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【指揮をして下さった三石精一先生】
昨日、7月2日は、私が所属するオーケストラの夏の演奏会、本番だった。
これを書いてる7月3日 午前8:49分は、
「演奏会の翌日って、こんなに幸福な気分になるんだったっけ?」と、感じている。
【三石精一先生と演奏する幻想交響曲】
幻想交響曲は、28年前に、私が人生で初めて弾いた交響曲。
その時に指揮を振って下さったのが、三石精一先生だ。
先生は、今年で85歳。
幻想なんて、そうそうやるようなプログラムではないし
うちの団は、毎回異なった指揮者の先生にお願いするから、
三石先生に振って頂く幻想は、最後になるかもしれない・・。
というか。
むしろ、28年の時を経て、幻想を三石先生に振って頂けること自体、奇跡だ。
だから、今回の演奏会に対しては、とても思い入れがあった。
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【レセプションで三石先生にスコアにサインして頂いた】
練習が始まる前。
三石先生から、「こんなふうに演奏したい」という数枚に及ぶワードの
テキストファイルを頂いた。
小節番号に合わせて、演奏についての細かい指示がビッチリ書いてあって、
プロのオーケストラだって振られる先生が、
アマチュアのオーケストラに、ここまで心を込めて下さることに感動した。
先生にとっても、今回の演奏会は、並々ならぬ思い入れがあることが
ヒシヒシと伝わってきて、身が引き締まる思いがした。
毎回の練習時には、仕立ての良いシャツをダンディーに着こなして、
背筋をピシっと伸ばされて、上品な言葉でご指導して下った。
「日本のクラシック音楽の創成期を作った方は、こういう方なんだ」と、思った。
指揮をされる先生の姿を、脳裏と目にしっかりと焼きつけようと
練習でも、本番でも、できるだけ指揮を見るようにした。
「音楽家という人生」を、拝見させて頂きました!
てな感じ。ほーんと、素敵な人生だ。
【幻想を弾く前日は、ションボリ】
幻想、それなりに練習したハズなんだけれど、
演奏会の前日のGP(通し稽古)が終わった後、
後輩ちゃんに、
「幻想を弾く前日っていうのは、
やっぱりションボリした気分になるんだね」
と、愚痴ってしまった。
納得のいかない状態で、
本番を迎えるのは、28年前と同じじゃん? 的な。
演奏会の前、2週間~1週間あたりが、結構、ツラかったなぁ。
「今生、思い残すことはないかしら?」みたいな
切羽詰まった気分で、さらっていた。
そんな時、Kさんから、
「教えてしんぜよう。今さら、メトロノームかけて丁寧にさらっても総崩れするだけ。
何を諦めるか(捨てるか)を考えろ!」
と言われて、本当にそうだと思った。すげーな。Kさん。全て御見通し。
【楽器を弾く。以外の人生もある】
まぁー、そうは言っても、そもそも論として。
幻想を完璧に弾けるなんていうことはない、
というスタンスは、今回の演奏会の場合、最初から結構あった。
完璧を手放す、みたいな感じ。
昔は、それができなくて、バカみたいに自分を追いこんでいた。
先日、仲良しの先輩と、28年前に幻想を弾いた時の話になって。
先輩 : ひかるちゃん、埃っぽい空き部屋でよくさらっていたよね。
偉いなぁとは思ったけど、かわいそうだった。
私 : 人さまの哀れみを誘うほどの、必死さって、どうなんですかね?
先輩 : ビオラ始めて2年で、幻想なんて弾ける訳ないんだからさ。
それを言ってあげようかと思ったけど、
どうせ言ったって、聴く耳なかったでしょ。
私 : それは、そうかも。何を言われても、絶対、練習してたと思う。
28年前は、
くらいに思い詰めていた。
当時、いつも一緒にいた友達(ファゴット吹き。)は
幻想を上手に吹けない自分が、どうしても許せない。
そう言って、音大を受験しなおして、音大生になったから!!!
どれくらい、私達が、幻想という曲、いや、音楽至上主義みたいな
生活を送っていたのか、トチ狂っていたのか、伝わるだろうか?
あの頃の私達にとって、
楽器を上手に演奏できる。ということは、至上の意味があり、
あの頃の私達にとって、
音楽家という人生。は、最も価値のある人生だった。
でも、音楽家になれなかったから、
(つーか、なれる訳ないんだけどさーーー絶叫)
今、ライターとして、
色々な人に話を聞いて、文章を書くという人生があるわけで。
ライターという職業、かーなり気に入っている今となっては、
あの頃の自分に
「楽器が上手に弾けない人生も、全然、ありだよ」と伝えたい。
【曲と対話する 他者に託す】
今回、幻想という曲の良さ。を、
28年前よりも、ずーーーっと沢山、味わえた。
曲と対話する感じ。
今までは、ひたすら、「ちゃんと弾けること」を目指して
脇目もふらず練習します! みたいな接し方で曲と向き合ってきた。
そうではなく。
肩の力を抜いて曲と向き合ってみたら、
曲の滋味が、より味わえたという感じ。
●
他の人に曲を託す。という感じも体感できた。
「ここは、私は弾けない。ごめんね。よろしく!」
という気持ち。
これ、上手に言い表せないんだけれど、
独りで頑張るって、あんまり意味ないんじゃないかな?
ということを体感したという感じ。というのかなぁ???
卑下ではなく、私、本当にビオラが下手で。
「下手のよこ好き。というのは、私のことを言うんだな」と、思う。
けれども、私にも、好きで、そこそこ上手にできることもある。
たとえば、文章を書くこと(一応、仕事になっているからね)。
家事も、わりと好き。
そういうことで、自分なりに頑張れば、
ビオラは下手でも良いじゃん! って、
やっと思えるようになった。
どんだけ、ビオラに片想いなんだよ! ていう感じ。
ツラツラと思うことを書いてきて、
何が言いたいのか、だんだん収拾がつかなくなってきたので、
そろそろ終わろう。
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【次はモーツアルトのレクイエムだ】
2週間後には、モーツアルトのレクイエムの初練習がある。
いつもは、演奏会の後、しばらくは、ダラっとちゃうんだけれど、
今日から、譜読みを始めようと思う。