギー、高山先生のエネルギー、
それがぶつかったからこそ生まれるものって
確実にありますよね。
そんな言葉のエネルギーを
ひとり静かに、最前線で感じることができた
執筆時間は、至福でした。
このチームに参加させて頂けて
心より感謝します!!
木村先生の、日本の教育は確実に変わっている
という言葉に、ものすごく励まされました。
私も私の持ち場で、コツコツとやっていこうと
あらためて思いました。