
【長い休みは、古典に親しむ】
盆と正月。
主婦が、のんびりできる長期休みには、
古典に親しむことにしている。
お正月休みは、枕草子にトライしてみた。

【枕草子 REMIX 酒井順子】
この本、すごくわかりやすかった。
枕草子の世界観を掴む「とっかかり」としては、良いんでないかい?
私、クラッシック音楽に対しては、
ソコソコ真面目に取り組んで参りました。
それゆえ。
「朝のクラッシック」とか「名曲フレーズ」といったREMIXのCDを聴いて、
「クラッシックを聴いている」と思っている人に対して
「聴いたとか思っている??」と、軽い怒りすら感じていた(告白)。
そんな私ですが、枕草子はREMIXで精一杯でした。

【桃尻語訳 枕草子 上・中・下 橋本治】
酒井順子のREMIXで、「おっ!!!」と引っかかった部分は、
橋本治の桃尻語訳で、内容をチェックした。
に、してもですね。
桃尻語訳は、言葉が飛び跳ねすぎ。
読んでいて、疲れました。ちうか。
「『桃尻語訳 枕草子』の初版が出た1987年頃は、
こういう文章がオシャレだったんだろうなぁ」と、思った。
「パーソンズやセーラーズの服が、
流行っていた頃ありましたよね??」的な気持ちだな。
そういえば。
「橋本治や、中野翠に、キュン・キュン! していた頃があったなぁ」と、思い出した。
10代~20代、村上春樹や吉本ばなな、池澤夏樹では飽き足らず、
中沢新一とか、浅田彰 あたりの本まで手を伸ばしていたが、
「池澤夏樹 以上 中沢新一未満」に、
橋本治や中野翠がいた感じ。
奇しくも最近、こんな本を買っていた。

【この世には2種類の人間がいる 中野翠】
上記の本の中に、こんな一節がある。
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それは
うたう人と
ひねる人だ
短歌は「うたう」と言い、俳句は「ひねる」と言う。
両方とも「つくる」という言葉で間に合わせても構わないのだけれど、
昔からわざわざ「うたう」「ひねる」と使い分けている。(中略)
日本人が、ふと「何か文芸的なことをやってみたいなぁ」と思った時、
一番身近に感じられるのは俳句か短歌だろう。
そして、ある人は短歌に向かい、ある人は、俳句に向かう。
その分かれ目って何なんだろう。そこには何か意味があるんだろうかないんだろうか。
私の場合は、はっきりと俳句だ。理由は簡単で、俳句のほうが短いから。
もしかすると理由はもうひとつ。自分でも時どき理解に苦しむ
へんてこな羞恥心のせいもあるかもしれない。
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中野翠の言い回しを使えば、
紫式部は短歌の人で、清少納言は俳句の人、
のような気がした。

【貴様いつまで女子でいるつもりだ問題 ジェーン・スー】
そして、掲題のジェーン・スー。
おそらく「主婦er」読者の方々は、ジェーン・スーをご存じないだろう。
なぜなら、ジェーン・スーは、自称・「未婚のプロ」。
主婦とは、メンタリティー的に、かーなーりー、対極にいる存在だから。
ジェーン・スーの代表作、
『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』で、
彼女を「発見」した時、「久しぶりに面白い人が出てきたなぁ」と本を購入し、
ママ友に、「回し読み閲覧」をしてもらったのだが、
概ね、不評だった。いや概ねではなく、全員から不評。
曰く
「何が言いたいのか、わかんない」
「よかった結婚できて。痛すぎでしょ、この人」
「こういう人とは、友達になりたくない」
「会ったことないタイプ。こういう人が、結婚しないんだね(他人事)」
そーですか、そうですね……。わかります。
でも、私は、こういうの「も」好きなんだよ!!!!
私の「現在置かれている状況下」におかれましては(※)
面と向かって(誰に??)、ジェーン・スーが、好きだ、とは言いづらいが、
生活の中に、ジェーン・スー要素がなくなったら、相当、苦しい。
※ 見渡せる範囲、全て主婦。その主婦たちは、ケンカしつつも夫婦仲が良く『幸せ家族』が多い傾向
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で、枕草子に話を戻して。
酒井順子は、「枕草子 REMIX」の「あとがきにかえて」の中で、こう書く。
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彼女は、「自覚の人」なのだと思います。(中略)
自分が時には意地悪で、時には自慢しいであることも。
そして自分が若くなく、美人でなく、またそう高貴な生まれでもないことも。
彼女は全てを自覚しており、その自覚から枕草子は生まれました。
彼女は、だからこそ自覚の無い人を憎みます。自分の立場を心得ずに似合わないことを
する人や、自分を大きく見せようとする人を、許すことができないのです。(中略)
骨の髄まで客観視、という彼女の姿勢に、しかし私は惚れ惚れします。(中略)
「そういうのってほとんど・・・業ですよね、業」
と、言いたくなる。
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中野翠、酒井順子、ジェーン・スーは
「みんながボンヤリ感じていることを、的確な言葉で表現する」
という意味で、同じ種類の人達だ。
そして、清少納言も、同じ系譜の人間なんだと思った。
つまりは、とびっきりの(←ここ重要。中途半端なら、掃いて捨てるほどいる)
コラムニスト。(古くは随筆家と言う)
とびっきりのコラムニストの文章を読むのは心地良いけれど、
「コラムニストになりたいか?」と問われれば、答えはNO! だ。
いやいや、そもそも、なれないけれどね???
ちなみに、中野翠、酒井順子、ジェーン・スーは全員、未婚。×すらない生粋の未婚。
とびっきりのコラムニストと女の幸せは100万光年の距離がある。
こんなことを書いたら、
コラムニストの方々からは、
「じゃあ、教えて欲しいんだけど、女の幸せって何なの?」と詰問されるか、
「私は、女の幸せとか平気で口に出せる
『もの欲しそうな女』の鈍感さにイラつくの」くらいのパンチをカマされるか
ガン無視されるか(←これが一番、ありえる)だけどね。
えーとね、何で、そんなん知っているかっていうとね??
女性誌業界は、そんなお姉さんばっかしがいた(多分、現在も『いる』)んですよ。
って、女性誌業界を語ると、話が異常に長くなるのでここらで止めておく。
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そうそう。
一番大事なことを、書き忘れそうだった。
とびっきりのコラムニストを、コラムニストたらしめるものとして
「羞恥心」と「客観的に見る視点」以前に、
鋭敏な言語感覚が必要だ。
2017年の正月現在の私が、
「す、すごい!!」と、思わず息を飲んだのは
枕草子 第242段。
ただ過ぎに過ぐるもの。
帆かけたる船。
人の齢(よはひ)。
春・夏・秋・冬
この流れで、「春・夏・秋・冬」と、言い切ってしまうところに
スッコーンと爽快感を感じて、胸が高鳴った。
素晴らしい言語感覚だと思う。