月別アーカイブ: 2018年5月

「一生メシが食える女の子」の育て方

「一生メシが食える女の子」

の育て方は、コチラ!

 

息子3人の私からすると

未知の領域、「女の子」の子育て。

 

正直なところ、男の子3人の子育てが大変な時期は、

一人娘ちゃんを、おっとり(・・というふうに見えていた)

育てているママに対して、

こっちの(大変な)「子育て」と、一括りにしないで欲しい!

くらいのことを思っていた時期もある。(嫉妬ですね・・)

 

でも、女の子を育てるのは、男の子とは全然違う、

神経戦的な疲れがあるんだなぁと、

最近、感じています。

 

この記事を書きながら、自分が子ども頃を思い出し、

「私、全然、女の子じゃなかったな」

と、今さらながら気がついてみたり。

 

「やっぱ、そりゃー、

うちには女の子、産まれないでしょう」

と、妙に納得してみたり。

 

記事を書いたことで、もしかしたら

「女の子の子育て」というものに、

初めて、本気の関心を抱けたのかもしれません。

素敵なお姉さまと遊ぶ

昨日、遊びに来てくれたのは、気がつけば、お姉さまばかりだった。

 

ふんちゃん(作家の山本ふみこさん)と、なほちゃんは、

この集いの2トップにして、干支が一回り年上。

 

そんな二人が、我が家のキッチンで、

片付けをしている姿の素敵なことよ。

 

なほちゃんがお皿を洗い、ふんちゃんが布巾でふいている、

その何気ない光景が、眼福というほどに美しくて。

 

カメラで何枚も写真を撮っちゃった! (どんだけ?)

 

そういえば、先日の鹿児島旅行(仕事の視察)も、

バリバリ仕事をして、遊び上手なお姉さま達ばかりで、刺激的でした。

 

50代も目前。

素敵なお姉さまに遊んでもらいながら、

大人の階段を上っていきたいものです。

(充分、登っているだろ! という突っ込みはナシで)

ナンカ、体調不良・・。

今朝、5時に起きて弁当を作ろうと思ったら、ふらふら、する。

 

夫と子供に

「ご飯は炊けているから、適当に食べていって。

お弁当は、500円弁当でお願いします」とお願いして、布団にリターン。

 

気を失うように寝て、起きたら、11時半。

 

今日は、夕方から来客。

締め切りも1本ある。

 

今日の来客は、気楽な友達だし、そもそも我が家の来客は、

「持ち寄り1品 + パティオでジンギスカンバーベキュウ」

と決まっているので、リビングをザッと片付けて、水回りの掃除をすれば、いい。

 

ルーティンワークの家事だから、これは、できそう。大丈夫。

原稿も、ほとんど書けている。微調整して送るだけなので、大丈夫。

 

でも、「少し気力が必要な、仕事や家事」は、

厳しい感じ。

 

会社に勤めているのなら、会社を休むというレベルではない体調。

でも、決し万全! ではない。

 

そんなくらいの体調の時って、ありますか?

 

あるよね・・・。

これって、何なんだろうねぇ。

どうやって、「やり過ごす」感じなんだろうねぇ。

 

そんな体調であったこと、

覚書として、ブログにアップしておこうっと。

学ランを紛失する男の個人面談

「学ランを紛失する男」が、学ランを紛失してから、早20日。

学ランは見つからず、学ランを着用しない、夏服期間に突入したので、

「これは迷宮入りだな」と、母は半ば諦めた。

 

そんな、ある日、個人面談があった。

 

学ランを紛失する男の学校生活の様子を聞き、

彼の学校生活は、私が想定していたよりは、マシでした。

 

あくまで、比較の問題ですが。

 

母。「うちの子、席に、座ってはいられますか?」

担任。「はい、大丈夫ですよ。随分、落ち着きました」

 

小学校1年生じゃないんだから! 中学2年ですからね!!! > 母よ!

 

母。「次元が低い質問ばかりで、本当にすみません」

担任。「いや、みなさん、そんな感じですよ」

 

ほ、本当かな?? 社交辞令かな??

 

そんな面談が終わりかけの頃、学ランのことを切り出してみた。

 

母。「あの、結局、学ラン見つからなくて」

先生。「そうでしたね。全学年に一度、チェックするよう声掛けしてみます」

 

母。「ありがとうございます。息子が、『落とし物箱に入っている学ランを着ていればいいっって先生が言っていた』と言うんですが、そんなことをして、大丈夫なんですか?」

先生。「全然、大丈夫ですよ」

 

母。「そもそも、落とし物箱に学ランが入っているんですか?」

先生。「はい、普通に落ちてます。定期的に処分しないとならないほど、落ちてます」

 

母。「え? 定期的に処分する必要があるほど、学ランが落ちているんですか? 

それって、どれくらいの頻度で処分しているんですか?」

先生。「1学期に7着ぐらいは、処分している感じです」

 

母。「まーじーでーすーか????(絶叫)」

先生。「学校としてはお恥ずかしい限りですが、事実です」

 

うちだけじゃないんだ。

良かった!!! と、ほっとしてみる。

 

先生は、

「学ランが必要なのは10月1日からですが、

9月の学園祭のバザーの時に、学ランも出ます

紛失された方は、みなさん、そこでご購入されていますよ」と、教えて下さる。

 

先生は、「慣れたもん」で、ございました。

Saekotrees  ~さえちゃんのHPができました~

さえちゃんのHPができたという連絡をもらった。

Saekotrees

 

さえちゃんというのは、このHPを作ってくれている

シンさんの奥様。

 

さえちゃんは、ふたりの女の子を育てながら、絵を描いている。

個展をやった時の様子は、コチラ。

 

シンさん曰く。

+++

日々描いている絵を日記のように更新していきます。
できたばかりなのでまだちょっとです。

思うところあって、一覧のページは作らず、
日々更新される絵を順番に見てもらえるような構成にしました。

+++

 

季節が自然に移り変わっていくように

日々、ページが移り変わっていくっていうのが、いいね!!!!

 

 

シンさんは、さえちゃんの話をよくする。

 

「将来、二人で絵本を作るのが夢なんだ」

「子供の手が離れてきたら、二人で旅行に行くのが楽しみ」

 

妻と一緒にいることを楽しんでいる夫。

素敵だぁ~!!!!!(絶叫)

 

と、ここまでだと、

「素敵な芸術家ご夫妻のお話し」で面白くない。(嫉妬か‼?)

 

オチを作っておこう。

 

さえちゃんの、『天然』っていうのは、

もはや、ネタ。レベルです。

 

私が、さえちゃんの「天然エピソード」として

印象に残っているネタに、「原住民の話」というのがある。

 

それは、こんな話だ。

 

シュタイナー系の幼稚園に、子供を通わせていたさえちゃん。

 

ママ同士が、車座になって、「子供の頃、なりたかったもの」を

シェアする、みたいな時間があったそーで。

 

そこで、他のママたちが、「保母さん」とか言っている中、

さえちゃんは、「原住民」と、言ったそう。

 

その話を、シンさんが私に笑いながら話してくれている横で、

さえちゃんは、真顔で(←ここ、重要)。

 

「え? だって、原住民の人の

顔に施してある、文様とか本当にキレイなんだよ!」

と、言っていた。

 

そこ?? そこなんですか、論点は!!!

 

「幼稚園のママたちで車座で話す」という趣旨が全然わかってない感じとか

本気で、「原住民の顔が美しい!」と思っている、その想いの強度など。

 

幼稚園のママ友トークとは何か? が、

壊滅的にわかっていない感じが明白で。

 

「この人、すげー、天然だわ!」と、思った記憶がある。

 

さえちゃんは、そんな人です。

お見知りおきを、よろしゅうに!!!

壮大な思春期になっていたと思う ~3人兄弟で良かったね!~

昨日、2階にいたら1階から夫の怒鳴り声が聞こえる。

どうやら、息子たちを叱っているよーだ。

 

私自身も、子供に対して発狂する時は、たいがいですけど、

夫も、発狂しすぎ・・・と、思って階下に行き、事情を聞いてみると。

 

「日常のやるべきことを、ちゃんとやっていない」

というのが、主訴。

 

うん、それ、私も賛成。

 

まぁさ、人間なんて弱いものですから、

「日常のやるべきことを、ちゃんとやれる人」なんておらず、

ましては発展途上人である彼らが、できるわけもなく。

 

このような定期噴火は、ある意味、大事な日常の家事です。

悪役を引き受けてくれて、ありがとう > 夫。

 

が、しかし。

 

夫の怒りの発端が、

「ちゃま。(飼い猫)の扱いを子供に注意されたこと」というのは

いただけない。

 

夫曰く。「俺は、猫に嫌われるのは慣れているんだ。

そんなことを、今更家族にとやかく言われたくない」と。

 

夫の実家の飼い猫なんて、夫の姿を見るやいなや

脱兎の如く(猫だけどな)、逃げ出す。

 

その姿を見るに、つーか、普段のちゃま。への対応を見ているに、

夫の、「猫の扱いの方」が間違えているのは、自明の理。

 

息子が注意をするのも、もっともな話のであーる。

 

長男に、コソっと言ってみる。

 

母。「あんた一人っ子じゃなくて、良かったね。

あのお父さん、一人で引き受けるとなると、相当、大変だったと思うよ」

 

長男。「うん。壮大な思春期になっていたと思う」

 

面白い!

つーか、息子たちもわかっていて、黙って叱られてくれているんだろうねぇ。

寺内貫太郎一家みたいで、良いねぇ。

 

寺内貫太郎一家のドラマなんて見たことないけれど、

ホームドラマの代表として出してみました。

フォームが整うまでに、45分(ビオラレッスンメモ)

122回レッスン記録 5月24日(木) 9:30-11:30

 

【フォームが整うまでに45分】

 

右手親指を弓の下側に置いて、弓を最後まで押し切る練習。

親指を弓の下側に置くことで、手首がグラグラしない。

 

手首ではなく、腕で弾くという感覚を何度も確かめる。

 

上腕で楽器を抱え込むようにして弾く。体重をしっかりのせる。

楽器を弾くということは、体全体を使う営みであることを思い出す。

 

先生のフォームを見ながら、一方で、先生に私のフォームを見て頂きながら

ボーイングのフォームを整えることに集中して、45分。

 

先生。「うん、いいんじゃない?」

私。「この状態に整えるのに、45分かかっていますから!」

 

自分で練習しているだけだと、どうしてもフォームが崩れていってしまう。

 

定期的に先生のところに伺って、

フォームを整えることを怠ってはいけないと思うのでした。

三男の歯科矯正が完了 ~大変な家事がひとつ終わった朝~

昨日、4年に及ぶ三男の歯科矯正の終わりである

院長の説明に行ってきた。

 

歯科矯正を開始したのは、平成26年3月。

 

歯並びの矯正というよりも、下顎を前に出すための矯正だった。

 

下顎が前に出ていないと舌も後ろに下がってしまう分、

「口腔内の気道に通ずる部分」を狭めてしまうのだ。

 

矯正のかいがあり、レントゲン写真でみると、

彼の「口腔内の気道に通ずる部分」は、明らかに太くなった。

 

そういう体を息子に手渡してあげることができて、

母は本当に嬉しい!

 

それにしても、「息子の歯を守る」というのは、

なかなか、どうして、大変な「家事」でした。

 

乳幼児の頃の仕上げ磨きに始まり、

小学生になってからは、一向に歯磨き習慣がつかない息子達に苛立ち

母は、泣いたり、喚いたりした。

 

そんな日々も、ここで一区切りしよう。

 

思い返してみると。

母の責任(プライド)として、

息子3人、10歳まで虫歯は1本もなかった。

 

小学校高学年になったあたりから、歯ブラシの仕上げ磨きを止め、

口内環境は、各自の自己管理エリアとした。

 

長男が中学生になった頃、彼の口内に虫歯が1本発見された。

あの時の、母(自分)の、嘆きっぷりったら!!

 

「これ、ヤバくね?? 子どものこと、全てコントロールできると思ってる私って、大丈夫?」と、自分で、自分が怖くなった。

 

そこからは、より一層、「手綱」を緩め

現在、3人の息子ともに虫歯があるようだ。(治療は、彼らに任せている)

 

ちなみに。

20歳くらいまでに虫歯にならないと、

生涯を通じて、ほぼ、虫歯にはならないのだそーだ。

(昨日、歯医者さんに聞いた)

 

願わくば、あと数年、歯磨き頑張って下さい >息子たちよ! と、願うばかり。

 

願うしかない。祈るしかない。

きっと子育ては、全てが、だんだん、そういうエリアの話になっていくのだろう。

 

こうして、ひとつ、ひとつ、

「母の責任」を手放していくのか・・・。

 

ちょっと(いやいや、相当)、寂しいです!

グダグダ、なう!

今朝、新聞記事を読んでいたら、

舘ひろしが主演している「終わった人」。

の監督の談話がのっていた。

 

東大卒のエリートサラリーマンが定年を迎えた話。

 

「定年って、生前葬だな」というセリフが話題になった

内館牧子さんの小説をもとにした映画だ。

 

監督自身も東大卒で、定年が目前に迫った世代。 

 

東大の同級生たちが

「俺の人生、コレで良かったのか?」みたいなことを言うのを、

最近、よく聞くようになったそう。

 

そんな記事を読んでいたら、ある風景を思い出した。

 

私が20代で丸紅に勤務していた頃。

エリート街道まっしぐらで、ブイブイ言ってるように見えた

バリッバリの商社マンのおじさん(多分、当時、50代)に

「俺、今さら、人生って何なのかって、考えるようになったよ」

と、言われた時のことを。

 

その時、

「エリートだけで突っ走ってきちゃうと

50代になって、やっと、そういうこと、考えるんだ!」

と、驚いた記憶がある。

 

・・・と、まぁ、前置きが長くなっておりますが。

 

本日は。

「私ってば、ここがアレで、あそこもソレで、

はぁ~ほんとダメ・・。イヤになっちゃう!!!!!」

的な、気持ちの朝なんす。(主に、仕事がらみの話)

 

でもね、こんなふうにグダグダ思っている日もあった方が、

「私、オールオッケー!」と、ブイブイ飛ばしているよりも、

長い目で見たら、健康的なことなのかもな。

と思ったので書いておくことに致しました。

自由な人が野菜ジュースを飲んでいる件

日曜日の夜は、息子たちの精算タイム。

 

母が自作した所定の用紙(一応、お金のプロなので・・笑)に

1週間に使った経費を書き出し、父に承認をもらう仕組み。

 

承認がもらえると、そのお金は「経費」と認められ、

お金が、母から支給されます。

 

「お小遣い」を渡して、「小遣い帳つけないさいよ」では、

絶対に記帳しないけど、

この方法だと、成功報酬がある(お金がもらえる)ので

続いております。

 

ちなみに、「経費」と認められる主なものは、以下の3つ

 

1 食費(友達との買い食い含む。そこはケチって欲しくないから)

2 文房具

3 書籍代

 

「何に、お金を使っているか?」が家族の中で透明になるので、

兄弟間で、「お前、そんなことにお金、使ってんのかよ」などと

お互いに牽制しあったりもして、自然と金銭感覚が身についている様子。

 

そんな、ひとコマの中。

 

兄。「お前、野菜ジュースとか飲んでいるわけ?」

自由な弟。「うん」

 

兄。「何で、野菜ジュース?」

自由な弟。「500円弁当の日って、朝ごはん、納豆とご飯だけじゃん? 

そしたら、野菜不足になるじゃん??」

 

「500円弁当の日」とは、母が夜遊びをした翌日のこと。

 

母が、朝、起きられないので、

1コイン(500円)分、弁当を買ってもらう。

かつ、朝ごはんも作らない。

 

ご飯は炊けているので、

それに納豆や「ゆかり」をのせて食べ、彼らは出動しているらしい。

 

に、してもね??

 

自由な人も、「野菜足りない」とか思うんだ!

それで、野菜ジュースとか飲むんだ!

 

笑っちゃったよ。

眠い朝に思うこと

今朝は、午前4時に起きて仕事・・。

 

急ぎの仕事は、終わった。

 

これから仮眠をとって、仕事をするか。

軽めの仕事をしてから、仮眠をとるか。

迷うところです。。。

 

仮眠すっかなぁ。

眠いまま仕事をするのも、失礼な気がする。

 

一球入魂ではないけれど、

魂を込めて書きたい原稿がある、幸せ。

 

取材相手が素晴らしくって、そのエネルギーを

ベストな状態で読者様に届けたい! と思うから。

 

「仕事をベストな状態でできる自分」 

 

そこを起点で考えると、日常の生活管理が甘い気がする。

 

全部は、きちんとできない。

やっぱり、取捨選択だよなぁ・・。

などと、ブツブツ思う朝でした。

とくに・・。 ~息子に切り捨てられた朝~

久しぶりのお天気、気持いいですね!

 

今日は、三男の遠足。

本当は、数日前に遠足だったのだが、雨で延期。

で、本日になった。

 

その延期の期間中に、「遠足のお菓子を兄弟が食べてしまった」だので兄弟ゲンカ。

遠足の時は、デザートもゴージャスバージョンなので、

再度、デザートを買い直しにいったり。

 

遠足が延期になる、というのは、ひと手間、面倒ですな。

 

今朝は、唐揚げ揚げてぇ、卵焼き作ってぇ、ブロッコリーとプチトマトをいれ。

おむすびをサランラップで包み終わり、ホッと一息。

 

ホッとした気分のままに、息子に張り切って声をかけてみた。

 

母。「今日は、いよいよ遠足だねぇ。楽しんできてね!!

帰ってきたら、お話し聞かせてね!!!」

 

すると。

三男。「とくに・・」。

 

「とくに・・・」「とくに・・・」って、何??

これって、「別に・・」の別バーションですか???

 

遠足に行く前から、

「とくに、話すことは、ありません」って、ことでしょうか?

 

そうなんでしょうか?

これって、ザックリ言えば、息子に切り捨てられたってことでしょうか??

などと、騒いでいるフリをしてみた。

 

本音は、

「そんな、一丁前の、

生意気なことを言うように、なりましたか!」

と、華やいだ気持ちになったんだけどね・・・。

 

私、マゾなのかしら???

FOSSIL(フォッシル)さん × 平松昭子さんコラボイベントに行ってきた

このブログでも紹介させてもらった

5/5、キラリナ京王吉祥寺で行われた、「FOSSILさん × 平松昭子さんコラボイベントに行ってきた。

 

キラリナ京王吉祥寺というのは、吉祥寺の新しいランドマーク。

 

オシャレなお店がたくさん入っているファッションビルなのは知っているし、

京王井之頭線に乗る時は、いつも横を通っているが。

 

でも。

京都の人が「金閣寺」に行かないように、札幌の人が「時計台」に行かないように

吉祥寺に住んでいると、意外と「吉祥寺の名所」には行かないもんなんです・・。

 

そんな私が、FOSSIL(フォッシル)さんの時計を買った。

 

「画伯がイベントをやったから」とかは関係なく、

10年使った時計の調子が悪くなって、新しいものを探していたし、

クールなデザイン、手頃な価格、時計としての機能性が、

「購入に値する」と、判断したから。(と、お金の専門家っぽく書いてみた・・笑)

 

でも、画伯のイベントがなかったら、

きっと、永遠にFOSSIL(フォッシル)さんとは、出会えてなかったなぁ。 

 

なぜなら、前述の通り、

「キラリナ吉祥寺のお店を、ブラブラ見る」ということは、ないから。

 

良い機会を与えてくれて、ありがとう! > 画伯。

 

【ライブペインティング中の平松画伯】

 

 

時計を買ったので、画伯にパーソナルペインティングをしてもらった。

それが上記の写真です。

 

私だけでなく、イベント日にお買い物をした方々は、

画伯にパーソナルペインティングをしてもらっていた。

 

パーソナルペインティングをしてもらっている方の

画伯を見る、眩しそうなキラキラ輝いた顔が、とても印象に残った。

 

画伯は、「平松昭子のファッションホリック道    」 

という本を出しているほどだから、             

平松昭子さんファン。という方がいるのは、知っている。

 

【平松昭子のファッションホリック道】

 

 

実際に、画伯のファンのお姿を「生」で拝見することができて、

何か、すごく嬉しかった。

 

この気持ちは、何なんだろうね???

親心‼? 

 

画伯が、今ほど売れっ子じゃない時代も知っているし、

努力してきている様子も知っているし、かな??

 

努力といえば。

 

息子のアンジくんがアシスタントとして同行していて、

「キラリナのトイレで、筆入れを洗う時の練習」を

アンジくんと自宅でしてみた、と言っていた。

 

「絵筆を洗った水」は色がついているから、

キラリナの洗面所を汚してしまうかもしれない・・。

 

だから、その汚れを洗うためのスポンジを用意してきていて

それだけではなく、アンジくんに、自宅で、洗面所の洗い方を指導してきたそう。

 

アンジくんは、立派な大人!

(「今日は、ありがとうございます!」などと、サラッと私に挨拶してくれる感じ)

 

でも、私も3人の息子を育てている、「男子母」として、

「男子の掃除の仕方は、心配。完璧を期すために練習させる」

という感覚は、わかる。

 

私。「画伯って、そういうところが、本当に努力家だよねぇ」

画伯。「そう? 好きなことだから、全く努力だと思わないんだけどね」

とのこと。

 

やっぱり、画伯は、アッパレ! だと思いました。

学ランを紛失する男

昨日、学校から帰ってきた次男が、おやつを食べながら言う。

 

「あ、そういえば、学ランなくした」

 

それは、「今日のお弁当のおかず、コレがおいしかったよ」と言うのと

何ら変わらないテンションで、「こともなにげに」という感じ。

 

思わず、聞き返しちゃったよ。

 

母。「は? 学ランって、あの、学ラン???」

次男。「うん、学ラン」(相変わらず、平常心)

 

母。「学ランなんて、なくなるものなの?」

次男。「ね! でもさ、それが、なくなるんだよ」

 

母。「へぇ、そうなんだ」

・・・・・と言ったきり、思考が停止する母。

 

やっと我に返り。

 

母。「先生には、言ったの?」

次男。「うん、言った」

 

母。「そしたら、何て?」

次男。「マジで? って言われた」

 

やっぱ、そうですよね??

「マジで??」とかって、思いますよねーーー!!!(絶叫)

 

あまりに次男が平常心なので、

学ランって、「紛失しがちな品物」なのかと錯覚した。

 

帰宅した父にも、報告。

 

次男。「学ラン、なくなった」

父。「は??????」

 

やっぱ、そういう反応だよね?

それが、普通だよね??

 

次男と暮らしていると、時々、いや、しばしば。

 

私の常識が、非常識?? といった不安感に陥る。

 

ブログに書いて、気を静めてみた、なう。

 

・・・が、「学ランが紛失している」という現実には、

何ら変わりはなく・・。

 

さて、どうするか・・・。

 

 

学ランのその後が気になる方は、

コチラ ↓ をどうぞ!

学ランを紛失する男の個人面談

肩甲骨のところの痛み ~ああ、また、やっちゃった!~

ああ、また、やっちゃった!

 

すごく気合いをいれた原稿を書くと、

肩甲骨のところが、ギュッとなって

疲れがとれなくなる・・・。

 

「原稿を書くこと」は私の日常なので、

原稿を書きすぎた(量)、という問題ではない。

 

たま~に、無意識に力んで書いている原稿があって、

「そのテ」の原稿を書いた時に、

「ああ、また、やっちゃった!」と、いうことになる。

 

この状態になると、鍼灸師の井出先生のお世話になる。

 

まぁ、でもね。

「無意識に力んで書いている原稿」というのは、そう、そう、なく。

 

書き終わった時は、「なるほど~、そうか! そうだったのか!」と、

必ず、ある種のカタルシスが得られている。

 

そう考えると、

「ああ、また、やっちゃった!」で

得られたカタルシスは何だったのか? 

ということにフォーカスした方が良いのではないか? と、

気がついた。

 

井出先生のところに行けば、

必ず、この痛みの「核」は解してもらえるので、

「ああ、また、やっちゃった!」の解決策がわかっているだけでも

ありがたい。

 

さ、井出先生に電話をするか。

ブロムシュテットと先生が共演していた件(ビオラレッスンメモ)

121回レッスン記録 5月7日(水) 9:30-11:30

 

【N響を聴いてきた話】

 

N響を聴いた後、初めてのレッスン。

先生はレッスン前にいつもお茶を出して下さるが、

そのレッスン前トークの開口一番、

「先生、10年ぶりにN響に行ってきたんです」と、切り出してみた。

 

私のビオラの先生である渡部啓三先生は、

元N響のビオラ奏者。

 

余談ですが。

今、渡部先生のお名前を検索してみたら、

若手音楽家の演奏会案内がヒット。 (室内楽を渡部啓三氏に師事ってある)

プロの演奏家と同じ先生に教えてもらっていることに感激した。

 

 

話を戻して。

 

その流れから、先生が30年ほど前の

「フィルハーモニー」(NHK交響楽団の機関誌)を、12冊くらい

見せて下さった。(12冊を束にするフォルダーがあるのだ)

 

その頃の「フィルハーモニー」では、

団員にクローズアップしたインタビュー記事があって

その方についての、お話しなどをする。

 

野球が好きな人が、野球選手の話をするのが楽しいのと同じ”ノリ”で、

N響メンバーは私にとっては憧れだから(芸能人のようなもの)、

その方のプライベートのエピソードが聞けて楽しかった。

 

【ブロムシュテットと共演】

 

「フィルハーモニー」には、「演奏会のプログラム」も記載されていて

(どちらかということ、こっちがメインだな)

そこに、ヘルベルト・ブロムシュテットの名前を発見。

 

私。「先生、ブロムシュテットと共演したこと、あるんですか?」

先生。「うん、あるよ。何度も」

 

まーじーすーかーーーーーーー!!!! 

 

何でしょうか? この興奮。

友達の友達は、みな、友達 的な??

 

殿上人(てんじょうびと)だと思っていた音楽家が

身近に感じられて嬉しかったのだと思う。

 

先生に見せて頂いていた「フィルハーモニー」は、

1980年代のもの。

 

ブロムシュテットは、現在、御年91歳だけれど、

30年前は60代(当たり前ですね・・)

 

ちなみに、ブロムシュテットが

50代くらいの頃から、振ってもらっていたそう。

 

私。「50代のブロムシュテットって、どんなんだったんですか?」

先生。「いや、それが全然、変わらないのよ。

音楽に対して、本当に誠実で真面目な感じがね」

 

ハァ~、恰好いい!!!!

これで、お茶碗3杯はいけるエピソードだわ。

 

30年前のN響を振っていたのも、(今もそうだが)

海外の指揮者が多く、こんな質問もしてみた。

 

私。「指揮の指示は英語なんですよね?」

先生。「英語もあるし、フランス語もドイツ語も、イタリア語もあるよ」

 

私。「全部の言語、わかるんですか?」

先生。「音楽に関する用語は、わかるものだよ」

 

ハァ~、恰好いい!!!!

これで、お茶碗3杯はいけるエピソードだわ。(その2)

 

そんなこんなで、私が大興奮をしている間に1時間経過・・・。(レッスンは、2時間です)

 

先生。「楢戸さんの場合は、こういう話もレッスンのうちだね」と、

笑っていらした。

「うかつ」が服を着て歩いている私ですが。

私は、「うかつ」が服を着て歩いている感じです。

 

そういう自覚は、ちゃんと、あるんですよ! 

(誰に対しての言い訳‼?)

 

20代の8年間は、大企業に勤務していたので、

「普通の社会」は、

周囲の状況を考えて、発言しなければいけない場所である。

ということは知っている。……つもりです(やや、自信がないが)

 

それを20代一杯まるまるかけて、やっと学んだという感じ。

 

ママ友付き合いや、ライター業において、

上記のスキルは、かなり役だっていると思う。

 

けれども、一緒に「モノづくり」をしている仲間に対しては、

「こんなことを言ったら、どうかな?」というガードのようなものは外して

ガンガンと、物事を伝えていきたいなと思った。

 

たとえば、このHPを作ってくれているシンさん。

 

今、メールをしたのだけれど、敢えて、読み返しをしなかった。

読み返してしまうと、「ガンガン」ではなくなってしまう気がしたから。

(誤字脱字は、すいません)

 

シンさんは、「この感覚、伝わるのかな?」といった

心配をしないで良い相手。

 

そういう人だからこそ、一緒にモノが作れるんだなぁ、と感じたので、

メモしておきたいと思った。