月別アーカイブ: 2018年3月

コスモポリタンな大学の先生の話

 

 

私の座右の銘は、日々、是、取材。

日常で拾った話を、ご本人の了解を得た上で、

アップしていこうと思う。

 

コスモポリタンな大学の先生が語る、マイストーリーの紡ぎ方。

 

+++

 

コスモポリタンとは、

国籍・民族などにとらわれず、世界的視野と行動力とをもつ人。世界人。国際人。

(コトバンクより)

 

コスモポリタンという言葉には思い入れがあるので、

今日は、前置きが大半のブログです。

 

私がライターになったキッカケは、会社員時代、

集英社の「コスモポリタン」という雑誌で

読者モニターをやったこと。

 

編集者さんから、「ライターを育てたいんだけれど、どう?」と

声をかけてもらった。

 

当時、私は丸紅勤務のOLで、「普通の感覚がある人が欲しい」とのことだった。

マスコミ業界は、イカれている人(褒め言葉です)多いからね。

 

1990年代当時の女性誌は(今も変わらないかもしれないけれど)

ファッション、メイク、旅行やお店情報が中心で

読み物のページで扱うのは、恋愛と結婚の話が多かった。

 

「結婚して、子どもが生まれたら専業主婦」というコースが主流だったから、

当たり前っちゃー、当たり前なんだけれど。

 

そんな状況の中、集英社(今は別の出版社がやっている)の「コスモポリタン」

日経BP社の(当時は日経ホーム出版)「日経ウーマン」

文藝春秋者の「クレア」の3つの雑誌は、

女性が自立して生きていく方法「も」提案していた。

 

この3雑誌全てでお仕事をさせて頂いたけれど、

(ライターになる時の最初の目標が、上記3雑誌で記事を書くことだった)

一番最初に仕事をした「コスモポリタン」という雑誌には思い入れがあった。

 

以来、何となく「コスモポリタン」という言葉は、引っかかっていたのだ。

 

異常に前置きが長くなってしまいましたが、

「コスモポリタンって、こういう人なんだろうなぁ」と思った

出会いがあったので、紹介したい。

 

 シム チュン・キャット    Sim Choon Kiat 先生。

昭和女子大学の准教授だ。

 

今朝、頂いたメールが超・カッコいい!!!! と思ったので、

ご紹介します。

 

+++

まあ人にはそれぞれ事情なり生き方なりいろいろあるとは思うけど、「しないで後悔するよりはしちゃって後悔したほうがすっきりする」というのが僕のポリシーで、人生あっという間だし、どうせ最後は皆死んじゃうし、儚いからこそ取り敢えず他人のストーリーよりも自分で冒険して納得できるようなマイストーリーを紡ぎたい。

+++

 

シンガポール人の彼は、「頭の中の『?』が膨らみすぎて、自分で調べて納得のいく答えを追究したくなったから」とシンガポールの国家公務員の職をなげうって? 東京大学大学院に留学。

 

言っていることと、やっていることが一致しているので、彼の言葉は説得力がある。

 

・・・とまぁ、こういうふうに書くと、

頭よさそうで(良いのだろうけれど)、

とっつきにくい感じがするかもしれない。

 

が、

シムちゃんから初めて頂いたメールに、

「よろしゅう」とか書いてあって、大笑いした。

 

外国人が、「よろしゅう」とか言う????

 

ウケるわぁ~。シムちゃんの授業、受けてみたいわぁ!!!!

安定の、デブ。

「安定の、デブ」と、

三男が独り言を言っていて、笑った。

 

つまりは、自分(三男自身)のことなんだけど。

 

そんな独り言を言いながら、冷蔵庫をアサッているっていうね(笑)。

 

ある日。

「俺は、残飯と呼ばれている」とも、言っていた。

とても誇らしげに。

 

三男。「弁当を残す奴がいると、『お~い、残飯!』と呼ばれて、

俺は、残飯処理隊として活動するんだ」

母。「お弁当、足りないの? 増やすけど!」

 

三男。「いや、そういう問題じゃない。

残飯処理隊として活動するには、お弁当を早く食べれないといけない。

他の奴は、残飯処理隊として活動したくとも、スピードがついていかないんだ

ボクにしかできない任務なんだ」

 

別の日。

 

三男。「先週の金曜日に飲みかけにした缶ジュースが机の上にあって

今日(翌週の月曜日)、『飲んでみろ』ってみんなが言うから

飲んでみたら、大丈夫だった!」と、

これまた誇らしげに言っていた。

 

男子校って、そういう感じ?

うちの息子が、バカなの?

 

ま、どっちも「アタリ」なんだと思うけど、本人的には、

「強靭な胃袋の俺」にプライドを持っているようなので、

ま、いっか! 

谷川俊太郎展に行ってきました

前日のリベンジを果たすべく行ってきました。

谷川俊太郎展。

 

谷川俊太郎って、すごい丸文字だったのね。

 

「二十億光年の孤独」(谷川俊太郎のデビュー作)を

書きつけたノートが展示されていたけれど、

「え??? 女子高生?」って、くらい丸文字。

 

ノートには、「1950.5.1」と日付が書いてあって、

今から70年くらい前に、

男の人が、こんな字を書いていていいの? と、思った。

 

けれども、谷川俊太郎のお父さんも、すごく丸文字で

「家系的に、こういう字を書くんだ」と、納得

(落としどころ、そこで、いーのか?)

 

ちなみに谷川俊太郎のお父さんって、

日本の思想史に残る哲学者で、法政大学の総長もした谷川徹三。

インテリだからって、必ずしも流麗な文字じゃないのね。

 

 

展示は、「『オペラシティで谷川俊太郎の展示をやる』って、

キューレター界的には、人気ポジションなんだろうな。

お手並み、拝見しましょうか?」

と穿った目線で見ていた私が、「ま、アリじゃない?」と思えるレベル。

(どんだけ、上から目線?)

 

いや、いや。

以下の感想を読んで頂いたらわかるけど、

「キューレターの狙ったとこに、見事に落ちた」って感じです。

 

では、感想いきます。

 

まずね、若い人が多かった!

 

国立美術館系の展示に行くとオバチャンばっかりだけれど、

「ここは、パルコミュージアムですか?」的な

ナウでオシャレな、男・女が一杯!!

 

個人的に印象に残ったのは、谷川俊太郎宛の絵葉書コーナー。

 

だってですね!

室生犀星、小林秀雄、三島由紀夫・・。

 

そういう「文学史的に名前は知っているけれど、実在したのか?」と問われれば

ネッシーくらいに不確かな感じの人々(当社比)の直筆の絵葉書、

しかも宛名は、きちんと谷川俊太郎宛(当たり前です)。

 

歴史に触れた感じがして、感動した。

特に、室生犀星! 

彼の直筆を見ることができただけでも、行ったかいがあった。

 

ちなみに、室生犀星からの絵葉書は詩集を贈った御礼らしく

「見せて下すった甲斐のあったことのお礼申しのべます。」と、書かれていた。

 

 

このコーナーで展示されていた、おとうさんから「しゅんちゃんへ」の手紙。で

お父さんの丸文字が発覚するのだが。

 

「きょうは、おとうさんはこのホテルに泊まっています」とか何とか

外国の高級ホテルから出したであろう絵葉書が、たっぷりと。

 

どんだけ愛され、大事に育てられたんだ! という感じ。

 

谷川俊太郎は、インテリ層出身のおぼっちゃん(一人息子)。

しかも、高校あたりから引きこもり始め、定時制の高校に転校して辛うじて卒業。

大学にも行かず、プラプラしていた頃、

お父さんのツテで「二十億光年の孤独」で、デビュー。

 

幼馴染の岸田衿子と初婚後、すぐに離婚、(離婚歴は、3回)

 

それでいて、こんなことを言っている。

「ぼくの場合、友達とかの人間関係は希薄だし、勤め人でもないわけだから、

会社の人間関係もないんです。

女性との関係が、一番の他者の発見なんですよ。

ほとんど、それしかないんですね。」

 

それで、離婚3回? 本気出して、それか?

 

しかも、再婚(1957年)と再再婚(1990年)は、

両方とも、離婚した翌年にしている。

っていうことは、もしかして不倫していた??

 

今ドキの言葉で言えば、だめんず?!(古いか・・)

 

・・・と、まぁ、こんな感じで、

「谷川俊太郎が、紡ぎ出す言葉が好き!」とか何とか

当初は「正しい読者」として展示を見に行ったハズなのに、

「谷川俊太郎って、突っ込みどころ、ありすぎでしょ?」と

人間・谷川俊太郎への興味ばかりが先立ちまして。

 

その結果、こんな本を買いました。

 

ぼくはこうやって詩を書いてきた 谷川俊太郎、詩と人生を語る

 

「谷川俊太郎展に行った記念に、文庫本の詩集でも1冊買おうかな?」

くらいの軽いノリで覗いたグッズコーナーだったのに、

多分、いちばん分厚い(そして高い)本を買ってしまいました。

 

熟読するしかないな。

 

 

最後に。

谷川俊太郎が育った家庭には、

優しい言葉が溢れていたんだろうな!

ということが、伝わってきた。

 

私も家の中で、できるだけ(←ここ重要)

優しくて、血の通った言葉を使うようにしよう! と、思った。

谷川俊太郎展 未遂

昨日、谷川俊太郎展 に行こうと思って

オペラシティまで行ったのに、

展示は、午後7時までで終了していた。

(午後8時までやっていると思っていたのだ)

 

家族の夕食を作って、自分だけ先に食べて

ペラシティに到着したのが午後7時。

 

「ちょうど、今、終わりました」と、

終わりたてホヤホヤに到着した悔しさよ!

 

谷川俊太郎グッズを、閉じたガラス越しで眺めてきた。

 

詩集買うなら、持ち歩き可能な、単行本サイズかな? 

とか思いながら。

 

 

平日午後7時のオペラシティは、

会社帰りの人たちがたくさんいて、

普段、「会社員の人が、会社員している姿」に

全く遭遇しないので、何だか新鮮だった。

 

あ! 会社員の人が、たくさんいる! 的な?

(夫も会社員だけどね)

 

オペラシティから新宿駅までは、歩くことにした。

高速道路の高架下を歩いていると、

ザ・東京! にいますって、気がしてワクワクした。

 

高架という巨大な建築物、

ゴオゴオというたくさんの車の音、

巨大な企業のネオン・・。

 

文化服装学院のビルが、大きいことにも驚いた。

ファッションに1ミクロンも興味のない私は

文化服装学院という単語に、全く反応しない。

 

けれど、あんなにビルがデカいってことは、

ファッションの勉強をしたい人って、たくさんいるんだな。

 

そこからファッション関連の、仕事に就く人もたくさんいるんだろう。

そんなことを考えた夜でした。まる。

 

今日は、これからゴリゴリと仕事をして

谷川俊太郎展を見に行くために

午後4時には家を出ることを、ここに誓います!

卒業式シーズンに思うこと2つ

今日、卒業式の学校は多いみたいですね。

 

長男の通う高校も今日が卒業式のようで、

高校2年生の息子は、激しく緊張して出ていきました。

 

息子の学校は、中高合同の卒業式なので

息子が中学3年生の時、あの学校の卒業式に参加したことがあるのですが、

ビックリ! した。

 

卒業生の名前が呼ばれるたびに、

ヤジが飛びまくり。そのヤジの捻りがきいていることったら!

 

今年、高校2年生の息子は送り出す側の最高学年として

先輩のためにヤジを飛ばす係らしい。

 

昨日、部活の皆で集まって、ヤジの練習をしていた、

 

ちなみに。

「名前を呼ばれるだけで、ヤジなし」という子もいて、

それは、それで、すごく寂しく気の毒な感じさえ、する。

 

息子曰く、

「卒業式でヤジを飛ばしてもらうために、部活を続けている奴も多い」とか。

 

それくらい重きを置かれているヤジですが、息子のセリフを聞いた時、

「随分とキミのキャラから、遠いことを求められているねぇ」と

気の毒になりました。

 

鬼束ちひろの「月光」を男子高校生が地声で歌う中で、

30秒くらいのセリフを言うらしい。バカか、キミたちは!

 

息子は、「見に来る??」と当初は言っていたけれど、

最後は、「やっぱり絶対に見に来ないで」とのこと。

 

てかさ?

息子の飛ばすヤジを見るためだけに、

人さまの息子の卒業式に参加って、不謹慎だろ!!

 

頑張れ、息子!

 

今朝も今朝とて、スタバ井之頭公園店で仕事をしているナウですが

バイトの女の子ちゃんが、袴を見せにやってきてくれました。

 

おばちゃん力を発揮して、バイトちゃんを囲む仲間に参加してみた。

 

「きゃー、かわいいねぇ!」とか何とか言いながら。

うちは息子3人だからねぇ、女の子の華やかさからは無縁だからねぇ。

 

聞けば大学4年間、ずっと、このお店でバイトをしていたとのこと。

「そういう子、多いですよ」と。

 

長く働く人が多いということは、居心地の良い職場だということ。

だから、このお店、居心地がいいのね。

ダメ主婦日記(寝坊編)

これを書いているのは、8:36AM。

ダラっとした気分の時は、ブログをダラダラ書いてしまうので

(読んで下さっている方に『書いてしまう』というのも失礼か!)

9:00AM。になったら切り上げて仕事をするぞ! と宣言して。

 

ブログ。私の心の置き場になっています。

 

遊びにきて下さっている方、ありがとうございます。

以前は、「主婦生活に役に立つ情報発信を!」とか何とかやってたけれど、

新しいプロフィールは、「主婦の生活のよしなしことを書き綴る」って

ことにしたから、ダラっとした文章も「良し!」なのぉ~(誰に言っているの?)

 

このブログの最初の頃の文章を見たら、

「役に立つ情報にしなければ!」縛りが、自分で笑う。

イタいよ! アンタ!! みたいな感じ。

 

で。

 

今朝は、「遠方の大学を見学に行ってくる」という長男を

早朝5時に送り出し、二度寝。

 

「送り出し」と言っても、パジャマのまま玄関で、

「楽しんできてね~!」と、手を振っただけですけど。

 

 

起きたら、夫が洗濯物を干していた。

「今日は、二回、洗濯機を回したよ」とか何とか言いながら。

 

次男、三男は、登校済。「済印」を押したくほど、

彼らの形跡は、跡形もなかった。

 

「このままだと、今日は、廃人の流れだな」と思い、

慌てて身支度をし、夫の出社に合わせて家を出る。

 

只今、スタバでサンドイッチ食べながら、これを書いてます。

 

夫は、今朝は早起きして自転車のトレーニングをした後、

お風呂に入ったせいか、やけにスッキリした顔をしている。

 

私。「なんか『自己管理ができているサラリーマン』って、顔している」

夫。「だって、そうじゃん!」 (ええ、そうですね)

 

私。「今朝のブログタイトル、ダメ主婦日記(寝坊編)に

しようと思うんだけど、どう思う?」

夫。「いんじゃない? 子供達もご飯作っているしね」

 

私。「朝、ご飯、食べていったんだ」

夫。「昨晩の夕飯、自分たちで作っていたじゃん」

 

そうだった。

 

昨日は、ちょうこさんと、旦那さまが元ポルノ男優。の友達と、

午後1時半~午後5時まで爆裂トーク。

 

妙にテンションあがっちゃって、主婦に戻れず。

 

子供達に、「富士宮焼きそば作って!」 といったら作ってくれたのでした。

 

どうでもいいけれど、B級グルメの富士宮焼きそばが

生協で売っているって、画期的~!

 

私、友達の家で初めて食べた時、

「お取り寄せして食べよう」と思ったほどのおいしさ。

 

普通の焼きそば麺の、倍くらいの値段だけれど、まぁ、ヨシとしましょう。

 

で。

 

元ポルノ男優の妻。って、

インパクトのある表現にしてみたけれど、

今、旦那さまはポルノレーベルを持ちつつ、恋愛作家として超・売れっ子。

今はポルノ男優。はしていないと思う。(してても、別にいいけどね)

 

 

彼は、マスコミ業界で働いている女子の間では、

「モテモテだけれど、絶対離婚しない男」

ということで有名。

 

その妻って、何となく漠然と、

小林麻美みたいな女性をイメージしませんか???

 

でも、全然、違うんだよねー。

 

元ポルノ男優妻。ご本人も

「『奥さん、こういう人なんですね』と、

驚かれることに、慣れた」

と、おっしゃっておりました。

 

はい、タイムアップ! 今日は、ここまで。

遠距離恋愛とか、キャバクラとか。

次男が鼻を膨らませて、報告に来た。

 

次男。「お母さん、○○(三男)が、△△(女子)と、ライン交換している!」

母。「だから、何なの?」

 

次男。「女だよ、女」

母。「っていうかさー。あんたの対応の方が、めちゃ残念な感じ」

 

我が家の息子3人とも、中高一貫の男子校に通っています。

しかも三兄弟、姉妹がいない。女子に免疫なし。

 

次男。「え? どういう意味??」

母。「世の中、半分が女です。女の子とナチュラルに話せないって、問題だと思う」

 

次男。によれば、三男くん。と女子ちゃん。とのライン交換は、

「おっとー! 遠距離恋愛中です」とのこと。

 

女子ちゃん。は、小学校の同級生だから、近所に住んでいるけど??

滅多に会えないこと = 遠距離恋愛だと思っているんだね・・。

 

アンタ、バカなの???

 

 

ある日の夕食時。

 

母。「お兄ちゃん、遅いねぇ」

三男。「キャバクラに、行ってるんじゃないの?」

 

高校生、キャバクラに入れないと思うけどね。

長男くん。は、『キャバクラに行く』というタイプではないと思うけどね。

 

母。「アンタ、キャバクラって、何するところか知っているの?」

三男。「知らない。女の人がいるところでしょ?」

 

アンタ、バカなの???

 

 

遠距離恋愛とか、キャバクラとか言ってるけどさー。

 

小学生男子が「お▽り」とか「う△こ」とかいう単語を

意味もなく、嬉しそうに発しているのと何ら変わらない。

 

で・た・よ! って、感じ。

 

少し前に、「うんこドリル」が流行っていたけれど、

アレを購入していた大半は、男子の母だと思う。(当社比)

 

男子って、どうして、こんなにバカなんだろう??

正確には、「バカな男子もいる」で、「お利口さんな男子もいる」んだろう。

 

うちは、3人とも、バカですけどね?

 

花マル学習会の高濱さんに取材させて頂いた

男の子の育て方の記事。を、思い出した。

 

母にとって、男子は永遠に「理解できない生き物」。

でも、「それで、いいんだ!」と、記事を書きながら思った。

 

せっかく男子を育てているんだから、

「男の子って、わからない!」を、楽しんでいきたいな。

これが、私の、ロックンロール

夫婦ともに、プロのミュージシャン。

というご家庭に遊びに行ってきた。

 

どんな話の脈絡だったかは、忘れたけれど。

 

夫くん。「それって、ロックンロールだよね」

私。「ロックンロール⁉(絶叫)」

 

夫くん。「あ・・。俺、今、ぴかりんの扉、何か開けちゃった感じ?」

私。「うん、開けちゃった。 わかる??」

 

本物のロックンローラーが発する、

「ロックンロール」という単語には、すごい輝きがあった。

 

私。「ねぇ、ロックンロールって、何なの?」

 

「んーーー。そうだな」と夫くん。は、

ひとしきり考え込み、こんなふうに教えてくれた。

 

夫くん。「たとえば、ぴかりんが、『子どものお弁当を毎日手作りしたい』と思っているとしたら、それはロックンロールだよ」

 

自分が、心から思っているって、いうことかな???

魂が、本当に望んでいるって、いうことかな???

 

私。「ロックンロールって、言葉。カッコいいね!」

 

そんな会話をしてから、折につけ

「私にとっての、ロックンロールって、何だろう?」と、考える。

 

「これが、私の、ロックンロールです!」

 

最近、仕事について、そう言えるレベルで取り組みたいと思うようになってきた。

(理想が遠すぎて、夜中に目が覚め『全然ダメじゃん、私』と眠れない夜もあるが・・)

 

 

先の御家庭の一人息子くん。も話の輪に加わってくれて、

「うちに遊びに来る大人は、みんな楽しそうに生きている」

と、言っていたのが印象的だった。

 

大人が子どもにできる最大の貢献って、

楽しく生きている姿を見せること。だと思うんだよな~。

チョロ男くん。の会話運び

双子さんは、電話に出るのが好きだ。

 

昨日、夕飯の時に電話がかかってきた。

「僕、出る!」と、次男が電話に出る。

 

ニマニマしているので、どうしたのかな? と思ったら、

「おっと、本命からです!」とか何とか言っている。

 

チョロ男。くん(三男)が小学校時代好きだった女子のママからの電話だった。

私宛に用事のメールをもらっていたのに、

私が返事をし忘れていた、っていうね。ごめーん!! 

 

用件が済んで、「お子ちゃんたちは、元気?」と話を振ってくれたので

「じゃあ、本人同士で話す?」などと言って、チョロ男くんに受話器を渡してみた。

 

から~の!

 

会話が長く続いているし! 母ちゃん、驚いたよ。

 

コミュ障を自称している長男は、

「お! すごいな、アイツ」と、尊敬のまなざし。

 

冷やかすの大好きな次男は、

「さすが、本命、ヤル気が違います」などと実況中継を始める。

 

そんな家族の視線を一身に受けているのが、ウザいらしく。

チョロ男は、電話の子機を持って、別室に移動。

 

から~の!

 

なかなか降りてこないから、私が様子を見にいくと、

「それで、学校で楽しい行事とか何があった?」などと、

相手に、会話を上手に振っている。

 

ちょっと、すごくない? その会話運び。

家族一同、びっくりしたよ。

 

だって、チョロ男は、中一男子。 

もうすぐ中二、『中二病』の季節が目前なのよ??? 

 

最後は、「頂いた電話なんだから、いい加減、切って!」と私が促すと、

「なんか、電話切らなきゃいけないみたい。またね~!」とか、

トークを、ソフトに着地させている。

 

なに、アンタ!

そんな技術、どこで磨いているの????

インフルエンザ発症関連の話

2月20日(火)にインフルエンザを発症した。

 

「それって、流行りのピークから遅れているよね?

僕は、その2週前の発症で・し・た!」と、とある人に言われた。

 

すいません! 流行遅れで。

 

その方は、ゲイ。

「ゲイの人って、言うこと面白いよなぁ」と、よく思う。

 

「そこなんですね! そこ、突いてくるんですね!」という

不意打ち感、嫌いじゃないです。

 

で。 

 

その日は海外散骨の取材予定で、

本来であれば、船で湘南の沖合にいたハズの日だった。

 

いや、いや。

最初は駿河湾(JR清水駅まで新幹線で行き、そこからバス)

という取材場所の指定だったんだ。

 

お天気の都合で、たまたま事前に欠航になっていたが、

今回、ピーク時は、発熱39度をマークしていたから。

 

船上の、39度。ホラーだな。

神様、お守り頂き、ありがとうございます!!!

 

で。

 

病床にいるワタクシのところに、

息子たちが帰宅すると顔を出してくれていた。

 

病床から見上げる学ラン姿の息子たちの、

凛々しさよ! 母は感動したであるよ(怪しい中国人)

 

で。

 

インフルエンザの翌週であった先週は、

仕事がバッタバタ。

 

今、尚。

気分的に、主婦には全く復帰できていない。

 

なんかヤル気が出ないのぉ。(誰に甘えているんですか?)

 

昨日は、夫がいない安心感から、

1枚、258円のとんかつを3枚(息子分)買ってみた。

 

ワタクシ、スーパーのお総菜コーナーで

お買い物を、あんまりしたことがないんですの。

 

こう書くと、いい主婦ブリッコちっくだが(そうだけど?)

昨日は、やーけーに惣菜コーナーが輝いて見えた。

 

え???

こんな大きく立派なとんかつが258円?

嘘でしょ?? みたいな感じ。

 

「私は、真面目に主婦をやりすぎていたのかもしれない。

お総菜コーナーで主菜を買って、野菜添えて終わりとか。

そういう夕食の日が、あってもいいのかもしれない」。

 

主婦20年目にして、ひとつ開眼した気分で帰宅。

 

とんかつを、いそいそと食卓に並べてみると、息子たちの反応は

「お!!!! すげーーー、これ食べれるの?」と、

食前の評判は上々。

 

ところが。

息子3名中2名が、途中で、

「俺、やっぱ、これ、ダメだわ」ということで、

食べることを途中棄権。

 

人生、そうそう、上手くいかないもんですね・・。

そんな、今日この頃です。

熊谷守一はグラフィックデザイナーだった‼?

昨日、熊谷守一展に行ってきた。

 

燃えるように行きたいとか書いたけど、

あの時点で、「本当に、行けるかな?」と、自分で半信半疑だった。

 

熊谷守一展は、国立近代美術館(竹橋)でやっていて、

昨日は、小学館さん(神保町)での打ち合わせがあった。

 

仕事の資料が旅行のキャスター1つ分あって

それをコロコロ連れて見るのもどうかなぁ? と思ったけど、

「別の日にまた」とかやっていると、見逃す自信があった。(どんな自信だ?)

 

だから、キャスターをコロコロ連れて見る覚悟で入場したら、

入場してすぐに受付の人が自ら(←ここ大事)

「受付でキャスターをお預かりしますね」と申し出てくれた!

 

国立系の美術館は全てコインバック式のロッカーがあるけれど、

こんな大きな荷物も預かってくれるんだ! 

 

これで、展覧会を見るハードルがひとつ下がった。

 

打ち合わせの時は、資料の山と一緒に移動することが多いので

キャスターを預かってもらえるんだったら、

打ち合わせ with 美術館 っていうコースもアリだな。

どこの編集部も、美術館が近くにある場所にあるので。

 

 

熊谷守一の絵の中で、

有名なものは、晩年の作品が多いんだと思った。

 

展示は彼の年齢順になっていたけれど、

晩年の部屋は、「熊谷守一になる」という感じのタイトルがついていたほど。

 

シェイクスピアを読んだ時、

「この人、コピー上手いな!」と思ったのと同じような感覚で、

熊谷守一の絵は、グラフィックデザインなんだと感じた。

 

テンポがあって、軽い!

 

彼の絵を見ていると、心地がよい。

 

「絵画でございます」みたいな重さがない分、

生活の中にあっても、邪魔にならない感じ。

 

色使いも、吹っ切れてていて、

ありきたりな言葉で言えば、斬新! なんだろうけれど

その舵の切りっぷり、潔さのようなものが、生理的に好きな感じだ。

 

彼の初期の作品は、すごーーく暗い色使いだし、

富裕層の出身なのに絵が描けなくて貧窮にあえぎ、

医療費が払えなくて子どもを亡くしたりと大変そうな人生だったのに、

晩年の彼の絵は、いろんな意味でふっきれていて、

それが格好良かった!!!

 

ちなみにシェイクスピアは、

「人類初のコピーライター」と言われることもあるそう。

 

 

絵を見る自分。の体感が、少し変わったなと感じたので書いておく。

 

今までより、薄皮一枚分くらい、

絵を素直に見ることができるようになった気がした。

 

学生時代の専門が芸術史だったせいか、

絵を見る時、どうしても蘊蓄(うんちく)が気になってしまう。

 

その作品が描かれた時代背景だとか、作者の人物像とか、

芸術史の中のその作品の位置づけとか。

 

絵を見るよりも、

そういう説明書きを一生懸命読んじゃうタイプ。

 

今回、閉館までの時間が限られていたから、

ざ~とみて、ただ、感じる。みたいな、見方をした。

 

それが、すごく心地よくて。

絵って、別にこうやって見てもいいんだ! って思った。

 

熊谷守一『ミニメモ』

 

展覧会まで、私の彼の印象は、

・家から出ないで絵を描いていた人

・そーとーな変人(髭の長い仙人風の風貌からの印象)

 

それを検証してみましょう!

 

【家から出ない人】

家から出なかったのは、76歳で脳卒中を患った後30年だけで

写生旅行が必要な絵もたくさんあった。

 

【変わり者】

「これ以上人が来てくれては困る」と文化勲章と勲三等を固辞したそう。

世俗的なことには、本気で興味がなかったのかもしれないですね!