月別アーカイブ: 2023年9月

ギフテッドのサポートに有効なTPD理論とは?

ギフテッドの特性のひとつ、「過度激動」。現状、過度激動ばかりが着目されていますが、「ベースにTPD理論があって、そこに至るための過度激動である」という理解の方が、サポートに繋がりやすいと思います。

和田さんのところへ献本に伺う

小学館の和田さん

和田さんは、小学館の編集者さんです。昨年、定年退職をされて、今は関連の会社でお仕事をされています。

一緒に神保町でランチをした時の写真があったハズ・・。(探してみる・・) あった!

ワイルドな和田さんです

お写真だとワイルドな感じだけれど、お姉さん3人がいらっしゃる末っ子長男のせいか、細やかで優しいお人柄です。

とっても、お世話になりました!

ギフテッド応援ブックが完成!

ギフテッド応援ブックが完成したので、和田さんに献本に伺いました。

ここ2年くらい、ギフテッド祭りが続いています。

そのきっかけは、和田さんが、ギフテッド本の企画を通して下さったから。

和田さんが、漕ぎ出して下さったギフテッド船に乗っていたメンバー「小学館ギフテッド応援ブック制作委員会」で、2冊目の本を作っていたのでした。

ギフテッド応援ブックの発売は、10月3日(火)です。

思い出話をのんびりと

ギフテッド本1冊目のプロモーションでは、和田さんといろんなところにご一緒しました。

先生方の拠点である北海道の旭川、札幌。直接、旭川や札幌入りをしたり、旭川ー札幌を電車で移動したこともあったなぁ。

鹿児島にもご一緒しました。ブログにあげそびれているけれど、先生方も一緒の鹿児島の旅も、思い出深く、本当に楽しかった。

・・・などということを、お話ししているだけでも、ほのぼのした気持ちになりました。

和田さんは、このブログを読んで下さっているそう。光栄です!!

ユニピコのTシャツが、届きました!

井の頭公園にロケに行ってみた。(服は私の普段着)

ユニピコとは?

ママ友・みゆきちゃんが始めた活動、ユニピコのコンセプトは、こんな感じ。

私たち
ひとりひとりにある
個性溢れる宇宙

小さな一つの宇宙の
見えない存在たちが
誰かをおもう愛や
いろどり溢れる
ユニークな
ヒカリの世界を
表現したのが
ユニピコです

各人のユニピコを描いてくれる

冒頭の写真で私が着ているのが、ユニピコのTシャツ。税込み3,256円です。

Tシャツを購入した人には、「その人のユニピコ」の絵を、みゆきちゃんが書いてくれる。

私は、愛を地球に届けに来たらしい。

自分の中にある、自然。

そこから離れてしまわないよう、私は散歩をしたり、楽器を弾いたり、山登りをする。

でも、「Tシャツ」や「イラスト」といったグッズがあると、よりラフに、自分のユニピコにアプローチできると思う。

スイーツの盛り合わせを二人で半分こ

カワユスなスイーツ

みゆきちゃんは、「HPで、こういう話を書いて大丈夫なの?」と、心配してくれていたけれど。

「風の時代」という言葉も、だいぶ、市民権が出てきましたよね?

「一人一人が尊重される社会」といった言葉はベタに使われているが、「誰かに、尊重される」以前の話として、「自分が自分を、尊重しないとなー!」 と、思います。

でも、悲しいかな、昭和の教育を受けていると、正解に向けて、頑張ってしまう。

今の学習指導要領の最上位項目は、「主体的・対話的・深い学びの実現」ですから!

ユニピコの世界観そのものだよね!?

そこんとこ、夜・露・死・苦!

ロケの後は、そんな話をしたり・しなかったりしながら、スイーツ盛り合わせを半分こ。楽しい午後のひと時でした。

2023年度 布巾新調の儀

布巾と台ふきんを新調した

2023年度は、「ふきん」6枚・「台ふきん」5枚新調

「ふきん」というのはお皿などを拭く用で、「台ふきん」は、食卓を拭く用です。

先日、「あれ? 最近、ふきんのコンディション悪くない?」と思ったら、

毎年、年明けに新調しているのを、すっとばしておりました。

双子が大学受験だったからね。。。。

うん、しょうがない。

アマゾンで買うことにした

そんな訳で、2023年度の布巾新調の議は9月末でした。

う~ん、「毎年年明け」というのが、ちょっと狂うなぁ。

で。

以前、「ふきんをどこで買うか?」についての考察を延々と書いたことがある。

【結論】 アマゾンで買う。

その心としては、こんな思考があった。

今年も、「アマゾン か 生協 か 西友 か。どこで買うのが安いかなぁ?」と、よぎったのだが。たとえば、1枚30円値段が違ったとしても、12枚で、360円だよね。。。。

ご興味のある方は、コチラをどうぞ。

大人買いしてみた

ふきん大人買い。

今年は、「ふきん3枚組セット」を、7セット = 21枚

「台ふきん2枚組セット」を、10セット = 20枚

大人買いしてみました。

2024年度は、これで充分回る予感が致します。

こうやって数量を書いておくと、「お取替えのサイクル」が見えてくるだろうな。

乞う! ご期待!!!

長男・9月の帰省時の食卓

長男は1カ月に1回、髪の毛を西荻窪で切っているらしく、その帰り道に寄ってくれた。

そんな日の夕食の食卓の記録。

メインは、クリームシチュー

長男は、双方のじーじ・ばーばにコンタクト

長男は、夫の両親に敬老の日の電話をし、土曜日の昼間に、私の両親と食事をしてくれた。

双方の両親にとって「初孫」である彼の声を聞いたり、会えたりすることは、老いた親たちにとっての何よりの特効薬だろう。

感謝しかない。 ありがとうね!!!

長男が道筋をつけてくれたら、次男と三男も従ってくれるかしら? と、淡い期待。

クリームシチュー

「長男って、何が好きだったっけ?」などと思って整える食卓は、幸せだな~。次回と被らないように、覚書を載せておきます。

おかず7品 デザートは果物3品

誰がいたか → 父、母、長男、三男

お惣菜 ①クリームシチュー、②サラダ、③人参のラぺ、④ひじき煮、⑤ピーマンのじゃこ煮、⑥切干大根の洋風煮(コーン+ベーコン)、⑦塩豚

デザート 桜桃・白桃・なし

桃も、そろそろ終わりだね・・・。

スポーツクラブトークで盛り上がる

三男と長男は、スポーツクラブトークで盛り上がっていた。

次男は、他の兄弟を、こう呼ぶ。

長男に対して : モヤシ

三男に対して : 豚

でも、まんま、長男と三男は、「モヤシ」と「豚」くらいは、体格が違う。

しかも、三男は体育会系の部活(アメフト)なので、ザ★筋肉みたいな状態になっている。

双子は同じジムに通っているのだが、兄弟のことなど褒めたことのない次男が、「三男のジムでの鍛え方、エグイ」と、言っていた。

その話を聞いて、長男は、「俺も仲間に入る。俺の練習メニュー作って」と、三男に頼んでいた。

三男も、「いーよ、別に」と、自信ありげ。

長男と双子は、5歳も違うので、「お兄ちゃん」と、「下の子」という感じだった。

喧嘩にすらならない、圧倒的な能力差があると思っていたけれど、三男が、長男に、「何かを教えてあげる」という日が来るとは! 

母は感無量でございました。

ギフテッドは、なぜ宿題をしてこない? -教職員で共有しておきたい基礎知識(広島LD学会報告・後編)

ギフテッドのWISC(ウェクスラー式知能検査)結果によくある特徴は、「言語理解指標」が高く「処理速度指標」が低い、です。それが学校生活の中だと、どんな表れ方をするのかについてまとめました。

ギフテッド当事者が語るー 不登校の子の心の内は?(広島LD学会報告・前編)

ギフ寺(★)住職小泉雅彦先生が、ギフテッドの教育実践に立ち上がって下さったことを考えると、毎回、胸が熱くなる。そんな小泉先生の教育実践を記事化しました。

★ ギフテッドのための寺子屋

おおかみと五ひきのこやぎ 展

「まるやまものづくり舎」が吉祥寺 にじ画廊に上陸

まるやまものづくり舎

まるやまものづくり舎とは、札幌の円山地域で活動する、ものつくり集団。

インスタは、コチラ。

私が転勤で札幌に4年間住んでいた時のママ友、マット和子さんが、「まるやまものづくり舎」のメンバーの一人です。

会期は、2023年10月5日(木)~10月10日(火)まで

マットさんから、トップ画像に使った絵葉書が送られてきた。

絵葉書には、こんな案内文が書いてあった。

イラスト・絵本・雑貨・人形の他、焼き菓子や珈琲豆も。くいしんぼうのこやぎたちに食べられる前にぜひ!

くいしんぼう!

そうそう。メンバーのひとり、「すすきもも」さんは、北海道新聞社で食べ歩きの連載をお持ちだったほどの、くいしんぼう。

私が札幌に住んでいた頃、ももさんの連載を書籍化した「さっぽろおさんぽ日和」を手に、食べ歩きをしたものでした。

本当に、ハズレがないし、何より、「食べることが大好き!」という愛が一杯詰まった本で、見ているだけで幸せな気分になったな…。

マット和子さんがお友達と経営している『クスクスオーブンプラスホッパーズ』焼き菓子も、きっと販売されるはず。買いに行かねば!!

今、クスクスオーブン+ホッパーズを検索したら、NAOT(イスラエルの靴のメーカー)のHPにマットさんが登場しているのを発見して、さ・す・が、と、唸った。

NAOT、以前からチェックしているけれど、私は、まだ未踏。でも、蔵前の直営店があるようだから、近々、行ってみよう!

子育て手帖 vol.20 イラストレーターマット和子さん

久しぶりにマットさんに会うの楽しみだな!

園長は、富ちゃん ~母親に着地する方法2~

園長室は親の駆込み寺

K園の園長は、富岡美織さんである。夫と五匹の犬と暮す四十六歳で、園児や親から親しみをこめて富ちゃんと呼ばれている。富ちゃんを語る上で最初に思い浮かんだのは、ある朝、彼女からもらった電話のことである。朝七時半にかかってきた電話口で、こう一気にまくしたてている。「今日から保育園の送迎、私が一緒にやるわ。今朝五時に目が覚めちゃって、ずーっとお宅のことを考えちゃってね。七時半なら電話しても大丈夫だと思って」。園長から直々に電話をもらうことなど、初めてである。「何事か!」と身構え、話の内容を把握するのに数秒かかった。そして「そういえば胃潰瘍が慢性化しちゃってね」と昨日、富ちゃんに愚痴ったよなと思い出した。

当時は双子育児の過酷さゆえ、半年で十七キロ痩せた時期である。その体で双子の片方を抱っこ、もう片方をオンブし、長男の手を引いて送迎する姿は、確かにキテいたかもしれない。そうとはいえK園は在園児一三七人、職員は非常勤も含めれば三十一人(二00八年二月現在)という規模の園である。そこの園長が、いち家庭の送迎に毎日付き合うものだろうか? しかも「助けて欲しい」と訴えたわけでもなく、単に日常会話レベルで愚痴を言ったにすぎないのに・・。でも富ちゃんにとっては、聞き流せないことは、放っておけないことなのだ。放っておけないならば、率先して自分が動く。 

何か相談すれば、その時できうる最大限の回答を返してくれる。そんなフットワークの軽さと身近感が、富ちゃんの身上である。だから園長室は親の駆け込み寺だ。育児のことはもちろん、夫との関係、仕事のこと、女として生き方・・母達は悩みが尽きない。心がパンパンになったら、「ちょっと聞いてよ」と、園長室を訪れる。富ちゃんは、「コーヒーとお茶、どっち?」「ちょうどよかった、昨日おいしいお菓子をもらったんだ」などと言いながら、話をフンフンと聞いてくれる。

この子の一番いいところは私がわかっている

 もっとも、富ちゃんには露悪的で辛らつな面もある。いや、どちらかといえば、そちらが前面に出ている。たとえば保育士へのダメ出し。「不器用を売りにしていない? 不器用を売りにしていいのは、高倉健だけ。不器用なのはいい人なのではなく、仕事のできない人ですから」「栄養が全部体に行って、頭にまわらなかったんだねぇ」。そんなセリフを初めて聞いた時は、「え? 他人にそこまで言っちゃっていいの?」と、わが耳を疑った。いつでも歯に衣きせぬ、マジトークなのである。冨ちゃんは常々「私が、いじわる? そうだよ、私、いじわるだもん。人間なんだから、汚い感情があるのが当たり前でしょ」と言っている。存在そのものに、何事も上っ面のきれいごとにしない、ある種の気迫がある。

だから、親への要求も厳しい。園児に課題(直していきたい点)を見つければ、面談のお呼び出しがかかる。我が子の問題点を園長に面と向かって指摘されるのは辛いし、嫌なことだ。「親が恨むのは、わかる。でも基本的に、そういうことは気にならないの」と言う。それはなぜか? 「この子の一番いいところは、私がわかっているっていう絶対の自信があるから。全ての子が、人間として素敵なの。 それを、ささいな課題のために埋もれさせちゃなるめぇ~って思うから、親にはガッツリ言わせてもらう」。言うことを言ったら、「ハイ、おしまい」。その後、その親と飲みに行ったりもしているようだ。それは配慮やフォローなのだろうか? それもなくはないだろうが、突き詰めると単に「その親が好きだから」なのではないか。園長対園児の親ではなく、人間対人間として、自分からぶつかってきてくれる、自分から胸を開いてくれる、そんな感じが一番近い。 

子どもはどんなに小さくとも自分の理解者を、ちゃんとわかっている。在園児は富ちゃんを見つけると、駆け寄っていく。卒園児、それも今どきの若者になった子達までが、夕方、ふらりとK園を訪れたりする。夏祭りに父母会が企画した「富ちゃんと家族写真を!」というコーナーは、大人気であった。父母にも愛されているようだ。

保育士の「いい人体質」にはマジで勝負

 冨ちゃんは、オシャレでお買い物が大好きな人である。「ボーナス? そんなもん、出る前にカードで使い切ってなくてどうする!」と豪語している。さらに、こんなことも言っていた。「私は、基本的にいい加減なの。部活は大嫌いだったし、習い事も三ケ月続いたことがない。すごいチャランポランで、飽きっぽい。自分でも、そこのところはわかっているつもり」。地道で、いい人で、優しげな人・・。私が持っていた保育士という職業のイメージからは、かけ離れた存在である。本人も、「保育士のいい人体質が苦手」と言う。いい人体質とは、何なのだろうか? 「それを私に語らせると、長いよ」と、冨ちゃん。

曰く「保育士=子ども好きでいい人」と見られるし、本人も「自分は、いい人なんだ」と思っている。保育士だって人間なんだから、ドロドロしたものはあるはずだ。だが、とかく保育士は「そんな部分は、ございません。私は子どもが好きで、いい人なんです」という自分を押し通そうとする・・。

汚い自分を隠すのが、そんなにいけないことなのだろうか? 

「うちの保育は、いい人の部分だけでやりきれるような保育じゃないから」。人が人を育てるというのは、本当はすごくおこがましい。常に謙虚さを持って、もっと先、もっと先を求め続けなければならない。 その時に邪魔になるのが、自分と向き合わないことだと言う。「自分と向き合うことは、すごく苦しい。でも、そうしないと、結局、子どもにも親にも寄り添えないんじゃないかと思うんだ」。

弾力があって風通しがいい園

 自称「いい加減」な冨ちゃんだが、子どものこと、保育のことになると豹変する。ベテラン保育士ワタちゃんは、「富ちゃんに怒られている時って、あまりに怖くて息ができない」と言う。それぐらいの勢いで怒る、怒りまくる。ちなみに交流のある他園の園長に、「てめぇ、ふざけるなよ」といったテンションでタンカを切ることも多々あるようだ(冨ちゃん談)。K園は最初は非常勤職員という待遇からスタートする園なので、そうなると一ケ月のお給料は十二万円程度だと聞く。「もっと楽をして、お給料がいい仕事はいくらでもある。だから若い子には、無理して続けない方がいいよ。嫌だったら、いつでも辞めて下さいと、勧めているんだ。お互いのためにならないから」と、冨ちゃんは言う。

 こんな労働環境なのに、長年勤め続けている保育士は多い。古株保育士達は、それぞれに個性が花開いて魅力的だ。そして「うちの職場は、面白いよぉ」と、どこか誇らしげに園のことを語る。

「ワタちゃんが保育園を辞めるって言ったら、アンタ、何言ってるの? 家に火つけるよって言うね」という富ちゃんの言葉からも、古株の職員達と築いてきた信頼関係は相当なものだとうかがえる。  

夕方、園長室で事務作業に没頭している富ちゃんを見かけたことがある。その後ろ姿は、無心に毛づくろいをしているボス猿のようだった。一生懸命生きている様が伝わってきて、何とも愛らしかった。

冨ちゃんが怒る内容は、いつも正論である。だが、そこまで猛り狂われたら、私なら怖すぎて引いてしまう。でもいくら猛り狂っても、それで保育士との信頼関係が壊れることがない理由が、その後ろ姿を見て少しだけわかった気がした。こまめな噴火で、淀みを一掃する。そして根底に愛をタップリと注ぐ・・。そんな富ちゃんの丹精により、K園には健康的な弾力と風通しがある。

【前回】・【次回】

前回 プロローグ 夫の転勤辞令

次回 園長は富ちゃん

【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ

森茉莉と古谷信子~2023年体調記録~

飛ばしすぎの自覚あり

スケジュール帳を見て、「これ、飛ばし過ぎだなぁ」と、思っていた。

案の定、今朝、身体からギブアップのお知らせ。布団から起き上がれない。

明日は結構な大型案件の取材なので、今日は、大人しく寝ておくことにする。

それでも、終日、お布団の中にいると倦んでくくる。

森茉莉と古谷信子

午後3時、本を持って、近所のカフェに避難。

お供の本は、森茉莉と古屋信子。この全集の一角です。

写真は、つるかめ書房さんのつぶやきからを拝借しました

つるかめ書房

「これ、どーしても、全体像で紹介したい!」と思って、検索したら、下記がヒットしました。

つるかめ書房に こんな本が入荷してます。 「精撰女性随筆集/文藝春秋社」 アドレスは、コチラ

めちゃ、選書のセンスの良い本屋さんなのだと思う。

古谷信子さん

少女小説家のイメージが強かったけれど、しっかりした文体の人だなぁと思った。一度、きちんと読んでみよう!

9月まで一度も倒れていないのは奇跡

過去の体調記録を検索してみたが、2023年は、まだ一度も倒れていないのではないか? 

ふむ。これは、すごい。

今日は、無理せず(楽器の練習と仕事は休み)、夕飯だけ作ったら、もう寝ようと思う。

【2023年体調記録】

9月14日 布団から起き上がれない。 ← 今、ここ。

母親になるって、どういうこと? ~母親に着地する方法1~

やっぱり仕事の方が魅力的

長男は、結婚して丸二年が経ち、「そろそろ赤ちゃんが欲しいね」と夫と話し合っていた頃に授かった、待望の妊娠である。でも「おめでたですよ」と医師から伝えられた瞬間、最初に頭によぎったことは「来週の取材のロケ先、遠かったよな。つわりが強かったらどうしよう?」ということだった。

長男の妊娠中は、「出産しても、今のままの仕事ペースを落とさないためにはどうしたいいか?」が、最大の関心事だった。だから母親になるという自覚も覚悟もないままに、出産の日を迎えた。

それでも想像していた以上、いや想像していた数十倍、子どもはかわいかった。息子と接する一瞬一瞬が喜びだったのも、本当である。

ただ、正直に言えば、子育てより仕事の方がやっぱり魅力的だった。そもそも母親になる、とは、どういうことなのだろう? 子育てとは、何をすることを言うのだろう? 

母親である自分がイメージできない

出産当時の私は、仕事が生活の中心だった。専業主婦として子育てしている友達とは、自然と疎遠になっていた。核家族で育ち、赤ん坊と身近に接した経験もない。だから「子どもを育てていく自分」や「母親として、どう子どもに接したいか」という具体的なイメージが、全く持てなかった。

子どもを産めば、母性が芽生える。母性が芽生えれば、子育てをどうすればいいのか自然にわかるものだ。世の中にはそんな神話がまかりとおっているけれど、本当にそうなのだろうか? 

少なくとも私には、自然にはわからなかった。母乳、布オムツ、離乳食の手作り、絵本の読み聞かせ・・。目についた「良い子育てとされること」は、たいていやってみた。

でも「カタチばかりな感じ」が拭えない。私が求めていたのは、母乳や、布オムツといった育児の根底に一貫して流れていること、「なぜ、それをするのか?」という問いの答えだった。

私がしたい子育ては、今、やっていることなの?

ふとした生活の合間、たとえば保育園送迎時の信号待ちの時に、「私がしたい子育ては、今やっていることなのだろうか?」という気持ちが何度もよぎった。求めているニオイのする本を読んだり、自然育児を実践している保育園の記録映画を見に行ったこともある。

それでもコレ! というものには出会えず、仕事の忙しさとあいまって、日々はただ過ぎて行った。

呼応したくなったK保育園の空気感

「プロローグ 夫の転勤辞令」には、結論を書かなかったが、すったもんだの末、私は全ての仕事を手放して、夫の転勤先の札幌に引越すことにした。

神様に、「あなたにとって、今、最も大切なのは、仕事なの? 家庭なの?」と、問われたような気がしたからだ。

私にとって最も大切なのは、息子。彼のためには、どの選択肢がベストなのか? 

そう考えた時、ケジメとして、一度、仕事を手放してみようと思った。(この話は長くなるので、機会があれば、回を改めて書くかもしれない。)

2月2日に札幌行きの話が転がり込んできて、3月26日に、札幌に上陸。第一日目は、息子がこれから通うK保育園(以下、K園)の入園説明会の日でもあった。

K園に一歩足を踏み入れた時の光景は、今でも忘れられない。檜の床の広いホール、ホールの中心にある天窓から燦々と降り注ぐ自然光・・。呼応したくなる空気感が、K園には漂っていた。

「今すぐ妊娠しなくちゃ。そして三人目は年子で産もう」と、とても焦ったのを覚えている。子どもは、三人欲しいと思っていた。転勤族だから、いずれは札幌を去る。だからこそ、できるだけ長くこの園で子育てをしたいと思ったからだ。

その想いがあまりに強すぎたのが、双子を授かった理由なのかもしれない。翌年の4月1日、我が家の双子は、K園の0歳児クラスの一員となった。

【前回】・【次回】

前回 プロローグ 夫の転勤辞令

次回 園長は富ちゃん

【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ

八重洲 ALMOND BLOSSOM TOKYO CHINESE

東京チャイニーズ

この夏の「お出かけご飯」を、アップしてみるかー! シリーズです。

東京チャイニーズとは、日本料理の精神を、オリエンタルスパイスに長けた中国料理の手法で表現するお料理のことだそうです。

海鮮入りサラダ前菜 自家製X.O醤ソース
点心盛り合わせ
細切り鮑入り フカヒレのスープ
若鶏の煮込み バーベキューソース
天然えびの宮保炒め
腸詰め入りチャーハン
デザート

X0醤ソースを自宅で再現してみよう。

印象の残ったのは、一番最初に食べた「自家製X.O醤」。

基本構造は、X.O醤と大根おろし、なんだと思う。

もちろん、他の調味料も入っていると思うが、「自宅で、トライしてみよう!」というおいしさだった。

このコース、税込み5000円。

「個室があるお店」が最優先事項

ガラスで仕切られている個室は、圧迫感ゼロ!

集まったのは、女性誌で働いていた頃のメンバーで、コロナ明け初(4年ぶりくらい)。

ゆえに、お店をとってくれた村上姉さん曰く、「絶対に騒がしいと思うから、『個室があるお店』を、最優先事項で選んだ」と。

うん、それ、大正解です!

村上姉さんの「お店チョイスを外したことがない感じ」は、もはや神レベル!

銀座の「シェ トモ」「オザミ」「Georges un cinq」なんかも、村上姉さんに連れていってもらったなぁ。

今、検索ワードが思いつかないから、過去記事から埋もれて拾い出せないが、この他にも、いーっぱい!! 印象に残る、素敵なお店に連れていってもらった。

「お店選びは、任されることが多くて」と、サラリと言っていたけれど、そりゃ、誰もが任せたくなるクオリティです。

今、「銀座」という検索ワードで検索をかけてみた。

私ひとりだと、銀座でアジフライを食べている。それは、それで良いのだけれど…。

友人チョイスのお店だと、確実に世界が広がる、というのは一つの事実だ

60歳以降をどう生きるか? を語る

このメンバーは、20代の頃から知っているから、かれこれ30年くらいのお付き合い。早っ!

出会った頃は、「元気な時代の女性誌の編集部」が舞台で、キラキラ☆彡した世界観の中で生活をしていました。

たとえば、1990年~2000年代の女性誌のパーティーは、それは、それは華やかだった。

芸能人やモデルさんが一杯いたパーティで、絶頂期の江原啓之さんとお名刺交換する機会があり、「テレビで、見ています!」と言ったら、「ここで、そういう(素人みたいな)ことを言う人いるんだね」と、笑われた。

「業界の人」ばかりのパーティーに、私、参加していたんだなぁ。(遠い目)

あれから数十年。

今回のランチでは、「60歳以降をどう生きるか?」ということを、話したりもして。

「随分と長い間、仲良くしているメンバーなんだ」と、しみじみ、思った。

お互いの名前がわからなくなる前に(ボケちゃう前に)、また遊ぼうね!

  

今週は、朝、プロコと向き合う

タチの悪い男に引っかかった・・・。

先日、ビオラのレッスンの際に、「楽器を始めちゃったって、タチの悪い男に引っかかっちゃったと同じことですよね」と、先生にボヤいたら、「本当に、そう!」と、深く同意を頂いた。

先生は、ちょっと年下の女性です。

そして、私は、タチの悪い男に引っかかったことは、ありません。← リア友に突っ込まれそうだから言っておく。

けれども、いつも、いつも、恋こがれているというか。

私の人生での「切ない片想い」は、楽器に対して捧げています。

プロコとマジ向き合ってみよう

昨日は、オーケストラの練習があって、プロコを弾いた訳ですが、いい曲すぎる~。

プロコフィエフを弾いている件については、コチラ。

そして、「この曲と仲良くなりたい!」という気持ちが、募るのです。

今までだって、毎回、曲と仲良くなりたい! とは思ってきたけれど、なかなか、どーして、全く成就したことがなく。

4年前にラフマニノフを弾いた時は、心底、片想いに疲れ果ててしまい。

オーケストラ活動を辞めることを、真剣に検討するに至ったほどでして。

今週は、朝、プロコと向きあう

「真剣に向き合う」とかって精神論を語っておらず。

具体的にどうするか? を考えてみた。

【結論】 朝、練習する時間を作る。

余暇活動だから、仕事が終わって、夕飯づくりも終わった時間帯(夜)に練習するとなると、「今日は、疲れたし、ま、いっか!」が起こりがちなのよね。。

だから、朝、練習する時間を作る。

以下は、私の完全なる覚書です。

練習が必要な箇所

1)モンターギュ 「3」と「5」

2)少女ジュリエット 「11」と「14」と「18」「19」

3)マスク 全音、一度、音とりをする

4)ディボルトの死 出だしをメトロノームでテンポをあげていく。「70」

5)別れの前のジュリエット「61」「62」

プロローグ 夫の転勤辞令 ~母親に着地する方法0~

突然の札幌転勤辞令

「北海道に転勤になった。三月一日に札幌に赴任する」と、深夜に帰宅した夫から告げられた。二月二日のことである。

「ええーっ、ありえない。私、一緒に行かないから」と、即答した。考えるよりも先に、言葉が口から出てしまったのだ。「何だよ、それ。もっと別の言い方はできないのかよっ!」と、夫が怒鳴る。

仕事が面白くて仕方ない!

当時、私は東京でマネーライターをしており仕事が面白くて仕方がなかった。家族は二歳年下のサラリーマンの夫と三歳の男の子がひとり。「好きな仕事があって、家族もいる。何と幸せなのだろう」と思っていた。

幸せを守るために、走り続けていた

ただ、その幸せを守るためには、毎日を走り続けなければならなかった。「どこに行きたくて、走っているのだろう?」「今の一生懸命の先にあるのは、何?」という気持ちが、時おり頭をもたげた。

けれど、深くは考えられない。「今日の保育園のお迎えの時間に間に合う?」「明日の取材の下調べをしなきゃ」といった日常に追われて、そんなことを悠長に考えている余裕などなかったのだ。

【前回】・【次回】

次回 母親になるって、どういうこと?

【あらすじ】【目次】

母親に着地する方法 あらすじ

母親に着地する方法 あらすじ

母親になっても、仕事に夢中!

「母親に着地」するのは、意外と難しかった。二十代の後半になって仕事の面白さに目覚めた私は、三十歳の時に第一子を出産するも、子育てよりも、仕事に気持ちが向いてしまっていた。いわゆる「母親ワールド」にも、馴染めなかった。

子どもを保育園に預け、東京でマネーライター業に夢中になっていた矢先、夫に札幌転勤の辞令が出る。迷った末に仕事を手放して、家族で札幌に転居することにした。

やがて双子を授かり、出産。

その妊娠・出産を通じて、「今度こそ、ちゃんと母親になりたい」と思うようになった。そんな気分になった時に、K保育園(以下、K園)と出会う。ここでなら「母親をちゃんとやりたい」というエネルギーの活路を見つけられるかもしれないと思う。

K園での子育ての第一歩は、「子どもは大人とは全く違う生き物である」と頭を切り替えることだった。子どもとは、どんな生き物なのだろうか? 

「発達は、道筋」という考え方

「発達は、道筋」という言葉を、K園ではよく使う。個人差はあれど、人間の成長には一定の道筋があるという考え方である。

「ヒト」が「人間」になる過程、つまり0歳児から5歳児までの各年齢の子どもの「こころ」「からだ」「ことば」「あそび」「せいかつ」の発達について、K園の園長である富岡美織さんに話を伺った。

自分と向き合って生きていこうと思い始めた私の物語

K園の保育に共鳴し子育てに生かしたいと思う私だったが、現実はなかなか思い通りにならない。

子ども相手にキレて、叩いてしまうこともある。

いくら素晴らしい保育理論を掲げたところで、子どもにイライラする気持ちは止められなかった。

K園での日々から学んだことは「今、目の前にいる我が子と、どう生きるか?」ということだ。それはそのまま、今、ここにいる自分と向き合うメソッドになることに気がついた。だから、これは自分と向き合って生きていこうと思い始めた私についての物語である。

どこかの誰かが見つけた素敵な人生を、うっかり目指していないだろうか? 私の人生を歩んでいるだろうか? 時には自分に問うてみよう。

唐揚げ揚げときゃ、何とかなる。~8月の来客メモ~

唐揚げ揚げときゃ、何とかなる

来客予定の日に急用

来客の予定が入っていたけれど、突発的な用事が入ってしまった。そんな時、皆さまは、どうしますか?

先日、そんなシチュエーションが、勃発しました。

気のおけない友達だったので、断るという選択肢もあったけれど、「ま、いっか(何が?)」と思い、「夕食、私が適当に何か作るから、気が向いたら何か持ってきて会」を、決行。

御飯7品、デザート1品。

ここは、私の覚書的なものです。

誰を呼んだか → パタちゃん、みゆきちゃん

御飯 ①唐揚げ、②サラダ、③ゴーヤーの揚げびたし、④ピーマンのじゃこ煮、⑤ひじき、⑥枝豆(冷凍品)、⑦コンビーフ&ハム with クラッカー。⑦は、パタちゃんが持ってきてくれた。

デザート ①牛乳寒(みかん入り) ②メロンパン(みゆきちゃん持参)

牛乳寒は固まっておらず、失敗案件。二人に大笑いされた。それも、楽しいね!

息子が保育園時代、夕飯には、誰かがいた

気がおけないレベルMAXの二人が来てくれたことで、思い出したことがあった。それは、長男が吉祥寺の保育園に通っていた頃と、札幌の保育園時代のこと。

在宅ワーカーの私は、「夕飯がスタンバイできている状態」でお迎えができる、という恵まれた状況。ゆえに、夕飯を多めに作って、見かけた親子を夕飯に誘っていた。

100%自分のためにね。仕事終わりに、誰かと、おしゃべりしたいじゃん?

その時は、今より、ずーっと、ずっと、どーでもいいご飯で、他人様を家に呼んでいたなということを、思い出したのだ。

これからは、もっと、もっと、どーでもいいご飯で人を呼んでいこう! (って、しばらくは、毎回、書いていくと思う)

ユニピコのTシャツ購入した

みゆきちゃんが始めた活動、ユニピコについて、教えてもらった。

コンセプトは、こんな感じ。

私たち
ひとりひとりにある
個性溢れる宇宙

小さな一つの宇宙の
見えない存在たちが
誰かをおもう愛や
いろどり溢れる
ユニークな
ヒカリの世界を
表現したのが
ユニピコです

素敵!!! 私が今生に行ってみたいのは、ユニピコのような世界だなぁ~。

そう思って、ユニピコのTシャツを購入しました!(まだ手元に届いていないけれど)

ホームページをリニューアルしました

生活まわりのことを書きたい!

ホームページをリニューアルしました。コンテンツのトップに持ってきたのは、生活術。

2011年に、「なぜ、家事日記を書くのか?」というタイトルのコラムを、私は書いている。

サマセット・モームは「どんな髭剃りにも哲学がある」と書いている。どんなにつまらないことでも、日々続けていえれば、そこには何かしらの観照のようなものが生まれるということなのだろう。僕もモーム氏の説に心から賛同したい。
「走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹」

私も、この説に心から賛同したい。 自分にとっての家事とは何か? といったことを、常に考え続けています。 だからこそ、そこに何かしらの哲学が見つかる。 のではないか? と、思います。

ちなみに。
主婦erの前に、「家事マニア」というブログを書いていました。知り合いから頼まれて、ママ向け媒体に寄稿していたものです。それが、私のブログデビューです。

今後は、「生活について考えるのが、好きだ!」という気持ちを、もう少し煮詰めてみたい。

未発表の文章が山ほどある

新しくしたプロフィールにも書いたのですが、「ただ、ただ、自分のためだけに書いていた文章」というのが、山ほどあります。

これらの文章って、誰の目にも触れることはないんだ…。

そう思ったら、何だか文章が可愛そうな気がした…。ライター特有の感覚なのかもしれないが、自分の文章が、多くの人の目に触れ、洗いざらした、くたくたの木綿のようになって欲しい。

「洗いざらした木綿のような、くたくたの文章って、何だよ!」と、我ながら、突っ込みどころが満載ですが。

文章実験をする場所

まぁ、要は、文章実験をしたい、ということだ!

今、仕事として書いている文章は、興味がある分野だけだし、その分野を取材できること、自分のペースで文章を書けること、その環境に、心から感謝している。

けれども、対価を頂く以上、「仕事である」というのは、一つの事実でして。

そういった一切の縛りを離れて、文章を書くことだけに没頭するような、そんな時間を自分に赦すって感じかな。

「いやいや、あなた、毎日、好き勝手、ブログ、書いてましたよね?」と、思う人もいるかもしれない。

うん、それも事実。

でも、もう少し本腰をいれて、「自分の文章」と向き合ってみたい今日この頃です。

竹橋 ヴェルテラッツア ~皇居の緑が眼福~

皇居の緑を眺めながらのランチ

この景色、素晴らしい!

皆さま、お久しぶりです。今日から新学期ですね。

久しぶりのブログは、激ジョブから解放された日のランチ報告なんぞをしてみます。

高い天井、2面の窓 解放感溢れる空間

中途半端な時間帯だったので、客は私だけ

御紹介するのは、竹橋駅に直結している丸紅ビル3階にある、VERTERRAZA(ヴェルテラッツア)。

店の名前がわからなかったので(おいっ!)、検索してみると、オズマガジンの記事がヒットし、全文「うん、うん、それよね!」だったので、一部引用致します。

曰く

休憩のゆったりランチやお仕事終わりのデート、気軽な会食を楽しんで

そんなシチュエーションにピッタリのお店です。(雑か!)

リーズナブルなお値段でした

ビールで乾杯!

ロケーションや店内の雰囲気が良いので、「お値段、お高めでもいいわ」と、覚悟をしたのですが、ビールもつけて2000円以内と、リーズナブル。

パスタだけなら、1000円~1200円と、普通のお店と何ら変わりない。

それで、このロケーションを体験できるのなら、竹橋ランチの1択としてアリです。

夕日に「嘘の人生」を感じていた頃

本当にたまたまなんだが、私が丸紅に勤務していた時代(20代の8年間)、自席が、ランチをした席と同じ場所にありました。

正確に言えば、私が勤務していたのは4階で、お店は3階にあるのだけれども。窓から見える景色は、ほとんど同じ。

席から見える景色は素晴らしく、お給料も、福利厚生も、社会的な評価も、トップクラスの会社の正社員。

バブル(最後の時)期だったから、アフターファイブは、毎日が宴のように華やかでした。

傍からみたら、何不自由ない生活のはずなのに、とても違和感があった。

隣の、このビルに、夕日が当たって暁く見える時間帯になると、「今日も、私は嘘の人生を過ごしてしまった」と、思ったものでした。

写真をとったのは昼間だったので、まだ白いビル

親が敷いてくれるレールを歩むしか、人生の選択肢がないと思っていた私は、何で、そう思うのかは、自分でもわからなかったけれど。

「これは、私の人生じゃない!」という違和感は、日々、募っていくばかり。

ある日、その気持ちがピークに達して、思い切って、会社を辞めることを決意しました。

会社を辞めて5年くらいは、「会社を、本当は辞めていなくて、安堵する」といった類の夢をよく見ていました。その頃は、「辞めたことを後悔」していたんだと思う。

あれから25年経った今は、「あの時、会社を辞めるという選択をして良かった!」と、思えるようになりましたが…。

結論として言えるのは、相性が悪かったんだと思う。

「丸紅で私に求められていたこと」と「私の持っている資質」が、100億光年くらい、かけ離れてマシタ。

それを言語化できるようになったのは、わりと最近です。

ちなみに、丸紅時代、私は部長秘書をしていました。

秘書ですよ、秘書。私を知っている友人達は、それだけで大笑いすると思う。うん、間違いない!!