投稿者「hikaru-narato」のアーカイブ

IIMORIのインスタ撮影 ~飯守篤子SNSチーム始動~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。

私がドイツにいる間に、IIMORIのインスタ撮影と、篤子さんのTikTokの打ち合わせがありました。その時の様子をお届けします。

インスタ撮影用のテーブルセッティング

IIMORIのインスタ撮影

光の加減に注意しながら撮影

インスタは、IIMORI(IIMORI_patisserie)で検索して頂ければ出てきます。

本日(2024年3月5日)現在、この撮影分は、まだ公開されていないと思う。

本ちゃんの写真は、IIMORI_patisserieのインスタでお楽しみ頂くとして(笑)。

ライターとしては、言葉で、この日のことを書いてみます。

篤子さんの世界観は、とにかく、KAWAII。日本が誇る文化ですよ、かわいい!って。

ジェーンちゃん作

上記のデコレーションは、iimori_patisserieを取り仕切っているジェーンちゃん作。

シェフィンのことが大・大・大好きなジェーンちゃん

この写真、上手に撮れなかったのだが。シェフィンと話をしている時のジェーンちゃんの表情を、皆様にお目にかけたい。

大好き!!!っていう気持ちが、表情から溢れ出ている。

それも、そのはず。シェフィンとジェーンちゃんとの間には、長い時間の積み重ねと、深い深いストーリーがあるから。

それはジェーンちゃんに限ったことではなく、どの従業員さんとも、篤子さんは、がっつりと向き合っている。

話が別方向に走り出してしまいそうなので、話を撮影に戻すと。

ジェーンちゃんがデコレートするケーキ、かわゆす。
チョコレートも、かわゆす。
ジュースも、かわゆす。

篤子さんの世界観って、ぜ~んぶ、かわゆすよねぇ。← 語彙!

撮影が終わった後は…

撮影が終わった後は、同じビルの上のある自宅に持ち帰り、試食~。

ねえ、顔!

うん、もちろん、おいしい。 

飯守邸にいると、浴びるように「贅沢な食事」のオンパレードだった。懐かしいなぁ。

普段、粗食で暮らしている私は、すぐに胃もたれしてしまい、なかなか、どうして、思ったようには食べられなかったが…。

どこでもドアがあるのなら、1週間に1食だけ、飯守邸に行くライフスタイル希望。

TikTok打ち合わせ

この日は、篤子さんのTik Tokが始動する打ち合わせ。篤子さんの秘書すみれさんと、TikTokを担当される綾子さん。

女子会は楽しいね!

ピンクのセーターがすみれさんで、黒いセーターが綾子さん。

ケーキとお茶が出てきた

飯守篤子SNSチーム始動

篤子さんは、人たらしだと思う。

この日も、初対面の綾子さんを一気に「自分のファン」にしていたもんね。。

かくゆう私も、篤子さんに熱狂しながらブログを書いて、毎日、篤子さんの取材のテープ起こしをしてマス。(まだ本の執筆には辿り着けず)

綾子さんとは、「一緒に飯守さんを盛り立てていきましょう!!」と話しています。

予約のとれないお寿司教室

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。

篤子さんが、ビジネスパーソン向けにお寿司教室を開催した日のことは、ご紹介しました。今回は、「本気でお寿司を習いたい人向けの教室」のルポです。

この日はメンズが多め

2024年は、ほぼ予約で満杯

下記は、iimoriのHPから抜粋した「お寿司教室」の2024年度の予約状況です。一言で、「篤子さんのお寿司教室」といっても、大きくは、①懇親目的の方たち。②お寿司を習いたい人たちの2パターンがいます。

下記の教室は、②お寿司を習いたい人たち。が申し込んでいるのだと思われる。

もちろん、懇親目的の方たちの中には、「いつかは、お寿司を習ってみたかったんだ!」という人もいるだろう。

反対に、お寿司を習いに来ている人たちの中には、「友達と一緒だから、習ってみたいんだ」という人もいるだろう。

たとえば、このメンズたち。

仲良く談笑しながら、お寿司を巻いていた。

めちゃ楽しそうに習っていた。ドイツ男子の遊び方という記事にも書いたけれど、ドイツ男性の交友を垣間見ると、「日本とは異なる」と、感じる。

たとえば、日本女性は友人と「何かを一緒に習いに行く」という余暇の過ごし方をするけれど、日本男性が、友人と連れ立って習い事に行くだろうか?

そもそも、社会人の日本男性が「習い事」をしている姿って、あんんまり思い浮かばない。日本には、まだ、「男は仕事をして、なんぼ」っていう空気が濃厚なのかも!?

そんな違いは、「ドイツに行ってみたから」気がついた。

お客さんは、真剣そのもの

De。

今日の衣装は白いブラウスに白いエプロン!

篤子さんの実演を眺める、男性の目の真剣さよ! (笑)。

ガチよ、ガチ!

自分たちで実際に巻いてみるひとときなんて、真剣そのもの。

できあがった巻物の量が違う件

全てが、終わっての試食time。下記の写真の巻物の量に着目下さい。

お寿司を習いに来た人たち

たくさんの巻物が出来上がっていた

ビジネスパーソン向け寿司懇親会

6ピース(おそらく1巻)

ビジネスパーソン向けにお寿司教室の時は、仕上がった巻物の量が少な目だった。

そりゃー、そうよね。初めて会う人たちでの懇親目的なら、自己紹介やら仕事の話が中心。お寿司を巻くことに重点を置いていてはいけない。

いろんなニーズのお客様がいるのは当たり前。篤子さんは、その会、その会のニーズに合わせて、教室で話す内容もガラリと変えているとのことです。サービス業の鏡!!!

色んなパターンでの寿司教室が

篤子さんの寿司パフォーマンスは、フランクフルトで大人気。懇親会向け、ガチに習いたい人向け含めて「今は、なるべく教室は週に1回くらいにしてもらっている」とのこと。

そうは言いつつ、私の滞在中、お寿司教室は何回も開催されていました。

この日は、明るい色の衣装
にこやかにグループの輪に入る

このグループは、親族系だったかしらん? そんな時は、「先生」という感じの衣装ではなく、明るい色のお洋服。TPOに合わせて、衣装!?も変化します。

余談ですが。

篤子さんは、洋服はもちろん、和服も自由自在に着こなします。篤子さんのレシピブック、ファッションブック、インテリアブックがあっても楽しいかもネ。

つぶさない子育て ~高濱先生定例取材~

私が「高濱先生詣出」と呼んでいる、花まる学習会の高濱先生の定例取材が記事になりました。

攻撃的な子どもが増えている!? トラブル回避を最優先にした先に起こることとは【つぶさない子育て Vol.1】

不登校の子どもを支えられない親たち…現代社会が抱える問題とは【つぶさない子育て Vol.2】

わが子がいじめの加害者だった…その根本は親の不安から始まっていた!?【つぶさない子育て Vol.3】

取材をした日の心持は、こちら。

「新宿御苑パトロール」と「貯金のためのロードマップ」

芳麗さんと新宿御苑デート

梅を愛でてきた

梅は6分~7分咲き

昨日は、芳麗さんと新宿御苑デートに行った。「梅の季節が始まったから、新宿御苑のパトロールに行くけど一緒にいかが?」とダメもとで声をかけてみたら、時間を作ってくれた。

芳麗さんも新宿御苑の年間パスポート勢です。

梅は、6分~7分咲きといったところ。「ほれ!」と満開の梅の時期にバシっとお連れしたかったが、ちと、早すぎた…。

水仙は終わりかけ

水仙は終わりかけていた。このタイプは元気だったけれど、真っ白い方は、写真を撮るのを憚られるレベル。

水仙は終わりかけ

昨年、1月中旬の水仙たち。

真っ白な花と冷たい空気が似合う!

昨年、水仙を見たのは、ギフテッド応援ブックの参考資料として映画をみた帰り道だった。

今回、映画を見に行ったのは、仕事の打ち合わせで、「伝えたい世界観は、Dr.コト―に近いかな」と言われても、よくわからなかったから。

朝活 「日曜日 朝8:00 新宿で映画」⇒ 新宿御苑

去年の今頃、漠然としていた世界は、「ギフテッド応援ブック」という本になった。

篤子さんの本も、来年の今頃は「ドイツでは気持ちだけが急いで、自分にプレッシャーをかけて空回りしていたな」な~んて、懐かしく思い出せるといいな。

貯金のためのロードマップ

芳麗さんと会うと、voicyを録音するのが恒例となりつつある。

今回のお題は、貯金のためのロードマップだった。

アレコレお話させてもらったのだが、自宅に戻ってきてから、「ロードマップというからには、最初に固定費(保険料と携帯代金)の話をすれば、良かった!」と思ったので、ブログにあげておきます。(芳麗さんのリスナーさん、音声の帰り道にいらして下さることもあるので)

固定費の見直しは億劫ですが、「1回だけ」頑張ればいいんです。1回見直しさえすれば、あとは気を抜いていても効果は持続します。そういう「面倒だけれど、確実に効果がある」という節約を、意外と皆さんやってないんです。

それぞれの取材記事を張り付けておきます。

携帯代金 : コチラ。

保険料 : コチラ。

芳麗さんはインタビューアー、いわば、質問のプロ。芳麗さんに質問してもらうことで、「こう言えば良かった!」みたいな気持ちが生まれ、言葉が練れていく。それが楽しい! 

芳麗さん、いつもありがとう!!

ドイツでの散歩風景

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。

ドイツでの原稿仕事についての考察

マイン川の川べりを散歩していた

ドイツでは、基本、取材か原稿仕事をしていました。「原稿仕事」というのは、原稿を書くだけでなく、いや、むしろ「原稿を書くための下準備」に多くの時間を割いていた。

下準備とは、撮影した画像の整理、インタビューをした音声データの変換など。取材データは、そのままでは使えず、「原稿を書く時に使いやすい状態にまで整理しておく」という工程が必要です。

飲食店に習っていえば、仕込みってことになるのかな? 

結論、「本の原稿を執筆」という領域には、全く到達できなかった。

ドイツに行く前まで、そして滞在中は「ドイツにいる時にしか書けないことがある。ドイツで本を書き上げたい!」くらいに思っていたので、気持ちだけが急いで、自分にプレッシャーをかけて空回りしていた。

人生は、やってみないとわからないことだらけ。

ドイツで普通に暮らしていたつもりだったけど、「自分にプレッシャーをかけていた」ということは、東京に戻ってきてから言語化できた。

「原稿に向き合う」という意味なら、東京に戻ってきてからの方が、いい感じで向きあえている。

ドイツの何気ない風景

で、だ。

勝手に一人でプレッシャーをかけて、仕事に追われた(気分だった)ドイツ生活だったけれども、近所を散歩する時は、心安らぐひと時だった。

注:篤子さんは、常に、「頑張んなくていいよ!」と声かけしてくれていました。

夫の転勤で北海道に住んでいた時、「北海道は、何でもない景色が美しい」と思った。たとえば、ちょっと車で郊外に出た時に通った、田園風景の中の名もなき道。

そんな風景が、「私の中の北海道」のイメージになっている。ドイツ生活も同じ感じ(雑)。そんな日々の風景を紹介します。

マイン川の遊歩道
遊歩道から大聖堂を見る

昨日紹介したフランクフルトの大聖堂。どこからでも姿が見えるのだけれど、違う角度からだと雰囲気も違うね。

この日は珍しく晴天でした。今、思ったけれど、「ヨーロッパの1月~2月は曇天ばかり」と書いたけれど、晴天の日もあったのかもしれない。今となっては、謎。

スーパーのお花

スーパーで売っているお花の色使いも、日本とは違う! って思った。包み紙だって、ドイツ語が印刷されているしね。。。

こうしたちょっとしたことが、私の中の「ドイツの思い出」となっています。

フランクフルト大聖堂の麓で暮らす

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。

篤子さんの家から徒歩1分(もかからない)に、フランクフルト大聖堂があります。

大聖堂と篤子さん

ハイジの舞台はフランクフルト

アルプスの少女ハイジの舞台は、フランクフルト。アニメにこんな絵があります。これ、フランクフルト大聖堂だと思う。

画像提供:久世和泉さん

大聖堂の中は、こんな感じ

キリストさまと十字架
ステンドグラスが美しい。

この空間で、日曜日にはミサが行われます。誰でも入れるようで(私も入れているし)、さまざまな人種の方が大勢参加されていました。

荘厳としか表現しようのない空間

この建物の規模感、建物の写真だけでは伝わらないかもですね。。。

フランクフルトのランドマーク

こちらは、フランクフルト市街を見下ろすスポーツクラブから撮影した大聖堂です。大きさ、伝わるかなぁ?

間違えなく、ランドマーク

ドイツ滞在中、原稿仕事の合間にフランクフルト市街を散歩していました。方向音痴なので、すぐに迷子になるのだが、大聖堂という目印があることが安心材料でした。

大聖堂は、私のドイツ生活を見守ってくれた建物です。

楽器ケースを開けてみた ~今期はワーグナー~

久しぶりの楽器に、キュン!

楽器を触らないのは犯罪

楽器の練習というものは、1日でも休むと、3日分くらい後退するそーです。・・・って、これは、ガチで楽器を練習している人向けの話よね、きっと(と思いたい)。

とにもかくにも、18歳でビオラという楽器と出会ってからは、「楽器に触れる時間の確保」が、念頭から離れることはない。

そんな私なのに、ドイツには楽器を連れていかなかった。発想として、思いつかなかった

今、思えば、「手荷物として飛行機の機内持ち込みができたかもしれない」と、今さら後悔している(遅い)。

帰国して10日ほど経って、「日常」が戻ってきつつあります。そんな訳で、昨晩、楽器ケースを開けてみた。

楽器ケースを開けてみた

タイトルを「楽器を弾いてみた」ではなく、「楽器ケースを開けてみた」にしたのは、まんま、ホコリをかぶった楽器ケースを拭いて、楽器ケースを開けて、調弦をしただけだったから。

この1歩は、月面着陸するくらいの大きな一歩だと思う!(ドヤ顔)

今期はワーグナー

今期は、メインがチャイコフスキーの悲愴(6番)で、前プロがワーグナーのタンホイザー。全部の曲を弾くのは無理だから、悲愴とワーグナーで迷ったのですが。

泰次郎先生を偲んで、ワーグナーを選ぶことにしました。

前期のプロコフィエフは譜読みに追われまくって、先生とのレッスンでは「音階を弾く」といった基礎練習を全くできなかった。

今期は、基礎練習を、先生とゆっくりやってみたいです。

ドイツの「FKK」 ~裸を尊重する文化~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。

ドイツの、「FKK(エフ・カー・カー)」という文化は、ご存じですか? 今日は、私がFKKに触れたお話をしましょう。

フィットネスクラブのFKKエリア、休憩室にて

FKKって、何?

FKK(Frei Körper Kultur)とは、日本語訳をすると、「裸体主義」のこと。簡単に言えば、裸で行動する! といった意味合いの言葉です。

篤子さんから、初めてFKKという言葉を聞いた時は、とてもビックリした。曰く。

ドイツには、FKKという文化があるの。着ている物で人を判断しないといった考え方で、ヌーディストビーチなど、裸で過ごす場所がドイツにはたくさんあるのよ。

冒頭の写真は、スポーツクラブのFKKエリアの休憩室です。

FKKエリアだからといって、ずっと全裸でいる必要はなく、多くの人はサウナとジャグジーに入る時だけ全裸、そうでない場所ではバスロープやタオルを羽織っていました。

初日は、ビックリして胃痙攣になる

スポーツクラブに行った初日。篤子さんにFKKの説明を受けた後、「ちょっと、様子を見てみる?」と、FKKエリアの扉を開けてみると…。

目に飛び込んできたのは、全裸の欧米男性たち。。。え!? ありえない! 

夫以外の男性の裸を見てしまったなんて、夫に申し訳なさすぎる! ビックリしすぎて、胃痙攣になりましたヨ。

なぜ、私がFKKに再トライしたのか?

そんな私でしたが、結論からお伝えすると、ドイツ生活では、FKKエリアで多くの時間を過ごしました。

それは、なぜか?

FKKを初体験の日からしばらくして、日本人の異業種交流会で交わした会話がキッカケでした。

会話のお相手は、「ドイツで金融関係のMBAをとったので、金融一筋(★)でドイツで暮らしています」とおっしゃる女性。堅くて真面目そうで、親近感が沸きます。

★分権政治のドイツ。フランクフルトはドイツ金融の中心地です。

女性 : もうサウナには行かれましたか?
私 : 行ったんですけど、FKKにびっくりしゃって。
女性 : 最初はびっくりしますけど、すぐ慣れますよ(こともなにげ)

「えー、慣れるの??」と思ったし、何より、その堅くて真面目そうな女性が、「こともなにげ」といった雰囲気で話をして下さったことにショックを受けた。

カルチャーショックという言葉があるけれど、文字通り、単に私はカルチャーショックを受けているだけなのかもしれない・・・。

ドイツでは、ごく当たり前のことなのだ、と。「郷に入れば郷に従え」と言う言葉もあることだし、「ありえることなのかも」と、事象を捉え直してみることにしました。

FKKエリアデビューをしてみた

女性と話をした翌日、FKKエリアのジャグジーで、欧米男性と混浴デビュー。

「私、温泉に入っているお猿さんみたいだな」と思い、猿が洋服にこだわっている方がおかしい気がして、そこからはFKKエリアのサウナやジャグジーを使うことにしました。

FKKエリアのサウナは、新しく広々していて水風呂も使いやすかった。加えてジャグジーはFKKエリアにしかなかったので、「湯舟が目的でスポーツクラブに入会」した私にとっては死活問題!

FKKに慣れてみると、「アダムとイブがリンゴを食べなければ、男女は、こんな感じだったのかなぁ」と、のびのびとした気持ちを感じました。

窓の外は公園。

冬のヨーロッパは寒かった。

高層ビルも見える。

ジャグジーやサウナで身体を温めた後、公園越しに眺めたドイツの高層ビル群の景色。こうして日本でブログを書いていると懐かしいです。

篤子さんの原点 ~寿司 am main~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

現オーナー夫妻と篤子さん

寿司 am main

篤子さんが、起業をしたのは29歳の時。当時、ANAの正社員としてフランクフルトで働いていたが、「同じことを繰り返す毎日に、飽きていた」と。

そこで山ちゃん(★)に声をかけて、二人三脚で飲食店をスタートした。

この記事の「パリのお店の責任者は、山ちゃん」をクリックすると写真があります。

最初3年間は、ANAを続けながら、二足の草鞋でam mainを経営していた。

「am main」とは、ドイツ語で「マイン川のほとり」

マイン川はフランクフルトを象徴する川である。(写真は、wikiさまから拝借しました)

昨日のブログで、「フランクフルトは、高層ビルと古い街並みの街」と表現した。

この写真だと、それがよくわかる。・・・って、同じ画角の撮影スポットを、何回か通っていたのに、自分で撮影して来なかったことが悔やまれる。

瓦礫の中に、山ちゃんが姿を現した

山ちゃんと手作りした店内

本の取材で、篤子さんは起業当時を「瓦礫の中に、山ちゃんが姿を現した」と表現していた。

パリに行った時に、山ちゃんは、「トラックで材料を買ってきて、お店の内装を手作りした」と、言っていた。

それぐらい、一から手探りで作ったお店が、篤子さんと山ちゃんの1号店である「寿司 am main」なのだ。

照明器具に個性を感じる

お店に一歩足を踏み入れると、「確かに、ここは篤子さんが作った空間だわ」と感じた。

お寿司屋さんだというのに、インパクトのあるシャンデリアを中心に持ってくるあたり、篤子さんテイストを感じる。

店内はインテリアを含め、創業当時と全く変わっていないそうだ。

上記の写真だけ見ると、ここがお寿司屋さんだとは思わないよね。。。後年、篤子さんがパティスリーを開店するのは、DNAレベルで必然だったのかもしれない。

スタッフの方と写真を撮る篤子さん

まきまきのママ友は、「フランクフルトでお寿司を食べるなら、アムマインだよね」と言っていたそう。それだけ地域に根付いたお店に育っているんだと思う。

異国の地で見上げる空

お店の入り口

寿司 am mainは、地下にある。

取材を終えて、地上に上がる階段を上っていると、空が見えた。

30年前の篤子さんは、異国の地で、この空を見上げながら、何を考えていたのだろうか? (こう書いておいて、「悠長に空を眺める余裕はなかった」に一票。)

今は、どこから見ても、ピッカピカの成功者に見える篤子さん。

本の取材を通じて、その成功は一筋縄ではいかなかったと感じた。

篤子さんは、どの工程(行程)も心から楽しんできたから、「苦労」とか「失敗」という言葉とは違うのだが、「うまくいかないこと」は、たくさんあった。

本では、そんな部分も、書き込めると良いなと思う。

高層ビルと古い街並み ~フランクフルトを車で回る~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

全10話のパリ滞在記が終わり、舞台は、フランクフルトに戻ってきました。

パリ滞在記の初回は、コチラ。

篤子さんは、飲食店事業と不動産事業を営んでいます。この日は、篤子さんが持っている物件を見せてもらうため、車でフランクフルト市内を回りました。

古い街並みと高層ビル その1

フランクフルトって、どんな街?

フランクフルトは、ドイツの金融の中心地。古い街並みと、金融機関のピッカピカの高層ビルが混在する、不思議な景色の街です。

高層ビルが映り込む

このエリアは、フランクフルトの高級住宅地。古い家並を撮ろうと思っていても、高層ビルが自然と映り込んでくる…笑。

この方角なら、どうだ?

この方角だと、ようやくヨーロッパの街並みっぽいかしら? 空が曇天だと、ヨーロッパらしい色使いの建物も映えないわね。

1月のドイツの空は、ずーっと曇天でした。

素敵なマンション

素敵なマンションを見ると、「どんな暮らしをしているのかな?」って、ワクワクする! 

このエリアには、篤子さんが海外進出した1号店である「寿司アムマイン」があります。(「寿司アムマイン」の話は、次回

持ちビルでお店をする。が、お好き

ダムさんは、「持ちビルで篤子さんがお店をする」のが、お好きだそう。不動産を購入する時は、「ここで篤子が、店ができるか」が判断材料の一つになるのだとか。

オーナーは篤子さん

この店舗物件、以前は篤子さんがお店をやっていたが、今は、経営者は別の人でオーナーだけ篤子さんがやっているそうです。

ラーメン屋さんよ!

行った時間帯は、残念ながらお店の営業時間帯ではなくお店の中に入れませんでした。

お店の外に、Japanisches Ramen とある。写真を見ているだけで、お腹がグーとなってきました。(これを書いている只今、お昼前です)

この店舗のあるビルの上は、アパートになっているそうです。

このポストの数だけ、アパートを持っている

このポストの数だけアパートを持っているって、すごいよね!

インドア派は、ドイツでもインドア

こうして日本で画像を見ながらブログを書いていると、「ほんっとに、ドイツでインドアライフを送っていたなぁ」と思う。

「プライベートの旅行」で行ったならともかく、今回は「仕事かつ暮らす」だったからね。。

そうなると、ワタクシは「日本での生活スタイル」を踏襲してしまうということが、良くわかった。

ドイツでの行動範囲が、ほぼ、篤子さんの自宅エリア(800平米ある!)と篤子さんと一緒に行くスポーツクラブだけだった件。

それで日本に帰ってきても、「〇〇に行っておけば良かった」的なことは一切思わない。「生粋のインドア派が海外に行くと、こーなるのね」という事例紹介として開陳しておきます。

ダムさんのお迎え ~パリ滞在記⑩・fin~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

篤子さんがパリに持っているお店は、3店舗。「たから」と「空海」と「たから抹茶バー」です。たからのHPは、コチラ。

月に1回くらいのペースで、篤子さんはパリのお店のスタッフに会いに行きます。そんなパリ行きに、同行しました。パリ滞在記①は、コチラから。

駅までダムさんが車でお迎え

ハグをする二人

パリ出張中、毎日、ダムさんから篤子さんに「篤子がいなくて、寂しいよ」と、電話がかかってきていた。

そして篤子さんがフランクフルトに帰る日は、本当に嬉しかったらしく・・・。

ダムさんは、列車が到着するホームまでお迎えにいらしていた。

列車がフランクフルトに到着するまでも、「列車のフランクフルト到着は、時間通りだよね? 僕は駅のホームまで行っておくから」などと、何通もメール入る。

2泊3日、離れ離れなだけなのに、どんだけ待ち遠しいのだろう? と、微笑ましい。

ヨーロッパの人は、おしなべて〇〇である

ドイツでは、子供がギムナジウム(高校生くらい)になると、ステップファミリーが多くなるらしい。

まー、なんというか、「愛情がなくなったら、お別れする」みたいな文化?

反対に言えば、「お互いに大切なパートナーであり続ける文化である」とも言えるのではないか?

ヨーロッパは、おしなべて、パートナーシップや愛といったことが、日本に比べて尊重されている社会な気がした。

恋愛体質全開の友人と会うと、毎回、「頭、大丈夫?」と思うけれども、彼女はヨーロッパに移住したら、今より満たされるのではないか? などと感じた。

話がとっちらかってきましたので、篤子さんに話を戻し。

仲良しカップルは、微笑ましいね!

仲良しカップルというのは、見ていて微笑ましいものですね。

見とれてしまって、二人と距離が開いてしまったではないか!

二人が遠くにいっちゃったよ!

この後、慌てて追いかけましたとさ。(追いつきました!)

パリ滞在記は、これにて終わりです!

親が、倒れた。初動は、どうする?ポイント4つ

オヤトリドリさんに寄稿した記事が公開となりました。

アラフィフ世代に響く記事がたくさん!

先日、近所のママ友と、我が家でお茶会をしました。かつて、同じメンバーで繰り広げていた話題の中心は、「子供のこと」。

でも、今は、介護の話ばかりをしています。

「40代、50代といったマチュア(成熟)世代の気分にあった媒体様がない!」と、思っていました。

「素敵」とか「若い」とか、そういった「キラキラ方向のベクトル」に向かって頑張る気分でもないし、その必要もない……と思うのは、私だけ?

人間として、年を積み重ねていきたい。

そう考えると、真っ先に気になるのは、老いた親のこと。そして、そこを入口にして、「自分が老いる」ということにも、向き合っていきたい。

そんな気分にフィットした媒体様に記事を寄稿できて嬉しい!!

オヤトリドリさんでのお仕事を通じて、私自身が、学び、考え、成長していきたいです。

たから抹茶バー ~パリ滞在記⑨~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

篤子さんがパリに持っているお店は、3店舗。「たから」と「空海」と「たから抹茶バー」です。たからのHPは、コチラ。

月に1回くらいのペースで、篤子さんはパリのお店のスタッフに会いに行きます。そんなパリ行きに、同行しました。パリ滞在記①は、コチラから。

パリに住むフリーランスの方々

2日目の夜は、パリに住む日本人の方が篤子さんを訪ねていらした。フランクフルトでも感じたことだけれど、篤子さんは多くの「現地の日本人」に慕われている。それは、パリでも同じこと。

パリでフリーランスのお仕事をされている方々

この方たちは、パリでフリーランスでお仕事をされているそうです。女性の方が、「たから」のお客様としていらして、以来、仲良くされている御縁だとか。

「たから」抹茶バーは会員制

「たから」抹茶バーは、「たから」の離れのような存在です。冒頭の写真では、伝わりづらいかもしれないけど、しっぽりとした離れのような空間です。

たから抹茶バーの外観

よく見ると、入口に看板が出ている。

紺に白の配色って、「ニッポン」って感じ

宝 会員制 倶楽部

おお、すごいな! 会員制ですか。私は、パリの会員制のクラブの会員なのだろうか?(違)

外国にいる日本人の話に興味津々

鍋を囲んで話し込む

この日、私が印象に残ったのは、「習い事」の話。

日本は、何かを習いたいと思ったら、たくさんの選択肢がある。

けれども、パリには、「余暇活動の一環として気軽に何かを習う」みたいなカルチャーがないんだって。

えーそうなんだ。。日本だったら情報が溢れかえっているけどね、と、驚いた。

外国に住むということ

冒頭のお二人は30代の後半でパリにいらして、かれこれ十数年住んでいらっしゃるそう。フランクフルトの日本人会でも驚いたけれど、(駐在ではなく)御身ひとつで海外に出て、そのまま住んでいる日本人の方って、私が思っていたより断然、多いと思う。

今回のドイツ暮らしで、「外国に住みたい!と思う人は、一定数いる」ということを知った。

そうした方々は、気軽に他国を飛び回っている御様子。

今回、フランクフルト(ドイツ)からパリ(フランス)に行くにあたり、パスポートを持って行ったけれども、誰からもチェックされることなく、私はフランスに入国できた。(地続きだし)

島国・日本に住んでいると「外国」は一括りで、「とても遠い場所」って感じ。

けれども、「私が思っているよりも、『外国に行く』は気軽なことなのではないか?」なんて気分になっていました、パリにいる時は!(←ここが重要。笑

奨学金のプロによる「大学進学とお金」の話

マネー分野の中でも、とりわけ奨学金は、情報のアップデートが激しい分野です。情報戦で勝ち抜くために必要な話を、奨学金分野に詳しいファイナンシャルプランナーの新美昌也(にいみ・まさや)さんが連載します。

そのご案内を頂きましたので共有します。

日経ヴェリタス 家計の金融「大学進学とお金」

・第1回 2月18号 大学進学費用

・第2回 2月25日号 教育ローン

・第3回 3月3日号 日本学生支援機構以外の奨学金

・第4回 3月10日号 日本学生支援機構の奨学金(1)

・第5回 3月17日号 日本学生支援機構の奨学金(2)

なぜ、新見さんは奨学金のプロになったのか?

ファイナンシャルプランナー業界では、「奨学金といえば新見さん」というイメージが定着しています。

それは、なぜか? 新見さんのプロフィールを見てみましょう。

新美昌也(にいみ・まさや)ファイナンシャル・プランナー。国家試験予備校、保険代理店勤務を経て独立。奨学金を活用して高校、大学を卒業した自身の経験を踏まえ、のべ1,000校以上の高校で「大学進学費用と奨学金制度」の講演会や相談会を開催。中大法卒。

そう。新見さんは、ご自身も奨学金を活用して高校、大学を卒業した経験があるのです。

その時代の話を私が取材させて頂いた記事は、こちら。

父の借金で母と夜逃げ 新聞奨学生で大学まで行ったFP新美昌也さんが伝えたい「未来あるお金の話」

新見さんは、「どうすれば、奨学金の情報が、それを必要としている人に届くのか?」と、おっしゃいます。この情報が、「必要としている人」に届きますように!

えじそんくらぶ設立25周年記念講演会座談会 

多くの方が参加された座談会を、アーカイブで視聴できるご案内を頂きました!

参加費は、無料です。

1990年代から発達障害の分野で発信されていらしたレジェンドである田中康雄先生を初めとして、長らく発達障害の分野を牽引されてきた高山先生ならではの人脈は、圧巻だなぁと感じます。

是非、この機会をお見逃しなく! (配信は、3月1日以降を予定しています。)

【アーカイブ配信をご希望の方】

ご案内・お申込み:https://2024020302edisonclub.peatix.com/view

<申込期限>  2024年2月27日(火) 午後23時まで

なぜ、私は楽天モバイルの最強家族プログラムにしたのか?

携帯料金は、安くなる。そう知ってはいるものの、最初の一歩が踏み出せなかった私(54歳主婦・機械アレルギー)。そんな私が、重い腰をあげて携帯料金月額880円を達成するまでのルポ。

ヤマダ電機LABI吉祥寺 楽天窓口の白木さん

きっかけは、携帯の不調

ドイツから帰ってきて、携帯が不調だった。原因は明らかで、海外ローミング(海外で使える仕様にしたこと)。でも悲しいかな、海外ローミングを国内仕様に戻す方法がわからない。

そこで、ヤマダ電機LABI吉祥寺に行くことにした。吉祥寺には楽天モバイルの店舗がいくつかあるが、場所によっては混雑していて順番待ちのことも多い。けれども、ヤマダ電機LABI吉祥寺だと、楽天カウンターが2Fにあるせいか空いていることが多いのだ。

最強家族プログラムで月額880円(税込968円)

私の携帯設定を戻す操作中、窓口のお兄さんは言った。

楽天も家族割ができて、通信代が月額880円になるんですが、ご存じですか?

内心「セールストークはいいから、携帯、直してぇ」と思い、話を聞き流していた私。

けれども、お兄さんが、いろんな設定を試したり確認しながら、晴れて「電波がキャッチできる状態」をゲットしてくれた瞬間、「窓口のお兄さん」の株は急上昇!!!

え? 携帯料金、安くなるんですか?

「窓口のお兄さん」の話も耳に入ってくる。おばちゃん、正直ね・・・。

「窓口のお兄さん」は白木さんといい、私でもわかるように説明してくれたプランは下記。

楽天モバイルのプランは色々あるが、赤いアンダーラインを引いたプランの場合が880円となる。拡大してみよう。

私の現在の携帯料金は、1,078円(税込)。それを家族割にすることで、880円(税込み968円)を目指す。そのためには、何が必要か?

【結論】
① 夫が最強プランに入る。
② 夫が最強プラン加入後、家族割引を適用する。

この2点をクリアすると、私の携帯料金は月額880円になる。(ブログ最後の「私のデータ利用量」も参照下さい)

夫にダメもとで、「携帯を楽天にしない? 3GBまでなら、家族割を使えば月額880円なんだよ」と相談してみると。あっさりと、「いいよ!」と。

え? いんですか? よっしゃ!!! 

ヤマダ電機LABI吉祥寺に電話をして、白木さんを呼び出してもらい、夫がとるべき行動を教えてもらった。

携帯の乗り換えは、2工程

携帯の乗り換えは思ったよりもシンプルで、次の二つ工程で完了だ。

ステップ1 MNP(予約ナンバー)をチェック

MNPとは、(モバイル・ナンバー・ポータビリティ)の略で、携帯の番号を持ち運びするための番号だ。

これがないと、電話番号を次のキャリアに引き継げない。

MNP(予約ナンバー)は、それまで使っていた自分の携帯会社で確認をする。

ちなみに、夫はフリーテルだったので、マイページで確認をすることになる。マイページに入るには、「メールアドレス」と「パスワード」が必要だが、パスワードは再設定が可能。

ステップ2  MNP(予約ナンバー)をチェック

MNPが把握できたら楽天窓口に行って、諸説明を聞いた後、契約。思ったよりシンプルで驚いた。

「契約する時に、窓口で待つのが嫌なのよね」ということであれば、予約をしてからいくのが正解。

予約は、電話とネットで可能だが、すぐに行きたい場合は電話の方が早い。(枠をすぐ見てもらえるから)

多くの携帯会社は量販店での予約を受け付けていないが、楽天は量販店でも予約ができる。(白木さんのような、これぞ! という担当者が見つかった場合は便利)

量販店の大代表に電話をして、「楽天の窓口の方、お願いします」と言えば繋いでもらえる。ちなみに、ヤマダ電機LABI吉祥寺の大代表電話番号は、0422-70-3851。

紹介された人に13000ポイントプレゼント

楽天モバイルへに興味が沸いた方に、おすすめしたいことがある。今、楽天モバイルでは、最強プランの紹介キャンペーンをやっている。

コチラを経由して最強プランに申し込みをすると、楽天ポイント13000プレゼント!

上記をクリックすると下記の画面が開くので、楽天会員にログイン、楽天会員でない人は新規登録後、楽天モバイル紹介キャンペーンページに移行する。

まずは、このブログを夫に送って、申し込みをしてもらおうと思う。

(おまけ)私のデータ利用量

ちなみに、私のデータ利用量は、こんな感じ。ほぼ、使ってないやーん!

※3GBまで1,078円(税込)、20GBまで2,178円(税込)、無制限3,278円(税込)

「たから」の賄(まかない)を食べる ~パリ滞在記⑧~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

篤子さんがパリに持っているお店は、3店舗。「たから」と「空海」と「たから抹茶バー」です。たからのHPは、コチラ。

月に1回くらいのペースで、篤子さんはパリのお店のスタッフに会いに行きます。そんなパリ行きに、同行しました。パリ滞在記①は、コチラから。

賄(まかない)とは、スタッフの食事

篤子さんと一緒に行動するようになって、「賄(まかない)」という言葉を頻繁に聞くようになった。

この日はカレー

賄(まかない)とは、スタッフさんが作る、スタッフさんのための食事。「ザ★飲食店の裏側」って感じのワードよね。

賄を食べながら予約の確認をする
篤子さんも賄の輪に入って
わいわい、がやがや楽しいね!

カウンターの内側に入ってみた

裏側ついでに、カウンターの内側や厨房、そして、スタッフの着替えする場所や休憩室なども見学させてもらった。

カウンターの内側に入る篤子さん
な~んか、「様」になっているよね。

社長の風格の篤子さん。

表舞台は、こんな感じ

お客様をお迎えする直前の客席。神聖な緊張感が漂う。

浮世絵が飾られた「たから」の店内」
浮世絵、浮世絵。

店内の、そこかしこに浮世絵が飾られてある。そうか~、日本って、そんなイメージなのね。

この日は、昼(12時~3時)だけで、50万円以上の売り上げがあったそう。そんな日は、社長がシャンパンで乾杯していた。楽しそう!

寿司屋用語の「あにき」とは?

「あにき」とは、古いもの。AとBのタッパーがあったとして、Aのタッパーに入っているものの方が古かったら、「あにき」と呼ぶ。こうして、新陳代謝に気をつける。

これって主婦業にも使える技よね。私も家庭内に「あにき」という言葉を流通させよう!

帰国しました。

昨日の夜、日本に帰国しました。

お名残惜しかった。

昨日の夜、帰宅しました。

写真は、フランクフルトの空港まで見送りにきてくれた篤子さん、まきまき、アリーチェと、飛行機に乗る際、お別れする最後のショットです。

2日ほど前の話なのに、遠い昔な気がする・・・。きっと、ドイツ滞在は非日常な体験だったのだと思う。写真をたくさん撮影してきたので、ブログにあげるのが楽しみ!

【結論】当面は、ドイツ滞在記が続きます。

日本人であるということ

飛行機の窓から見えた富士山

1か月だけど、「外国に住んでみる」という体験をして、「自分が日本人であるということ」を省みることが多かった。

いつもだったら、ぼんやり聞き流す機内アナウンス「富士山が見えます、的なやつ」、わざわざ立ち上がって、飛行機の後方に行って写真を撮ってみた。

今日は荷物の解体や、溜まっていた郵便物の処理、それから水回りの掃除(笑)をしています。

日本⇒ドイツに身体を移動させた時は知恵熱が出た。

ドイツ⇒日本の移動は、ゆっくり落ち着いて着地させていこうと思う。

パリのアパートと周辺散歩 ~パリ滞在記⑦~

ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。

篤子さんがパリに持っているお店は、3店舗。「たから」と「空海」と「たから抹茶バー」です。たからのHPは、コチラ。

月に1回くらいのペースで、篤子さんはパリのお店のスタッフに会いに行きます。そんなパリ行きに、同行しました。パリ滞在記①は、コチラから。

パリのアパートは築300年

篤子さんは、「たから」から徒歩1分くらいの場所に、パリ滞在用のアパートを借りている。ちなみに、パリには「所有」しているアパートもある。どんだけ?

アパートの螺旋階段には、ベルベットのじゅうたんが

このアパート、入口からして雰囲気があって素敵です。ご案内、致しましょう!

大きな扉を開けると・・・。

道に面した大きな扉を開けると、まずはテラスが広がっています。(下記)

下記写真で、向かって左側はホテルです。いわばホテルの中庭を通って、アパートの入り口に到着するのです。

中庭は、通るだけで楽しい気分に。

建物の入り口に到着!

あかりが、素敵!

お部屋はこんな感じです。3部屋とキッチン、パス・トイレ付。

古い建物なので、各部屋に暖炉がある

詩人モリエールの像

フランスの教科書に必ず出てくる、詩人のモリエール。ドイツで言えば、ゲーテのようなもんかな? 

そのモリエールの像がある通りに、篤子さんのお店やアパートはある。

モリエールの像

こういうのが出てくると、いきなりヨーロッパって感じよね。パリは一度も戦争の襲撃を受けていないので、古い街並みが残っていて、そこも、ザ★ヨーロッパって感じなんだけれども。

パリのスーパー・モンプリを懐かく感じる

こちらは、パリのスーパーでござんす。日本で言えば、西友みたいな感じ? 食料品や日用品を買う場所です。

もんぷりの入り口で。

実は、一昨年、フランスの「ランデ村」を取材した際、10泊ほど滞在した宿はパリでした。その時のお宿は、このすぐ近くで、最寄りのスーパーが、モンプリの、この店舗。

ゆえに、パリの街並みを見て、「懐かしい・・・」と感じた。

そんな自分に驚く。なぜなら、前回は「火星と同じ」くらいパリが遠かったから。

最後に海外旅行に行ったのは、1998年頃。そもそも、海外旅行には全く興味がなかった。

長男は2000年生まれで、21世紀の大半を子供を3人産み育てることに費やしていた私は、1990年代(20世紀)は、「前世」レベルに遠い話。

だから、海外に行くということが、私にとって、ものすごおく「事件」だったんです。それが、今では1か月も住んでいるんだもんね。驚きです。