主婦erに遊びにいらして下さっている皆様へ
金曜日、月曜日と無断欠席、失礼しました!
只今、ドイツ本の初稿締め切り直前です。
今週一杯は、ドイツ本にかかりっきりとなりそうなので
主婦erをお休み致します。
来週の月曜日にお会いしましょう!
ドイツ本を書くために、ドイツに到着した日のブログは
コチラ。
主婦erに遊びにいらして下さっている皆様へ
金曜日、月曜日と無断欠席、失礼しました!
只今、ドイツ本の初稿締め切り直前です。
今週一杯は、ドイツ本にかかりっきりとなりそうなので
主婦erをお休み致します。
来週の月曜日にお会いしましょう!
ドイツ本を書くために、ドイツに到着した日のブログは
コチラ。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
2か月余りに渡った「ドイツ滞在記」も、今回が最終回です。最後は、私のドイツ生活のスケッチをしてみましょう。
ドイツから帰国して1か月とちょっと。夢に出るほど、「食べたい!」と思うのは、IIMORIのタンタンメンです。
ドイツでは、ほとんどドイツ料理を食べることはなく、美食の毎日でした。一生分の美食をしたと思う。
4キロほど太った体重は元に戻っていないので、これを書き終えたらスポーツクラブ申し込みに行く所存。
滞在していたお部屋には、常に猫ちゃんが複数滞在してくれていました。
猫の定員は1名です ~私は、犬が飼いたい~ と、かつては言っていたのに、ドイツから帰国したら、「猫を多頭飼いするのもアリかも」と、思い始めている。
夫にそれを伝えると、以前から猫を増やしたい派だった夫はイソイソと「息子たちが全員巣立ったら、黒い猫を一匹お迎えする妄想」をスタートしている。猫の名前はクロというところまで決まっているらしい。(後には引けない)
猫繋がりでいえば、篤子さんの家では、常に猫に食料が狙われていた。猫に食べられないように食事を避難させながら食事をするワタクシ。
ゲスト用のトイレは、こんな感じで遊び心に充ち溢れていました。最後にお掃除をした時に、パチリと撮ってみた。
この絵は、10年ほど前に篤子さんが描いた未来予想図。いちいち写真に撮ってはこなかったものの、ここに描かれているアイテムは、ほぼ飯守邸にありました。
どういうことかと言うと、この絵を描いた瞬間は手に入れていなくとも、ものすごく具体的なイメージがあるから、出会った瞬間に、「これだ!」って、わかる、みたなノリだそうです。
あまりにも全く同じものがある加減は、軽くホラーでした。
こちらは、結婚式の時の、ダムさんと篤子さん。篤子さんは、人生が投げかけてきた問いに、イエスと言い続けてきた人。篤子さんが貸してくれた本のまんまですが。
そんな篤子さんが人生をかけて学んだエッセンスを皆様にお届けできるよう、今後は本の執筆に注力したいと思っています。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
ゲーテは、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテというのが正式名らしい。1749年~1832年(82歳没)頃に生きた人。
私的には、シラーとゲーテがセットで、ロマン主義の源泉というイメージです。
クラシック音楽が好きなら、ドイツ・ロマン主義は避けては通れない命題なのですが。この方のブログの「ドイツ・ロマン主義の誕生と歴史」は、好みの文章! 私も、この階層まで潜って、ゴリゴリと文章が書きたくなる。。。
De。
ゲーテが、「実際に存在したんだ」ということに触れたかった私は、今回のドイツ滞在中、「行きたい!」と思った唯一の場所が、ゲーテの生家でした。
フランクフルトの観光名所は、①レーマー広場と②フランクフルト大聖堂と、今回の③ゲーテの生家。どこも篤子さんの自宅から徒歩圏内です。
冒頭の写真の建物がゲーテの生家ですが、道に面した入口からは入れません。隣に作られた記念館(新しくてオシャレ!)から入って、中庭を通って、この入口に辿り着きます。
ここからは、うろ覚えで書いています。「写真は、イメージです」くらの情報精度だと思って頂いて差し支えありません。(どーなのよ!)
この時代の西洋人にとっては、東洋の文化は神秘的で憧れの対象だったようです。シノワズリ(中国趣味)のインテリアも、好まれていたらしい。あくまで、中国”風”なことがポイントです。
シノワズリと似た概念として、ジャポニズムがある。ジャポニズムといえば、ゴッホです。
話がそれちゃうので、これで終わりにしますが、ゴッホのジャポニズム関連の絵としては、これが有名です。バックの絵は全部、浮世絵です。(一昨年、オランダにあるゴッホ美術館に行った時の話も、いつかブログに書きたい! と野望を述べておきます)。
話をゲーテに戻し。
古楽器の定義はよくわかりませんが、ゲーテの家にいくつかの楽器が置いてあったのは事実です。多分、古楽器と呼んで差し支えないのでは? 私が古楽器の演奏会に行った話は、コチラ。
ゲーテは、あの時代の人にしては長生きで、82歳まで生きました。この肖像画は、多分、70歳くらいの時のものです。
ゲーテの生家には、いろいろな国の言葉で書かれた「館内の説明図」が設置されています。。プラスチック加工がしてある紙なので、持ち帰れはしません。
館内を歩きまわる時の心強い手助けにはなり、その時の記憶をもとに、1か月半が経過した今、「多分」を連呼しながら、写真をアップしている次第です。
ゲーテの生家は、「生家本館」ともいえる、もともとの家と、隣に新設された記念館(ミュージアムエリア?)みたいなものの二本立てです。
ミュージアムエリアの入り口は、下記。ゲーテの生家の入場券も、こちらで購入します。
このミュージアムエリアには、ゲーテの時代の絵画が「これでもか!」というくらい飾ってあります。
そして、ロマン派の音楽を楽しめる仕掛けなどもたくさんあります。
見学する時間の比率でいえば、私は、「生家:ミュージアム=1:2」くらいでした。
生家だけでも見ごたえあるから、「キャー! これがゲーテの〇〇なのね」などと心のエネルギーを使っていると、ミュージアムまでエネルギーが持たないかもしれません。
【結論】ゲーテの生家は、半日くらい時間をとっての見学をお勧めします。
フランクフルトの観光名所は、①レーマー広場②フランクフルト大聖堂③ゲーテハウスと冒頭に書きましたが、①②はサラッと通って雰囲気を楽しむ場所で、③はガッツリと見る場所って感じです。(楢戸調べ)
ゲーテの自画像としては、この絵が有名です。ミュージアムの奥地に鎮座されていました。
この絵の実物を拝めただけでも、行った「かい」がありました。
が、しかし。
我々にかかると、ゲーテ自画像も、こんな感じになります。
篤子さんと一緒にいる時の、バカバカしいノリ(誉め言葉です)、懐かしいな~。
ちなみに、篤子さんは、「ゲーテの生家」を「ゲーテの”なまいえ”」と発音しており、この原稿を書く時には、私も心の中で「ゲーテの”なまいえ”」を連呼させて頂きました。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
レーマー広場はフランクフルトの随一の観光スポット。篤子さんの家から徒歩3分くらいのところにあります。レーマー広場に行った日の話は、コチラ。
黄色い⇒のあたりがレーマー広場で、「篤子さんの2号店があった場所」が紫の⇒のお店。
そう、フランクフルト隋一の観光地に、篤子さんは2号店を出したのです。
ちなみに今は、ハンバーガー屋さんになっている。(下記参照)
お店の中の造りなどは、当時のまんま。ということなので、お店に行ってみた。
ハンバーガーを頼んで。
こういうのが、「ドイツ料理」って感じなのかしらん?
しばし、店内に佇む。
篤子さんは、私のことを、他人様におどけて「おばけ書き屋」(ゴーストライターの日本語訳)と、紹介してくれたことがある。
篤子さんになりきって、本を書くっていうことで、ドイツでは「篤子コーデ」で生活をしている日もあった。(シックなものを選んでくれた)
おばけ書き屋と致しましては、篤子さんが、「どんな気持ちで、ここにいたんだろう?」などと、ここでお店をしていた頃の篤子さんに思いを馳せてみたりした。
篤子さんは、「今を生きる女」だから、将来のことを心配したりすることはなかったんだろうと思いますが。
「4年に一件は何かしらの新事業をスタートしてきた」と篤子さんは言っていた。
今、このお店は、見ての通りのハンバーガー屋さん。
今、篤子さんは、いくつかの人気店のオーナーさんだけれども、その道中には、「思うようにいかない店舗経営」もあったと思う。
ブログは、明後日が最終回。
本を書くためのデータ整理も終わりつつあり、いよいよ本の執筆に入るフェーズ(局面)となっている今週、月曜日の朝でした。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
2月の上旬の3日間、篤子さんの家の前の道でカーニバルのパレードがありました。
冬のヨーロッパは、曇天が続きます。だから、春の訪れまで、あと一歩かかる2月に、みんなでお祭り騒ぎをするそうです。
パレードが通り終わった後の道。飴を投げているんだから、そら、こうなるよね。。。
すると・・・。
すぐさま、清掃車が出動!
この車が通った後も、別のタイプの清掃車が数種類くる。なんつーか、徹底的に掃除するのよね。
その様子は、見ていてスコーンという爽快感がありました。
私も、掃除マニアなところがあるので、ドイツの徹底的な掃除に共鳴しかない。
パリに行った時に、「フランスは上を見ていれば美しいんだけれども、足元はねぇ」と現地の日本人の方がおっしゃっていた。
流麗な建物が数多く残るパリは確かに目線のあたりは、とれびあーん。(あってる??)
けれども、足元はゴミだらけなのよね。。。。
フランスとドイツ、掃除に関していれば対照的な二つの国の話でした。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
昨日、篤子さんの母校であるドイツの修道院に行った話を書きました。「修道院に行く前に、サウンドオブミュージックを皆で一回見よう!」と、篤子さん。
サウンドオブミュージック、もちろん見たことはあったけれど、それは遠~い昔。
けれども挿入歌っていうの? あの映画は、ミュージカル仕立てだから、歌がたくさん出てくるけれど、その歌、全部、「あ、聞いたことある~」って感じだった。
意外と覚えていて、だいたい歌えるものね・・・。
篤子さんの話を聞いていると、「篤子さんは、家を借りたり、買ったりすると、カーテンを縫う」という習性がある気がする。
自分の陣地になったら、カーテンだ! みたいな??
サウンドオブミュージックの中で、マリアが子どもたちの服をカーテンで作る場面があるのだけれど、それと関連しているんだろうなーって、うっすらと思った。
「自分が住みたい!」「手にいれたい!」と思う物件というのは、愛を注ぐ対象なんだと思う。愛を注ぐ対象を見つけると、カーテン生地で裁縫をしたくなる? みたいな???
こうしてブログを書いていると、ドイツでの毎日は、いつも篤子さんの遊び心と一緒だったなぁ~と思う。いわば篤子ワンダーランドの住人だったってことだな。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
篤子さんの人生を決定づけたものを挙げるとすれば、「サウンドオブミュージック」と「ドイツの修道院」。今日は、そのお話を書きましょう。
冒頭の写真は、ご自身が卒業したドイツの修道院の庭で、「サウンドオブミュージックのマリア」として歌って踊る篤子さん。
篤子さんの脳内で再生されている映像は、コチラです。
篤子さんが、「(それがあったら)素敵じゃない?」を全力で創り上げている話は、前回、書きました。
篤子さんは、「サウンドオブミュージック」を人生で初めて見た時、「あれが、私の人生だ!」と思ったそうです。
サウンドオブミュージックの主人公のマリアは、修道女です。だからといって、ドイツの修道院のフィニッシングスクールに辿りついている篤子さん、さすがすぎる。。。
【フィニッシングスクールとは?】
フィニッシングスクールWikipedeiaより抜粋
おもに『未婚の女性』を対象とし、ヨーロッパ社交界や王侯貴族・資産家・財閥家などの子女が婚姻するまでの間に、礼儀作法や教養などエッセンス的に教育を受ける機関。
なぜ、篤子さんが、ドイツの修道院を卒業したのか? は、本をお楽しみに!
フランクフルトから車で2時間半くらいの場所、シュトゥットガルトに、篤子さんが卒業した学校があります。ダムさんの運転で連れていってもらいました。(取材者の特権!)
学校の名前は、「マザーズハウス」。HPは、コチラ。
修道院といっても、清潔で簡素な現代風の建物です
日曜日の礼拝は、一般の人に解放されているので、私たちも参加しました。礼拝中は写真が撮れなかったので、終わった後の様子です。
ホールは広くて二階席まであります。
誰でも歌えるように、讃美歌集が椅子においてある。
礼拝が終わった後は、数種のケーキと飲み物がふるまわれます。(無料)
シュトゥットガルトの近所に住む、篤子さんの幼馴染の方もかけつけて下さいました。
左端の方です。日本に伝道活動でいらした牧師さんの娘さんなので、日本育ち。日本人と同じレベルで日本語でおしゃべりされていました。
例) 「今晩、麻婆豆腐作りたいんだけど、どう作るんだっけ?」と、日本語で篤子さんに質問していた。
ちなみに、この女性もマザーズハウスの卒業生です。
De。
簡素で美しいドイツの建物、めちゃ好み~!!!! しばしお付き合い下さい。
篤子さんが在学中からいる修道女さんとパチリ。
制服は設立当初から変わっていない。
クリスタ・フォン・ヴィーバーン(1873-1955)さんは、シュトゥットガルトで聖書研究をする若い女子のグループを生み出しました。やがて、神の助けを得てマザーハウスを建てたのです。
Deaconess Motherhouse Aidlingen e. V.のウェブサイトより抜粋。
篤子さんは、修道院を卒業する時に「修道女になりたい!」とシスターにお願いしたが、「あなたには、別の道がある」と言われたそう。
ある時、「篤子さんの修道院時代の友達」の話~修道院時代、休みの時にドイツに実家がある友達に誘われて実家に遊びに行ったことがあるみたいな話~になった時に、「そういえば、その子も、数百人を束ねる起業家になっているわ」と言っていた。
ホリエモンが、「『起業って何をすればいいですか?』ってよく聞かれるんだけど、『世の中の”不”に着目すれば?』って答えている」って言っていた。
不便、不平等、不合理…。そういったことを解決するのが、起業なのかもネ! そう考えると、一見、何の関連性もなさそうな、「修道院と起業」は、近い部類の話なんだと思う。
少なくとも「愛の卸売り問屋」を自称する篤子さんのビジネスのスタイルは、修道院での体験がベースになっているんだと感じた。
篤子さんがキリスト女子になったのは、パパが敬虔なクリスチャンだったから。そんなパパの写真は、なかなかのインパクト!
篤子さんのパパのバイオリン演奏を拝聴した日の話は、コチラ。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
男性だとシェフ、女性ならばシェフィン。
篤子さんは、従業員さんからシェフィンと呼ばれています。「お店に置いて、お客様をお迎えするの~」と、篤子さんがシェフィン人形を自作していた日の話です。
篤子さんは、「(それがあったら)素敵じゃない?」という世界を創ることに集中する力がすごい。
冒頭のお人形を、どこかのお店で「発見」した時に、大まかの雰囲気はOKだったんだろが、色使いが一部イメージと異なる部分があったようだ。
そしたら、その部分の色をチャッチャッとキッチンで塗り変えていた。
この時は、私が帰国する日で、空港までのお見送りしてくれるのに、まきまきとアリチェがリビングに集合していた、そんな時間帯だった。
何かの話から、「篤子さん、清水ミチコに似ている」という話になり。
篤子 : 清水ミチコか、コロッケ。に似ているって、よく言われる
私 : え? コロッケ?? そうですか?
篤子 : じゃー、やってみるから。
そう言ってやってくれた写真が下記。ブログにアップすることを想定して、本人に確認がてらお見せすると。
篤子 : あ~惜しいね。私、もっと似せることができるから。
そして、再びやってくれたのが、下記です。
この後も、TAKEいくつまで撮ったかわからないくらい、「以下、同」っていうことを、すごい集中力で、やり続けていた。
この瞬間は、本気で「コロッケの物まね」を追求していたと思われる。
す・ご・く・な・い・で・す・か?
生き方がオシャレすぎる…。私の筆力で篤子さんを捉えきれるかどうか? それが目下の悩みです。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
「ドイツに行ったら、ビールとソーセージの生活かな?」。出発前に、そんな声かけをしてくれた友達がいたけれど、いやいや、どうして…。
「ドイツ滞在記」というタグをつけているけれど、ここまでのブログで、ドイツ料理、一回も出てきていないと思う。
篤子さんは、国籍に捉われない料理の天才だし、パティスリーや日本食店を経営しているということもあって、そうそう飯守邸の食卓にドイツ料理は出てこない。
この日は、篤子さんの顧問税理士夫妻が「ドイツ料理を持っていくわ!」と遊びにいらしていました。
では、ドイツ料理とは、何ぞや?
豚肉のミートロールは、ザウマーゲン。コール元ドイツ首相の好物だったそうです。
キャベツの酢づけは、ザワークラフト。ドイツ風のキャベツの漬物のようなもの。
そして、マッシュポテト。
シンプルやの~。
一般的なドイツ人の食卓というのは、簡素だそう。
朝はパンにバターやチーズ。昼はがっつり食べるのだけれど、夜も再びパンにバターやチーズ。
そんな感じの食事をしているそーだ。
ドイツに行く前に、「はて。ドイツって、どんな国よ?」と思って読んだ本が、こちら。
要は、ドイツ人は、質実剛健で簡素な生活を好むという内容だった。
篤子さんに聞いた話によれば。
ドイツのラッシュアワーは午前6時台だそう。
・7時から仕事を始める人は、12時まで働けば5時間。昼休みをとらないで働くと、最速で、午後2時には仕事を終える。
・8時から仕事を始める人で昼休みを1時間とったとしても、夕方4時には仕事が終わる。
それ、私やん・・・。
ちなみに、このブログを書いている今は、午前6時52分です。
上記の他にも、一般的なドイツ人は、こんな生活をしているようだ。
・午後9時以降は、休息時間。(夜10時以降に騒いでいたら通報できる)
・電子レンジは使わず、冷蔵庫は小さい。
・日曜日は、休息日で何もしない。
それ、私やん・・・。(アゲイン)
日本にいると、私のライフスタイル、「変わっているよね~」という扱い。
けれども、ドイツでは、私みたいに暮らしている人が主流ということを知り、アイデンティティを得た気分になった。
それに、私の好きなものは、ドイツ製であることにも気がついた。
芸術分野では、ブラームス、バッハ、ベートーヴェン、ゲーテ。
日常生活エリアでは、フィスラー(鍋)、BIRKENSTOCK(靴)、WECK(ガラス容器)、LAMY(万年筆)、STAEDTLER(ペンや鉛筆)。
【結論】
Ich bin Deutsche(私はドイツ人です)
祖国に行けて良かったよ!
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
篤子さんは、朝一番の日課として、工場に顔を出します。
すごく当たり前のことだけど、ケーキはホールで焼いて、デコレーションして、切って販売している。
かつて。
私も、主婦としてクリスマスや誕生日などに、ケーキを手作りしたことがあったが。これまた当たり前ながら、こんなにキレイにはできない。
「売り物になるレベル」のケーキを作るのがプロなんだろうが、このレベルに仕上がったケーキを目の当たりにすると、めちゃ興奮する!
そういえば、双子の息子たちは、保育園の時の卒業文集は、二人とも、将来の夢に「けーきや」と書いていたっけ。
この写真だと篤子さんが、つまみ食いをしているみたいに見えるが。ちがーう!
デコレーションに使うフルーツの中には、「お客様に出せないが、捨てるのは忍びない」という品質の物が混じっている。
篤子さんは、そういったフルーツを雑談をしながら食べているのだ。
ちなみに、こういったフルーツは、「シェフィン用」として、冷凍庫に保管されている。
「フルーツを捨てるのは忍びない」という従業員さんの気持ちを、そっと受け止めている篤子さん。素晴らしい。
篤子さんの従業員の方に対しての姿勢、昨日、ちょうどテープ起こししたので抜粋しておこう。
店に入ったら、私は、洗い物をしている。洗い物は、誰でもできるでしょ。従業員が職場で大切な時間を過ごしているんだから、私は、それを守る係な気がする。たとえば、母親だったら、「あんた、今、受験してんだから、ご飯をママが作るから、とにかく勉強しときなさい」と言うじゃない? それと、同じ。
これは、秘書さんからの業務連絡を受けている電話風景。篤子さんは、秘書さんからの電話を切る時は、「寂しかったら、また電話してね~」みたいな声かけをしている。どんだけ?
篤子さんは、アルバイトを含めれば100人を雇う社長さん。篤子さんの社長としての姿勢を目の当たりにできたこと、それだけでもドイツに行った「かい」があるってもんだ。
当たり前のことを連呼して恐縮だが、飲食店の倉庫はスゴかった。食べ物を提供する仕事の裏側って、これだけのストックが必要なんだ・・・。
この他にも、巨大な冷蔵庫や冷凍庫が複数あり、チョコレート工場もある。
食べ物、食べ物、食べ物。。。とにかく、凄かったわ! ← 語彙
保育園の頃、双子の将来の夢は、ケーキやさんだった。ケーキが、どれだけ好物だったかが伺われるエピソードだ。
そして、彼らは小学生の時、寿司をモチーフにした工作を作っていた。
ケーキと寿司。小学生の彼らをタイムマシンと飛行機に乗せてIIMORIに連れて行ったなら、狂喜乱舞をするだろうに。
寿司がモチーフの工作は、こちら。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
私がドイツにいる間に、IIMORIのインスタ撮影と、篤子さんのTikTokの打ち合わせがありました。その時の様子をお届けします。
インスタは、IIMORI(IIMORI_patisserie)で検索して頂ければ出てきます。
本日(2024年3月5日)現在、この撮影分は、まだ公開されていないと思う。
本ちゃんの写真は、IIMORI_patisserieのインスタでお楽しみ頂くとして(笑)。
ライターとしては、言葉で、この日のことを書いてみます。
篤子さんの世界観は、とにかく、KAWAII。日本が誇る文化ですよ、かわいい!って。
上記のデコレーションは、iimori_patisserieを取り仕切っているジェーンちゃん作。
この写真、上手に撮れなかったのだが。シェフィンと話をしている時のジェーンちゃんの表情を、皆様にお目にかけたい。
大好き!!!っていう気持ちが、表情から溢れ出ている。
それも、そのはず。シェフィンとジェーンちゃんとの間には、長い時間の積み重ねと、深い深いストーリーがあるから。
それはジェーンちゃんに限ったことではなく、どの従業員さんとも、篤子さんは、がっつりと向き合っている。
話が別方向に走り出してしまいそうなので、話を撮影に戻すと。
篤子さんの世界観って、ぜ~んぶ、かわゆすよねぇ。← 語彙!
撮影が終わった後は、同じビルの上のある自宅に持ち帰り、試食~。
うん、もちろん、おいしい。
飯守邸にいると、浴びるように「贅沢な食事」のオンパレードだった。懐かしいなぁ。
普段、粗食で暮らしている私は、すぐに胃もたれしてしまい、なかなか、どうして、思ったようには食べられなかったが…。
どこでもドアがあるのなら、1週間に1食だけ、飯守邸に行くライフスタイル希望。
この日は、篤子さんのTik Tokが始動する打ち合わせ。篤子さんの秘書すみれさんと、TikTokを担当される綾子さん。
ピンクのセーターがすみれさんで、黒いセーターが綾子さん。
篤子さんは、人たらしだと思う。
この日も、初対面の綾子さんを一気に「自分のファン」にしていたもんね。。
かくゆう私も、篤子さんに熱狂しながらブログを書いて、毎日、篤子さんの取材のテープ起こしをしてマス。(まだ本の執筆には辿り着けず)
綾子さんとは、「一緒に飯守さんを盛り立てていきましょう!!」と話しています。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになり、取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
篤子さんが、ビジネスパーソン向けにお寿司教室を開催した日のことは、ご紹介しました。今回は、「本気でお寿司を習いたい人向けの教室」のルポです。
下記は、iimoriのHPから抜粋した「お寿司教室」の2024年度の予約状況です。一言で、「篤子さんのお寿司教室」といっても、大きくは、①懇親目的の方たち。②お寿司を習いたい人たちの2パターンがいます。
下記の教室は、②お寿司を習いたい人たち。が申し込んでいるのだと思われる。
もちろん、懇親目的の方たちの中には、「いつかは、お寿司を習ってみたかったんだ!」という人もいるだろう。
反対に、お寿司を習いに来ている人たちの中には、「友達と一緒だから、習ってみたいんだ」という人もいるだろう。
たとえば、このメンズたち。
めちゃ楽しそうに習っていた。ドイツ男子の遊び方という記事にも書いたけれど、ドイツ男性の交友を垣間見ると、「日本とは異なる」と、感じる。
たとえば、日本女性は友人と「何かを一緒に習いに行く」という余暇の過ごし方をするけれど、日本男性が、友人と連れ立って習い事に行くだろうか?
そもそも、社会人の日本男性が「習い事」をしている姿って、あんんまり思い浮かばない。日本には、まだ、「男は仕事をして、なんぼ」っていう空気が濃厚なのかも!?
そんな違いは、「ドイツに行ってみたから」気がついた。
De。
篤子さんの実演を眺める、男性の目の真剣さよ! (笑)。
自分たちで実際に巻いてみるひとときなんて、真剣そのもの。
全てが、終わっての試食time。下記の写真の巻物の量に着目下さい。
ビジネスパーソン向けにお寿司教室の時は、仕上がった巻物の量が少な目だった。
そりゃー、そうよね。初めて会う人たちでの懇親目的なら、自己紹介やら仕事の話が中心。お寿司を巻くことに重点を置いていてはいけない。
いろんなニーズのお客様がいるのは当たり前。篤子さんは、その会、その会のニーズに合わせて、教室で話す内容もガラリと変えているとのことです。サービス業の鏡!!!
篤子さんの寿司パフォーマンスは、フランクフルトで大人気。懇親会向け、ガチに習いたい人向け含めて「今は、なるべく教室は週に1回くらいにしてもらっている」とのこと。
そうは言いつつ、私の滞在中、お寿司教室は何回も開催されていました。
このグループは、親族系だったかしらん? そんな時は、「先生」という感じの衣装ではなく、明るい色のお洋服。TPOに合わせて、衣装!?も変化します。
余談ですが。
篤子さんは、洋服はもちろん、和服も自由自在に着こなします。篤子さんのレシピブック、ファッションブック、インテリアブックがあっても楽しいかもネ。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
ドイツでは、基本、取材か原稿仕事をしていました。「原稿仕事」というのは、原稿を書くだけでなく、いや、むしろ「原稿を書くための下準備」に多くの時間を割いていた。
下準備とは、撮影した画像の整理、インタビューをした音声データの変換など。取材データは、そのままでは使えず、「原稿を書く時に使いやすい状態にまで整理しておく」という工程が必要です。
飲食店に習っていえば、仕込みってことになるのかな?
結論、「本の原稿を執筆」という領域には、全く到達できなかった。
ドイツに行く前まで、そして滞在中は「ドイツにいる時にしか書けないことがある。ドイツで本を書き上げたい!」くらいに思っていたので、気持ちだけが急いで、自分にプレッシャーをかけて空回りしていた。
人生は、やってみないとわからないことだらけ。
ドイツで普通に暮らしていたつもりだったけど、「自分にプレッシャーをかけていた」ということは、東京に戻ってきてから言語化できた。
「原稿に向き合う」という意味なら、東京に戻ってきてからの方が、いい感じで向きあえている。
で、だ。
勝手に一人でプレッシャーをかけて、仕事に追われた(気分だった)ドイツ生活だったけれども、近所を散歩する時は、心安らぐひと時だった。
注:篤子さんは、常に、「頑張んなくていいよ!」と声かけしてくれていました。
夫の転勤で北海道に住んでいた時、「北海道は、何でもない景色が美しい」と思った。たとえば、ちょっと車で郊外に出た時に通った、田園風景の中の名もなき道。
そんな風景が、「私の中の北海道」のイメージになっている。ドイツ生活も同じ感じ(雑)。そんな日々の風景を紹介します。
昨日紹介したフランクフルトの大聖堂。どこからでも姿が見えるのだけれど、違う角度からだと雰囲気も違うね。
この日は珍しく晴天でした。今、思ったけれど、「ヨーロッパの1月~2月は曇天ばかり」と書いたけれど、晴天の日もあったのかもしれない。今となっては、謎。
スーパーで売っているお花の色使いも、日本とは違う! って思った。包み紙だって、ドイツ語が印刷されているしね。。。
こうしたちょっとしたことが、私の中の「ドイツの思い出」となっています。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
篤子さんの家から徒歩1分(もかからない)に、フランクフルト大聖堂があります。
アルプスの少女ハイジの舞台は、フランクフルト。アニメにこんな絵があります。これ、フランクフルト大聖堂だと思う。
この空間で、日曜日にはミサが行われます。誰でも入れるようで(私も入れているし)、さまざまな人種の方が大勢参加されていました。
この建物の規模感、建物の写真だけでは伝わらないかもですね。。。
こちらは、フランクフルト市街を見下ろすスポーツクラブから撮影した大聖堂です。大きさ、伝わるかなぁ?
ドイツ滞在中、原稿仕事の合間にフランクフルト市街を散歩していました。方向音痴なので、すぐに迷子になるのだが、大聖堂という目印があることが安心材料でした。
大聖堂は、私のドイツ生活を見守ってくれた建物です。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在しました。そんな日々の覚書。
ドイツの、「FKK(エフ・カー・カー)」という文化は、ご存じですか? 今日は、私がFKKに触れたお話をしましょう。
FKK(Frei Körper Kultur)とは、日本語訳をすると、「裸体主義」のこと。簡単に言えば、裸で行動する! といった意味合いの言葉です。
篤子さんから、初めてFKKという言葉を聞いた時は、とてもビックリした。曰く。
ドイツには、FKKという文化があるの。着ている物で人を判断しないといった考え方で、ヌーディストビーチなど、裸で過ごす場所がドイツにはたくさんあるのよ。
冒頭の写真は、スポーツクラブのFKKエリアの休憩室です。
FKKエリアだからといって、ずっと全裸でいる必要はなく、多くの人はサウナとジャグジーに入る時だけ全裸、そうでない場所ではバスロープやタオルを羽織っていました。
スポーツクラブに行った初日。篤子さんにFKKの説明を受けた後、「ちょっと、様子を見てみる?」と、FKKエリアの扉を開けてみると…。
目に飛び込んできたのは、全裸の欧米男性たち。。。え!? ありえない!
夫以外の男性の裸を見てしまったなんて、夫に申し訳なさすぎる! ビックリしすぎて、胃痙攣になりましたヨ。
そんな私でしたが、結論からお伝えすると、ドイツ生活では、FKKエリアで多くの時間を過ごしました。
それは、なぜか?
FKKを初体験の日からしばらくして、日本人の異業種交流会で交わした会話がキッカケでした。
会話のお相手は、「ドイツで金融関係のMBAをとったので、金融一筋(★)でドイツで暮らしています」とおっしゃる女性。堅くて真面目そうで、親近感が沸きます。
★分権政治のドイツ。フランクフルトはドイツ金融の中心地です。
女性 : もうサウナには行かれましたか?
私 : 行ったんですけど、FKKにびっくりしゃって。
女性 : 最初はびっくりしますけど、すぐ慣れますよ(こともなにげ)
「えー、慣れるの??」と思ったし、何より、その堅くて真面目そうな女性が、「こともなにげ」といった雰囲気で話をして下さったことにショックを受けた。
カルチャーショックという言葉があるけれど、文字通り、単に私はカルチャーショックを受けているだけなのかもしれない・・・。
ドイツでは、ごく当たり前のことなのだ、と。「郷に入れば郷に従え」と言う言葉もあることだし、「ありえることなのかも」と、事象を捉え直してみることにしました。
女性と話をした翌日、FKKエリアのジャグジーで、欧米男性と混浴デビュー。
「私、温泉に入っているお猿さんみたいだな」と思い、猿が洋服にこだわっている方がおかしい気がして、そこからはFKKエリアのサウナやジャグジーを使うことにしました。
FKKエリアのサウナは、新しく広々していて水風呂も使いやすかった。加えてジャグジーはFKKエリアにしかなかったので、「湯舟が目的でスポーツクラブに入会」した私にとっては死活問題!
FKKに慣れてみると、「アダムとイブがリンゴを食べなければ、男女は、こんな感じだったのかなぁ」と、のびのびとした気持ちを感じました。
冬のヨーロッパは寒かった。
ジャグジーやサウナで身体を温めた後、公園越しに眺めたドイツの高層ビル群の景色。こうして日本でブログを書いていると懐かしいです。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。
篤子さんが、起業をしたのは29歳の時。当時、ANAの正社員としてフランクフルトで働いていたが、「同じことを繰り返す毎日に、飽きていた」と。
そこで山ちゃん(★)に声をかけて、二人三脚で飲食店をスタートした。
★この記事の「パリのお店の責任者は、山ちゃん」をクリックすると写真があります。
最初3年間は、ANAを続けながら、二足の草鞋でam mainを経営していた。
マイン川はフランクフルトを象徴する川である。(写真は、wikiさまから拝借しました)
昨日のブログで、「フランクフルトは、高層ビルと古い街並みの街」と表現した。
この写真だと、それがよくわかる。・・・って、同じ画角の撮影スポットを、何回か通っていたのに、自分で撮影して来なかったことが悔やまれる。
本の取材で、篤子さんは起業当時を「瓦礫の中に、山ちゃんが姿を現した」と表現していた。
パリに行った時に、山ちゃんは、「トラックで材料を買ってきて、お店の内装を手作りした」と、言っていた。
それぐらい、一から手探りで作ったお店が、篤子さんと山ちゃんの1号店である「寿司 am main」なのだ。
お店に一歩足を踏み入れると、「確かに、ここは篤子さんが作った空間だわ」と感じた。
お寿司屋さんだというのに、インパクトのあるシャンデリアを中心に持ってくるあたり、篤子さんテイストを感じる。
店内はインテリアを含め、創業当時と全く変わっていないそうだ。
上記の写真だけ見ると、ここがお寿司屋さんだとは思わないよね。。。後年、篤子さんがパティスリーを開店するのは、DNAレベルで必然だったのかもしれない。
まきまきのママ友は、「フランクフルトでお寿司を食べるなら、アムマインだよね」と言っていたそう。それだけ地域に根付いたお店に育っているんだと思う。
寿司 am mainは、地下にある。
取材を終えて、地上に上がる階段を上っていると、空が見えた。
30年前の篤子さんは、異国の地で、この空を見上げながら、何を考えていたのだろうか? (こう書いておいて、「悠長に空を眺める余裕はなかった」に一票。)
今は、どこから見ても、ピッカピカの成功者に見える篤子さん。
本の取材を通じて、その成功は一筋縄ではいかなかったと感じた。
篤子さんは、どの工程(行程)も心から楽しんできたから、「苦労」とか「失敗」という言葉とは違うのだが、「うまくいかないこと」は、たくさんあった。
本では、そんな部分も、書き込めると良いなと思う。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。
全10話のパリ滞在記が終わり、舞台は、フランクフルトに戻ってきました。
パリ滞在記の初回は、コチラ。
篤子さんは、飲食店事業と不動産事業を営んでいます。この日は、篤子さんが持っている物件を見せてもらうため、車でフランクフルト市内を回りました。
フランクフルトは、ドイツの金融の中心地。古い街並みと、金融機関のピッカピカの高層ビルが混在する、不思議な景色の街です。
このエリアは、フランクフルトの高級住宅地。古い家並を撮ろうと思っていても、高層ビルが自然と映り込んでくる…笑。
この方角だと、ようやくヨーロッパの街並みっぽいかしら? 空が曇天だと、ヨーロッパらしい色使いの建物も映えないわね。
1月のドイツの空は、ずーっと曇天でした。
素敵なマンションを見ると、「どんな暮らしをしているのかな?」って、ワクワクする!
このエリアには、篤子さんが海外進出した1号店である「寿司アムマイン」があります。(「寿司アムマイン」の話は、次回)
ダムさんは、「持ちビルで篤子さんがお店をする」のが、お好きだそう。不動産を購入する時は、「ここで篤子が、店ができるか」が判断材料の一つになるのだとか。
この店舗物件、以前は篤子さんがお店をやっていたが、今は、経営者は別の人でオーナーだけ篤子さんがやっているそうです。
行った時間帯は、残念ながらお店の営業時間帯ではなくお店の中に入れませんでした。
お店の外に、Japanisches Ramen とある。写真を見ているだけで、お腹がグーとなってきました。(これを書いている只今、お昼前です)
この店舗のあるビルの上は、アパートになっているそうです。
このポストの数だけアパートを持っているって、すごいよね!
こうして日本で画像を見ながらブログを書いていると、「ほんっとに、ドイツでインドアライフを送っていたなぁ」と思う。
「プライベートの旅行」で行ったならともかく、今回は「仕事かつ暮らす」だったからね。。
そうなると、ワタクシは「日本での生活スタイル」を踏襲してしまうということが、良くわかった。
ドイツでの行動範囲が、ほぼ、篤子さんの自宅エリア(800平米ある!)と篤子さんと一緒に行くスポーツクラブだけだった件。
それで日本に帰ってきても、「〇〇に行っておけば良かった」的なことは一切思わない。「生粋のインドア派が海外に行くと、こーなるのね」という事例紹介として開陳しておきます。
ドイツとフランスで事業をされている飯守篤子さんの本を書かせて頂くことになりました。取材のために、ドイツに1か月滞在します。そんな日々の覚書。
篤子さんがパリに持っているお店は、3店舗。「たから」と「空海」と「たから抹茶バー」です。たからのHPは、コチラ。
月に1回くらいのペースで、篤子さんはパリのお店のスタッフに会いに行きます。そんなパリ行きに、同行しました。パリ滞在記①は、コチラから。
パリ出張中、毎日、ダムさんから篤子さんに「篤子がいなくて、寂しいよ」と、電話がかかってきていた。
そして篤子さんがフランクフルトに帰る日は、本当に嬉しかったらしく・・・。
ダムさんは、列車が到着するホームまでお迎えにいらしていた。
列車がフランクフルトに到着するまでも、「列車のフランクフルト到着は、時間通りだよね? 僕は駅のホームまで行っておくから」などと、何通もメール入る。
2泊3日、離れ離れなだけなのに、どんだけ待ち遠しいのだろう? と、微笑ましい。
ドイツでは、子供がギムナジウム(高校生くらい)になると、ステップファミリーが多くなるらしい。
まー、なんというか、「愛情がなくなったら、お別れする」みたいな文化?
反対に言えば、「お互いに大切なパートナーであり続ける文化である」とも言えるのではないか?
ヨーロッパは、おしなべて、パートナーシップや愛といったことが、日本に比べて尊重されている社会な気がした。
恋愛体質全開の友人と会うと、毎回、「頭、大丈夫?」と思うけれども、彼女はヨーロッパに移住したら、今より満たされるのではないか? などと感じた。
話がとっちらかってきましたので、篤子さんに話を戻し。
仲良しカップルというのは、見ていて微笑ましいものですね。
見とれてしまって、二人と距離が開いてしまったではないか!
この後、慌てて追いかけましたとさ。(追いつきました!)
パリ滞在記は、これにて終わりです!