月別アーカイブ: 2018年1月

ホームページをリニューアルします

今日、シンさんが我が家にやってきてくれて

ホームページリニューアルの最終打ち合わせをしました。

 

2018年2月3日。

 

ホームページをリニューアルします。

ああ、なんか嬉しいな!

 

シンさんによれば、「1月最終週は、しばらくHPが見られないかも」とのことなので

お知らせしておきますね!

「息子のエロ」と「毒の摂取」について

息子が、退院した。

入院中の息子のお見舞いに行かないということだったが、

ぼっちゃんからの呼び出しで2度ほど病院に行った、その時の話。

 

息子 : お見舞いにきてくれた友達が、アッチ系のも持ってきてくれた

母 : アッチ系って、何?

息子 : ほら、これ。

と見せてくれたのが、いわゆるグラビア雑誌系。

 

「息子のエロと初めて遭遇する瞬間」というのは、

このように訪れるのですね、という感じ。

 

とても、感慨深かったです。

 

ある時、学生時代の先輩(男性)と話をしていて、

どういう話の流れだったかは忘れたけれど。

 

「息子がエロ雑誌とかを見ていたら、大ショック!」

と言ったら、

「はぁ?? 何、言っちゃってるの?」

と、とても驚かれた。

 

その後、先輩が飲み会で、このやりとりを皆様にご披露するたび、

その場にいる男性(複数)から、常に、えらい勢いで、

 

「はぁ? 何、言っちゃっているの?」と

突っ込まれ続けていました、ワタクシ。

 

世の中って、そういうものなのですね・・。

と、カマトトぶっておく。

 

 

文章を書く人間としては、

猥雑さ。は、とても大切だと思っている。

 

おそらく瀬戸内寂聴さんだったと思うが、

「『ちゃんとしたものを書きなさい』と言われ続けたが、

私は自分の文章から猥雑さを外すつもりは全くない」

というようなことをおっしゃっていて、とても共感した。

 

瀬戸内さんは、最近では「聖(ひじり)」なイメージも強いかも、だが。

小説家デビュー直後の作品、「花芯」では、

批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られたほどの人です。

 

でも、私は、「瀬戸内晴美」時代の作品群、好きです。

 

とりわけ「夏の終わり」は、名作だと心から思っている。

 

余談ついでに、もうひとつ

 

+++

瀬戸内さんといえば、

夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活。

ということがクローズアップされがちだけど(最近は、そうでもない??)

これらの顛末を書いた自伝小説

『いずこより(筑摩書房 1974 のち新潮文庫)』を読む限り、

「瀬戸内さんは、

自分らしく生きたかっただけなのではないか?」

と、思いました。

 

不倫を題材にした小説という意味では

トルストイの代表作「アンナ・カレーニナ」を読んだ時も、

「アンナは、

自分の人生を生きたかっただけなのではないか?」

と似たような感想を得たのですが・・。

 

封建色が色濃く残っている時代、

女性が、「自分らしい人生」を生きるのは、

今からは想像できないほどに、大変だったのだろうと推察する。

 

ゆえに、両方の作品とも

「恋愛」という起爆剤で「人が自我に目覚めた」話。

であると、私には感じられる。

物語の重心は「恋愛」より「自我の目覚め」の方にあると

思うのは、私だけなのでしょうか? 

 

余談終わり

+++

 

話を戻して。

 

文章から、猥雑さをなくしてしまったら、

文字通り、色気がなくなり、

それは私にとっては、「面白くない」と同義語だ。

 

けれども。

私は放っておくと妙にストイックな生活になってしまうので

定期的に毒を摂取することが、非常に大切です。

 

って、「毒を摂取」とか言っている時点で、

何か、相当、ダメな感じだな・・。

2018年3月までに見たい展覧会2つ

先日、箱庭療法の延長性上のブログ活用の話を書きながら

こう思った。

 

今まで、個人的な覚書のブログは「非公開」にしていたが、

(データをインプットして「非公開」にしておくと、検索ができるのだ)

別に、公開してもよくない? と。

 

誰の役に立たずとも

(って、今までのブログも別に役にたってないし)

雑記帳として、日々の記録を書き綴っていく。

 

ブログって、それでよくない? 

と思ったという意識の変化を記録として残しておく。

 

で、だ。

 

1)谷川俊太郎展 

場所:東京オペラシティアートギャラリー

会期:3月25日(日)まで

 

2)熊谷守一展

場所:東京国立近代美術館

会期:3月21日(水)まで

 

どちらも、今、この瞬間は

絶対に行きたい! と燃えるように思っているが、

本当に、行けるかな?(どーよ!)

 

行けたら、ブログにアップします。

「赤ちゃんができたら考えるお金の本」を巡る夫婦の会話

毎朝、出勤する夫を駅まで送りがてら

私も仕事道具(パソコンと資料)を持って、一緒に家を出る。

 

「赤ちゃんができたら考えるお金の本って、何?」

と、今朝、夫が笑いながら言う。

 

仕事道具をいれているトートバッグから、中身が見えたらしい。

 

「参考文献だよ。でも、確かに、買うの恥ずかしかった」

 

参考文献だとアピールしたいがために、

領収書に、書籍名、宛名(編集部の名前)までいれてもらった私(汗)。

 

女性媒体の参考文献には、時々、キワどいネーミング本もあるので

「参考文献として」なら、恥ずかしい名前の本も買えるのだ。(何自慢?)

 

話を戻し。

 

私 : 「私も『この人、妊娠しているのかな?』と思われるのが

気恥ずかしいお年頃になったってことだよね」

 

夫 : 「君より、もう○○(長男の名前)の方が近い話かもね」

 

私 : 「え!? マジ??」と、計算してみる。

 

双子(次男・三男)を出産したのが、かれこれ13年前。

17歳の長男に13年を足してみると、30歳!!!

 

確かに、あり得ない話ではない。

というか、むしろ。

 

息子が30歳になった頃、

彼が人生のパートナーに出会えていると良いな、

と思う。

 

私も、そんなことを考えるようになった

ということだ。

外国に行ってみたい(デンマークとポートランド)

教育の記事を書いていると、

どうしても、「家族」の問題にブチ当たる。

 

一方で、もうすぐ発信を始めるが

「老後のお金」を主軸に取材をする機会が多い最近、

老人ホームの視察や、老後関連の勉強会で

リアルな老人たちと出会い、

そこでも、「家族」ってなんだろう? と考える。

 

先日、老人ホーム見学で出会った聡明な老婦人。

Aさんとしようか。

 

Aさんとは見学2時間あまりと、

ランチをご一緒した。

 

Aさんと雑談をする中で、Aさんの生活ぶりが見えてくる。

 

数年前に、年上の旦那さまを亡くしてから一人暮らしのこと。

お子さんは、いらっしゃらないこと。

大好きな専門職的な仕事を持ち、ずっと仕事をされていたこと。

音楽がお好きで、お化粧が嫌いなこと。

(プライバシーに配慮して、少しデフォルメしています)

 

私と共鳴する部分が、とてもたくさんある方だった。

 

Aさんは、ポツリとおっしゃった。

 

「今は、天涯孤独なのよ」

 

ご両親はもちろん、ご兄弟も他界。

甥っ子、姪っ子もいらっしゃらない。

 

何より。

老人ホームで確認していた事項で

「自分で自分の後始末をしなければいけない感」が

切々と伝わってきた。

 

私が心を痛めること自体、おこがましいのは承知だけれど。

 

「今は、天涯孤独なのよ」

 

という言葉が、今、私の心から離れない。

 

 

日本は、つい最近まで、多くの人が「家」に縛られていた。

おそらく、私たちの祖父母世代あたりまでは。

 

私たちの親世代で、「核家族」とか「ニューファミリー」とか、

そういった概念が出てきて、家族が解体した。

 

それ自体は、悪いことではないと思う。

 

ただ。

今の日本は、まだ家族以外の繋がり方を見つけられていない。

 

みんなが上手に繋がれていない。

 

老人ホームの視察に行くたびに、そんなことを感じる。

教育現場の問題点を記事にするたびに、そんなことを感じる。

 

人と人が繋がる方法論のようなもの。

社会の仕組みとしての。

 

そういったことに漠然と興味がある。

 

何をどうしていったらいいか、全然、わからない。

 

けれども、最近、読んだ数冊の本の中に、

そのヒントを見つけた気がした。

 

●グリーンネイバーフッド

米国ポートランドにみる

環境先進都市のつくりかたとつかいかた

 

●デンマークの親は子どもを褒めない

商品の詳細

 

 

こんなふうに暮らしている人が

今現在、この地球上にいるんだ。

 

そう思うことは、希望だった。

 

彼らの作り出している空気感に触れてみたいなぁと思う。

 

外国になんて全く興味なかったけれど、

行ってみたいと思い始めている。

ママのためのアンガーマネジメント

 

アンガーマネジメントとは、

心理学に基づいた「怒りを扱う技術」のこと。

 

そう、技術の話なの! スキルの話なの! 

その発想が、面白いなぁと思った。

 

最近では教員採用試験に出されるなど、

このスキル、注目度は大! です。

 

私は、アンガー・マネジメントという視点を持てたことで、

家族に対して怒ることって、滅多になくなった。

 

本気で怒ったのって、いつだったかな? と思うほど。

そう書いた本日、夫婦喧嘩をしたりしてね。

(人生、あるある・・・笑)

スクラップと鎌倉とコンタクトレンズ

朝、コンタクトをいれたつもりだったのに、

朝食を作っていたら、目が見えない。

つまりは、ちゃんと入っていなかったらしく

落っことしてしまった模様。

 

ああ、万事休す。

 

そんな訳で、スクラップをすることにした。

「何か気になる」などと思った記事を、

セロテープでノートに貼っていくだけの作業。

 

仕事柄というか職業病の一種!?

いや、もともとの性質!?

 

とにかく。

「気になったこと」を、素通りできない。

 

・メモしておきたい

とか

・スクラップしておきたい

と思うのは、もはや「欲望の領域」のような気さえ致します。

 

けれども。

「気になったこと」を、サクサクと効率よく編集なんぞできる訳もなく。

 

「私の書類の置き場」は、常に混沌としている。

 

2018年新春現在の「気になったこと」の編集のやり方は、

リング上になっているノートに、ひたすらセロテープで貼る、という方法。

 

ノートは切り離すことも可能なので、後から分野ごとに

ファイリングする・・予定。だが・・。

 

人生なんぞ、効率的にいくわけはなく。

スクラップしたノートを、ただ捨てちゃうかも。しれない。

というか、そうなる予感がヒシヒシとしている。

 

でもね。

気になったことをノートに切り貼りするだけでも

箱庭療法的な癒し効果がある

ということに、今、気がついた。

 

ついでに、ブログなんぞに覚書をアップしておくだけでも、

ちょっとだけ「編集した気分」

もとい

「『気になったこと』を素通りしなかった気分」

もとい

「情報に勝った! 的な気分」

を味わえるのではないか? とも思い、直近3記事をご紹介致しましょう。

(誰得情報か? というのは突っ込まないで下さい)

 

1)惑星物理学者 松井孝典さんが武蔵野市の

広報誌に寄せた一文。

私は今、生命の起源を解き明かすための研究をしています。

難しい説明は省きますが、「生命を生む」というのは

非常に大変なことです。それがなぜ地球で起こり得たのでしょうか?

→私も知りたい。

 

2)メルカリ・小泉社長の日経取材記事

「育休が組織と人を育てる」

→本当にそう。いつか取材にいくか。

 

3)「ムーミンの国の朝」

三男が通う学校の学年通信より。

フィンランドでは、頭くらいの大きさのスポンジを子どもに

投げて出欠をとる。(中略)

「今朝、どんな気持ちここにきているか。

それがわかればいいのです」。

→子どもが大事にされる教育現場。

いつか視察したい。

 

こうして書き出してみると、

「気になったこと」を素通りせず、編集できる打率は限りなく低いけれど、

「気になったこと」を素通りしないことは、

私の人生に、幾ばくかの変化はもたらしている。

よーな気もする。ふむ。

 

 

スクラップした後は、

イノトモとでも、話をすっか」という気分になり、ラインしてみる。

 

と。

 

「今日は、これから鎌倉でライブ。来る?」

 

来る? いいなぁ、そのノリ。

でも、鎌倉かいっ!!!

 

もちろん、行かれないけれど、一瞬、

鎌倉の近くの七里ガ浜の海の景色が脳裏に浮かんで

楽しい気分になった。

 

 

このところ、毎日、毎日、(仕事の)原稿を書いていた。

それは、それで楽しくて

「これ以上、ワクワクすることはない!」とも思っていたが

効率的な時間の過ごし方というのは、

絶対に、どこかで滓のような疲れを蓄積している気もする。

 

どんなに、「これは、好きなことだ!!」と言ってみたところで、

ギャラを頂いている以上、ライター業は仕事な訳でして。

いわば、「休みの日」が全くなかっんだな、きっと。

 

ただ、ただ、ボンヤリするの大事。

 

そんなことを思った日曜日。

新品のコンタクトレンズで、このブログを書いてみた、なう。

新年あけましておめでとうございます!

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年は、主婦erに遊びに来て下さって

どうもありがとうございました。

 

今年も、どうぞよろしくお願いします!

 

 

只今、とある大学病院から、「入院確認」の電話があった。

 

来週、長男は入院して手術をする。

 

昨冬、前十字靭帯を切ってしまい、それを再建する手術だ。

命に関わる手術ではないけれど、長男にとっては初めての手術。

ちょっとドキドキする(私が)。

 

病院は、長男が通っている学校の近くなので、

お友達が、ワサワサお見舞いに来てくれそうな気配。

 

長男 : 友達がお見舞いに来てくれる時って、

お菓子とか用意しておくべき?

 

母 : いや、いんじゃない? 何か、持ってきてくれるよ。

そのかわり、名前、覚えておいてね。

 

長男 : そだね

 

母 : 友達来てくれるなら寂しくないね。

私、入院中(10日間)、お見舞い行かなくても大丈夫?

 

長男 : あ、いいね!

 

夫(突如、横入り) : それは、かわいそうだろう。

ありえない! 俺は、行くからな。

 

長男 : いや、むしろ一人でいたい。

 

母 : だよね?

 

 

長男は高校2年生。もうすぐ、高校3年生。

大学生になれば、下宿する人だっているわけだし。

 

その1年前に、プレ下宿的な10日を過ごしてみるのは

良いことだと感じた。

 

彼にとっても、私にとっても。

 

長男は反抗期が全くなく、本人に「大丈夫?」と確認したほど。

ちなみに確認時の回答は、「反抗するってほど、何も言わないじゃん」。

 

ま、まぁ、そうだけどさ?? 

 

そうは言っても、やっぱり「心のへその緒」は

まだ繋がっているような気分はある。

 

この入院は、それをスパっと断ち切る

良い機会かもしれないな、と思った。

 

そんなことを感じた、新年でした。